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英雄

 空人(クウト)(ヒジリ)は、目的地であるネットカフェへ向かっていた。ネットカフェは商業地区のど真ん中にあり、教育関係の施設が乱立している教育地区からは歩いて十分程度の距離である。

「お前、明日ニューフライヤー杯だろ? 遊んでて平気なのか?」

 聖はそう尋ねるが、空人はあまり良さそうな顔はしていない。どちらかというと面倒くさそうな顔だ。

「お前まで桜花(オウカ)と同じこと聞くのかよ」

「桜花ちゃんも聞いたのか。で、何でなんだ?」

 空人はわざとらしくため息をつく。

「今日は調整で使えないんだよ」

「普通はもっと前に済ませるんじゃないのか?」

 空人はまたため息をついた。そして、分からず屋の子供に語りかけるように、

「俺の機体を整備してんの、あのオッサンだぞ?」

「……そういやそうだな。愚問だった」

 聖は何かを思い出したように静かになった。それがいい思い出ではないことは、火を見るより明らかだ。

 妙な沈黙が気持ち悪かったのか、聖は人工の青い空をぼーっと見上げた。

「こうしてみると、偽物には思えないよな?」

「そもそも、本物を見たことがないからな」

 空人はそう答えると、自分達が今いる場所を改めて思い知った。

 ジャパニーズテリトリー088。八十八番目の日本領という意味だ。今、空人達は通称JPT―088と呼ばれるスペースコロニーに暮らしている。本来スペースコロニーは『シリンダー型』や『ベルナール球』などが主流だが、このコロニーは近年開発された『ホイール型』を世界で始めて採用したコロニーだ。『ホイール型』とはその名の通り『車輪』のような円盤の真ん中に、一本の棒を刺した『コマ』のような形になっている。そして、コマのように軸を中心に回転することで、遠心力を生み、地球と大差ない重力を生み出している。原理としては水の入ったバケツを振り回してもこぼれてこないのと同じだ。

 従来のコロニーは人間が住むことを最優先に置いていて、人が住む空間が多く、娯楽施設がほとんど無いため『人間の鳥かご』となってしまっていた。それに比べ『ホイール型』は車輪型にすることで高さがあり、空がある広い空間をとることに成功した。

 また、四季もきちんと存在していて、気候などはすべて操作できるようになっている。その技術は今から約二千年ほど前、EARTH(アース)という組織が作った地下都市(アンダーグラウンド)という巨大地下施設に使われた技術を応用している。太陽は光を全反射させることで代用し、天気は光量と大気中の水分量を調整して操作している。

 だが、どんなに地球に似せようが結局は宇宙であることには変わりがない。そう考えると、空人は少し憂鬱になってきた。

「…………」

 会話はそこで途切れる。こんな中身の無い会話をすれば当然だろう。とりあえずで適当な話題を出したのがまずかった。

 タイミングが良いのか悪いのか、二人の女の子が空人達に駆け寄ってきた。

「あ、あの……海谷(カイタニ)空人さんですよね?」

「? そうだけど……なんか用事?」

 すると、女の子達は鞄から何か取り出し始めた。何かと思い、それをよく見てみると紙とサインペンだった。

「あ、あの! ファンなんです。サインください」

 そう言って同時に頭を下げた。空人は慌てた顔をする。当然だ。空人にはファンが出来るような要素はないからだ。もし仮に学校でファンクラブのようなものがあるとしても、空人と話すことはあってもサインまで求めてくることはないだろう。

 空人は聖の方へ向くと、

「俺って俳優だっけ?」

「いや、それはない」

「やっぱり勘違いか」

 すると女の子達は突然顔を上げた。

「何言ってるんですか! 空人さんはプロフライヤーじゃないですか。しかもあの英雄の息子ですよ?」

「英雄ねぇ……」

 海谷空人の父、海谷星斗(セイト)はこのコロニーでは英雄と呼ばれている。

 八年前、宇宙滞在軍(ステイズ)がこのコロニーを攻めてきた時、二百五十機いた敵の軍勢をたった一機で残り二十四機まで減らし、そのまま死んでいった、という話はこのコロニー内ではあまりにも有名だ。この場所が今でも存在するのは星斗のおかげと言っても過言ではないだろう。なぜ一機で出撃したかはいまだによく分かっていない。ただ、出撃の直後に地球帰還軍(バックス)の全機体に撤退命令が出ていたことは分かっている。その命令は誰がなぜ出したのか分かっていないが、おそらくは何かしらの事故でその連絡が入らなかったのが原因とされている。

「……あれは英雄なんかじゃねぇよ」

 暗い表情を見せると女の子達は少し不安げな顔をする。それを見て空人はすぐに表情を戻した。

「まぁ、いいや。それよりもまだデビューした覚えはないぞ?」

 明るく笑ってみせると、女の子と達も安心したように笑い返した。

「もうデビューしたも同然じゃないですか」

 そう言うと、女の子達は笑顔で紙とサインペンを寄こしてきた。自分のサインになんの価値があるかは分からないが、少なくとも自分にとってプラスにはなり得るがマイナスになることはない。そう思い、空人はそれを受け取って適当にサインをした。

「明日の大会、絶対に見に行きますね」

 女の子達はそう言い残すと、笑顔でどこかへ走っていてしまった。

「お前、そんなに人気なの?」

 聖はビックリしたように空人に尋ねる。だが残念なことに、その答えは分からない。本人も驚いているくらいだ。

「桜花ちゃん、怒るだろうな」

「何でだよ?」

「まぁいろいろだよ」

 首をひねって考えるが、答えが浮かばない。

「サインのことか? それならちゃんと書いただろ」

「それもあるけど……はぁ、お前ってホント最低な奴だよな。桜花ちゃんが可哀想だ」

 空人には何を言っているか分からなかったが、聖はそれを無視して目的地へ歩いて行ってしまった。

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