加速
空人はレバーを奥に倒すと、機体は見る見るうちに減速を始めた。
やがてその機体は先ほどの機体、グリーヴの少し前まで後退した。
あと少しで抜かれる、という瞬間、今度はレバーを手前に倒し急加速を始めた。さっきとは違って景色が線のように後ろに流れていき、ついには水中にいるかのような錯覚を起こしてしまうほどの速度まで上昇した。
十分な加速をするためにとった距離はすぐに縮まった。未だ三機は小競り合いをしているが、それを意に介さぬかのように接近していく。
刹那、ブルースカイは三機の頭上を舞うようにして見事に抜き去っていった。
ここで機内の順位を表す数字が「4/8」となった。
そしてすかさず男のアナウンスが入る。
「見事! 海谷選手が一気に三つ順位を上げました」
その後だらだらと専門家らしき中年男性が解説を加えていく。選手からしたら鬱陶しいだけだが、観客からしてみればわかりやすくていいのだろう。
三機から十分に距離を離すと、すぐにレバーを元の位置に戻した。
本来ならこのまま飛び続けたいところだが、そうはいかない。
エネルギーの問題もあるが元々スピード特化しているこの機体は、尋常ではない速度や加速力と引き替えに、最重要項目と言っていいバランスを失っているのである。ただでさえ墜落しかねない機体で尋常ではない速度で飛んだらどうなるかは明白である。
そもそもそんな常識から外れに外れた技がノーリスクで扱えるはずがない。そんなに簡単ならみんながやっているし、ルールで規制されることだってあるだろう。
実際空人はこのレースで使う予定はなかった。エネルギーの残量を考え、安全を考慮すれば一回のレースで使えるのは一回が限界だ。それ以上使ってしまえば、いざという時のオートパイロット機能が使えなくなり、見事に地面に激突するだろう。それにたかが一レースに命を賭ける義理はない。
しかし、出だしを失敗したため予定にない行動を取らざるを得なかった。
もしあの場面で使っていなければ、三機を抜いている間に一位がゴールしてしまうかもしれない。使うなら中盤しかなかった。
空人は敵機の方向や大まかな距離――円状のため距離が離れすぎていると縁に表示されてしまう――を確認できるレーダーに視線を向けた。前にいるのは三機。どれも円の一番上に表示されていてどれだけ離れているのかよくわからなかった。
ブルースカイはゆっくりと速度を上昇さた。早く先頭集団まで追いつかないといけない、空人は焦りを感じていた。正直言えばこんなレースで苦戦するとは思っていなかった。ただの自信過剰ではなく、周りのフライトを見て自分と比べて、明らかに勝っていると思っていた。出だしを失敗したとは言え、空人には勝てる自信があった。
しかし、蓋を開けてみれば終盤に差し掛かろうというのに順位はまだ四位。優勝どころか入賞すらできない順位だ。
このまま同じペースで飛んでいたら順位が変わらないことは明白だった。
空人はギリギリまでレバーを倒し、前の三機との距離を縮めようとする。機体の速度は即座に上昇し、トップグループに食らいつく。すかさずレーダーを確認すると。
「っ! ……」
空人は言葉を失った。フライトスーツと背中の間に出来た微妙な隙間が、汗によって埋められていく。
トップグループと見られた三機は、レーダーの端からどんどんと中央に寄せられてきていた。だが、一機だけはいつまで経っても中央に寄せられることはなく、ポツリと端に存在を示していた。
それが意味することは、明らかに絶望の色だった。いつまで経っても中央に寄せられないということは、とてつもなく距離が離れているということを表していた。
残りの距離を表すメーターは終盤と言っていい数字だった。このままいけば確実に優勝は出来ない。それどころか星斗の記録など簡単に塗り替えられてしまうだろう。
空人の心は焦燥しか生まなかったが、前の二機とは目で見えるほどに縮まっている。まずは前の二機を抜くこと。
ようやく、視界にも二つの機体が姿を現した。
片方は青いボディに炎のようなペイントをした機体だった。外装はとても細く、見るからにスピード型ということが窺える。
もう一方は赤と白の二色に綺麗に分けられた機体だった。こちらは完全な攻撃型、しかも遠距離高火力型で、最近ではあまり見かけないタイプだ。ドデカい砲筒を三本構え、ずっしりと構えたその図体は、どこかのRPGに出てくるモンスターを想像させた。
どうやら二機は拮抗状態にあるらしい。青い機体は高火力のうえ防御面もかなりある紅白の機体に対し、スピード型の中で主流である背の部分に光剣を一本しかなく、決定的なダメージを与えられずにいる。それどころか下手に近づけば、逆にダメージを受けてしまうだろう。かといってスピード任せに距離を離しても、高火力遠距離型には分が悪い。
紅白の機体は遠距離が得意な代わりに、近距離が極端に苦手な機体だ。小さな光銃でもあれば違うのだが、高火力砲を撃つにはかなりのエネルギーを必要とする。そのため、小さな銃にエネルギーを回している余裕はない。それに、一度撃った後はエネルギーを一点に集中させるためにかなりのタイムラグがでてしまうので、ポンポンと撃つわけにもいかない。
空人は外装を見てあらゆる推測を始めるが、すぐに無意味だと気がついた。
空人には時間がなかった。敵は目の前だけではない。今ある光景のずっと先にあるのだ。
ブルースカイは拮抗した微妙な速度を保つ二機の左側を駆け抜けようと近づく。しかし、すぐに青い機体にブロックをかけられ後退を余儀なくされた。それと同時に先ほどまで続いていた拮抗が一瞬にして崩れた。
紅白の機体は照準をブルースカイでも青い機体でもない場所に合わせ、赤く太い光線を放った。だがそれは適当に撃たれたものではなく、きちんと二機の動きを封じるものだった。
空人は高火力砲にはかなりのタイムラグがあることを知っていたため、次が来る前に距離を離そうとした。青い機体の方もそれを知っていて空人に続き、速度を上げた。
がしかし、二人の予想を遙かに上回る速度で次の攻撃が放たれた。先ほどよりも太い光線が二機を同時に墜とせる位置に放たれた。ブルースカイは辛うじて機体を右方向に反転させかわしたが、青い機体は右翼部に掠ってしまいダメージが上限を超えたため、オートパイロットモードに移行し、コースから外れてしまった。
おそらく紅白の機体は、先ほどの拮抗状態の間に三つそれぞれの砲筒に、いつでも撃てるようにチャージをしていたのだろう。今まではそんなことはなかったのだが、つい先日に砲筒自体にエネルギータンクを設けてレース中に溜めるという技術が開発されたらしい。高火力遠距離型はすでに時代遅れとされていて、誰もその技術に注目していなかったのだが、現状を見れば無視できるレベルではなかった。
空人はおそらくまだ飛んで来るであろう攻撃に注意を払い、加速のタイミングを計った。
あのような機体は、高火力が故に反動で少しではあるがスピードが落ちてしまう。その上、性能上加速には力が入れられず、一度落ちた速度はなかなか元には戻らない。
狙うとすれば、次砲撃が飛んできた直後、なのだがなかなか飛んでくる気配はなかった。
空人は常に背後に注意を払うという事態に、少しずつ精神的に疲れがきていた。相手の狙いは集中力が切れたときに撃ち落とすというものなのだろう。時間はかかるがかなり効果的と言える。
しかし、無理に速度を上げるわけにはいかない。先ほどの青い機体ですら、右翼を掠っただけで落ちたのだ。ブルースカイがそれを耐えられるはずがなかった。
じわりじわりと空人は追い詰められていった。背後からは当たれば確実に落ちてしまう砲撃が常にあり、前には一刻も早く追いつかねばならない敵がいる。
そんな精神状態の中、何度か加速を試みたが、すぐに小さな光線が飛んできてそれを阻止した。
しかし、このまま飛び続けるわけにはいかない。空人は切実に感じていた。
そして、空人はレバーを手前に倒した。
直後、体にとてつもないGがかかる。機体の速度は急激に上昇し、すぐに紅白の機体との距離を離した。
だが、高火力遠距離型の真価は、遠距離でこそ発揮する。
一本の光線が飛んできたかと思うと、退路を塞ぐかのようにもう一本が飛んできた。空人は機体を九十度反転させたところで止めると、二本の光線の間を何とかすり抜けた。しかしこれで終わりではない。今度は三本の細い線が微妙な差をつけて飛んでくる。
一見無意味に思える攻撃は、確実に空人の進路を塞いでいた。
一本目は機体の左を通り抜け、二本目は機体の下方部を狙い、三本目は機体の右上方部を通過した。少しでも操作を誤れば確実に当たってしまう。
そんな中ブルースカイは徐々に紅白の機体との距離を離していく。
チャンスと見た空人は、さらに加速して距離を離そうとする。だが、それを待っていたかのように一本の細い線がブルースカイの進む先を塞いだ。そして、機体はその細い線に自ら突っ込むような形になる。
直後、空人は常人離れした反射神経で機体を僅か右にずらす。だが、赤い線はブルースカイの左翼部の先端にかすり、一気に大ダメージを与える。
しかし、大ダメージこそ与えたが奇跡的に決定打は与えられなかった。
ブルースカイの機内ではダメージ量が三割を超えると鳴る警告音が響いていた。
ほとんどかわすか落ちるか、というブルースカイにとっては滅多に聞くことの出来ない音だ。いや、これが最初で最後かもしれない。
空人は残り耐久があと僅かしかない機体に鞭を打ってさらに加速をした。
どうやら紅白の機体はチャージ分のエネルギーが切れたようで、それからは一発も飛んでくる気配はなかった。




