AI
「あー、だるぅ」
海谷空人が気だるそうに呟くと、隣で大人しく授業を受けていた山城桜花がピクリと反応する。意味不明だがこれには理由がある。普通の人ならただの挙動不審だと思うが、幼馴染の空人には分かる。これは授業を真面目に受けない空人が注意されないか心配しているのだ……多分。実際、空人にも理解できない行動をとるので確証はない。
悪戯心が芽生えた空人はさらに文句を言ってみる。
「歴史とかつまんねーなー。過去のこと蒸し返してどうすんだよ」
すると桜花は面白いほどピクピクと反応する。空人の予想は外れていなかったようだ。だがそろそろ桜花で遊んでいる場合ではなくなってきた。
「海谷。そんなに俺の授業がつまらんか。なら出て行っても構わないぞ」
お決まりのセリフを四十後半のグレーのスーツを着たおっさんもとい先生が険しい表情をする。この先生は怖いことで有名だ。授業中に居眠りしていただけで三時間説教された生徒もいるらしい。だが、意外と空人はこの先生と仲がいい。それもあり空人自身そんなに怖い先生だと思ったことはない。
「すみません。……大人しく授業受けます」
いかにも反省してそうな顔で俯く。
「まぁいい。海谷。覇権戦争とは何だ?」
先生は馬鹿にしたように空人に尋ねる。というのも、「覇権戦争」と言えば小学生でも知っている、常識的な話だ。これを空人に尋ねる理由はおそらく二つ。一つ目は授業の内容がちょうどその辺りだから。二つ目は皮肉だ。ニュアンスとしては「日本語分かりますか?」に近い。
ここで文句を言っても仕方がないので答える。
「覇権戦争とは宇宙に来る直前に地球で起きた、人類史上初の人間以外との戦争のことです」
教科書をそのまま読んだような台詞を吐く。すると先生は褒めるでもなく、怒るでもない表情をする。
「大体はあってるな。だがそれではそこらの小学生と変わらない。これからやっていくことは深く踏み込んだ話だから黙って授業を聞くように」
語尾を強調させ空人にそう言ったが、なぜか桜花がビクッと反応する。こういった反応は空人にも分からない。
先生は何事もなかったかのように授業を進めていく。
「覇権戦争とはさっき海谷が答えたように、人類史上初めての人と人が争わなかった戦争だ。では、この人間以外の存在とは何だ? 巫」
先生は空人の一個前の席で思いっきり夢の世界に旅立っている巫聖に注意九九パーセントの質問を投げかける。だが聖は強い。隣の奴に何度肩を叩かれても起きる気配はない。それどころか盛大にいびきまで欠いている。
「起きんのか。減点だ。代わりに海谷お前が答えろ」
「え! またですか」
「いいから答えろ!」
何も言い返せなくなった空人は渋々脳内で適切な答えを探す。途中となりでビクビクした少女が横目で見えたが気にしないことにする。
「えーと……人工知能――AIです」
「……その通りだ」
一瞬変な間があったので空人はドキドキした。
「覇権戦争とは三一五〇年に起きた、人類とAIの戦争だ。AIとはArtificial Intelligenceの略で日本語にすると人工知能だ。人工知能とは簡単に言うと、機械に人間と同じような思考や感情を持たせたものだ」
面倒臭そうな単語か並び眠くなってくるが、なんとか意識を保つ。
「これは二一世紀後半に地球にいた時のアメリカにあったMITコンピュータ科学・人工知能研究所、通称CSAILで世界で初めて開発に成功した。以前にもAIと呼ばれるものがいくつか存在していたが、どれもパターン的な感情で一つの刺激に対し数パターンしか反応を示さず、対話もある程度は出来るが、独特な言い回しや小説などに出てくるような比喩表現は理解できなかった」
カタカタとキーボードを叩く音が聞こえる。これはパソコンでネットゲームなんかを楽しんでいる音ではない。先生の発言が巨大なディスプレイに映し出されたものをノートに写している音だ。本来ならネットゲームでもやっていたいが、残念なことに授業中は教室全体に妨害電波が掛かっているため外部に接続が出来なくなっている。中には妨害電波を掻い潜ってネットに潜る腕利きもいるらしい。そこまでしてネットに潜る意味はあるのかは疑問だ。
「……飽きた」
空人が机に突っ伏しながら小声で呟くと桜花が無意味に反応する。
「(さ、さっき注意されたばかりでしょ? 喋っちゃダメだよ)」
「(お前も喋ってるだろ?)」
桜花がまたピクリと反応する。
「(こ、これは注意だからいいんだもん)」
「……」
空人はそこで教室が静かなことに気がついた。そして先生の視線がこちらに向いていることにも気がついた。
「海谷。お前がどこの誰と付き合おうと構わないが、教室でコソコソといちゃつくのは勘弁してくれ。授業の邪魔だ」
「え? いや。あ、あの。つ、付き合ってません」
桜花がパニックになり始めたので助け船を出すことにした。
「すみません。気を付けます」
そう言ってなんとか事態を収拾させた。後で桜花をどうやってなだめようか、と考えていると授業が再開された。
(今日だけで何点減点されたんだろう……)
そう考えると授業を真剣に受ける気になってきた。
「そして世界初のAIはようやく感情や思考というものを持つようになった。会話にしても話しかける人間の顔や声や口調などによって全く違う反応を見せるようになり、『差別』をすることでより人間の思考に近づいた」
先生は一旦説明を止め、ボタンを押してディスプレイに謎の図を表示させる。
「これはAIの設計回路図だ」
ポインターを操って説明を加えていく。どうやらAIの脳の回路の図らしい。人間の脳の形は異なっている。直方体でサイズは縦二メートル、横一メートル、奥行き一.三メートルというとんでもない大きさだ。
「このAIのシステムは最初から人間の脳を再現するのではなく、人間の幼児のような何の知識もない脳を作り、そこからパターン学習で物事を覚えさせていくということに重点を置いた。だから人間との対話が可能になるまで五年かかった。人間の幼児のほとんどが三歳になるまでには対話が可能になることから、いかに人間の脳が優れているのか改めて証明された」
先生はそこで話を区切り、ディスプレイに表示された図を消した。
「もうすぐチャイムが鳴るな……最後にこの世界初のAIがなんと呼ばれていたか分かる奴はいるか?」
そう尋ねると前の方に座っていた見知らぬ男子生徒が手を挙げて答えた。
「ラテン語で母という意味の『マーテル』です」
「正解だ」
そう言い終わったと同時にチャイムが鳴る。これを狙っていたのならとんでもない先生だと空人は思った。




