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第11話「みぃつけた①」

 湾曲した石造りの港には、ポツンと一軒だけ舟屋が建っていた。

 一階は小舟が停泊できるよう海に面し、二階は簡易的な休憩スペースになっている。当然人はおらず小舟も停泊していないが、イブは警戒しながらも堂々と舟屋に入っていった。

 先程邂逅した未解影(アンノウン)の衝撃が強く気が休まらないが、ひとまず休憩の体裁を取る。衝撃を受けた身心を休めるときは、まず形から入った方が良いとはラクラウの言葉だ。

 俺も床に座ってひと時の休息を堪能する。ふと、建物内部を見渡していると、思ったよりも手入れがされていることに気付いた。


「ここは組合が建てたんですか?」

「さあ、分からないな。大昔からあるらしいが、建築者が組合なのか迷宮なのかハッキリしない」

「迷宮が建築者、ですか」

「まるで擬人化するような言い回しだと思ってるな? 実際、これを見たらそうも思いたくなるさ」


 フランツは立ち上がると、着いてこいと言い残して一階へ降りていく。

 迷宮探索の報告書(レポート)を執筆するラクラウや持参食料の残日数計算をしているイブを二階に残し、俺とシャルロットは彼女の後を追って一階に降りる。

 階段を降りた一階部は船のガレージとして船着き場と作業場に分かれており、その壁には大きなレバーのような取っ手があった。かなり年季が入っているが、何の装置なのだろうか。

 そんな疑問を見透かしたように、フランツはこれも魔道具だと言ってレバーを下ろす。すると、地面が揺れて激しく波立ち、けたたましい機械音がすると思ったのも束の間、船着き場の水面から小舟が湧き出てきた。

 表現がおかしいのではない。実際に水面から小舟が湧いてきたのだ。おまけに舟に充満していた海水は不思議と溢れ、あたかも浸水などなかったかのように乾いている。

 小舟自体も大洋を渡るには心もとない大きさだが、幸いこの海域は波穏やかで彼方に目視できる島と島を航海する程度には充分そうだった。

 

「すごいですね。どういう原理なのか全く分かりませんけど」

「水深あるから見えないけど、水面下に魔道具の本体があって、そこで瞬時に製造してるんだよ」

「ああ、全く驚かされるよな。これを組合が作ったのなら納得だが、もし迷宮が建設したのだと仮定すれば、わざわざ来訪者の進行を助けるような真似をするかね?」

「まるで迷宮は冒険者を深部へと誘っている。だから意志がある、というわけですか」

「まあ、あくまでそんな可能性も考えられるってだけだがな。ここが手入れされているのも、案外冒険者が自主的にやってるだけかもしれないし」


 長期間かけて迷宮探索に勤しむ冒険者にとって、人の手が加えられている空間は安堵する。

 魔物が至る所に生息し、魔法による摩訶不思議な現象が起きてもおかしくないこの闘争環境において、人間の縄張りとでも言うべき場所は貴重だ。

 その意味で湧き出た小舟は、人間の知性が生み出した構造物だが、この生成過程は人智を越えている。果たして命を預けても良いものか些か心配にもなるが、気に病んでも仕方ない。ここは先人たちの経験則を信じるべき場面だ。

 それに勝手な推測だが仮に迷宮に意志があったとして、それは即ゲームオーバーの仕様ではなく、最低限の道を整備した上で理不尽な目に合わせるような、そんな気がする。

 そうでなければ、誘い出す必要性を感じないし、人間如き、即殺せる場面は幾らでもあるだろう。


「さて、あまり時間を無駄にできん。あと数十分で出航だ。日が暮れる前に初めの島に到着したい」


 フランツは胸元から懐中時計を取り出して時刻を確認すると、出発の目途を皆に告げた。

 先程の未解影(アンノウン)はいつの間にか消失していたが、いつ再出現するか分からない。俺も早くこの海岸を離れたかった。



---



 第二階層へのルートは幾つか存在する。

 入手した小舟で島々を航海し、最終的に第二階層に通じる通路がある島に至れば良い。

 しかし、第二層通路まで一直線は不可能だ。潮の流れ上、道中の島を必ず経由する必要がある。おまけに潮の流れはランダムに変化し、特定の島を選んで航海することはできないのだ。

 じゃあ危険を伴う島には上陸せずに次の島を目指せば良いと思うかもしれない。だが、常夏に思えるこの海域では水分を酷く消費するし、小船で夜の海を彷徨う方がよっぽど危険に感じられる。

 もとより島を探索せねば魔道具も入手できず、迷宮に潜っている意味を見失ってしまう。本末転倒を避けるためには、多少の命を張らねばならない。


 また大半の初心者冒険者は第一階層の序盤、つまりあの峠を越える前の森林草原エリアを生業として、魔力を帯びた薬草採取や研究施設を守る目的で魔物狩りに勤しんでいる。

 対して、峠を越えて第二階層へ向かう海域に足を踏み込むのは、冒険者全体の半数程しかいない。そのため、色んな意味でこの地区が冒険者の境目となっているのだ。

 フランツがここからが迷宮の本番と称した理由も分かる。


 だがこの海洋エリアも冒険者の往来は少なからずあり、探索研究も進んだ現在、ある程度の攻略法は確立されている。

 例えば、森林には不用意に踏み込むな。探索は海岸を基本とすべし。異変があれば目を背けるな等々。

 迷宮発見から幾分の年月を経てなお、迷宮の原理解明には至っていないが、その場その場で対処療法が積み重ねられてきた。絶対とは言えないが、最小限のリスクで生き残る術にはなる。


 けれど人間とは理解できないもの、得体の知れないものを不気味に思う。その気持ち悪さは、迷宮に潜っている以上ずっと付き纏うことになるのだろう。


「さて、着いたぞい」

  

 俺たちが初めに上陸した島は、二つの山から形成され、鬱蒼としたシダ植物と樹木が広がっていた。海岸には木造のあばら家が建ち並ぶが、当然人気は全くない。

 この世界の文明レベルが近代だとしたら、この島の建築物は近世の雰囲気を醸し出していた。長屋のような住居に死んだ井戸、荒れ果てた田畑と放置された里山が廃墟の風体を成している。


 魔道具の発見のため、俺たちは森林の奥地へ踏み込みしすぎない程度に探索を進める。(ひぐらし)や蝉のような声が鳴り響く中、無人島の廃墟を探索するのは不気味だった。

 蒸し暑さもさることながら、常に変な汗をかいて全身が気持ち悪い。まるで禁足地に踏み入ってしまったような緊張感が凄まじい。

 まだ魔物の一匹でも出現してくれた方が、この島に自然さを感じられて良かった。それだけ森林草原エリアとは異なる危機感を味わっている。蟲の鳴き声だけが鳴り響き、動物の気配がまるでしないのだ。


 他方、パーティの皆は何度もこの島に上陸しているらしく、この不気味さに慣れているようだ。

 迷宮にいる以上警戒は解かないが、探索ポイントを押さえ、効率的に巡回していく。

 俺はラクラウに怖くないのか訊ねてみた。

 

「あばら家島はまだ当たりじゃよ。魔物の遭遇件数も少なく、山奥に入らなければ基本安全だからのう」

「まあ井戸水は腐って飲めねェし、食料になりそうな果実も植物もない。補給の面では外れだけどな」

「でも、魔道具の発見はそこそこありますよ」


 皆が往々にして答えてくれる。

 探索と言っても別行動をしているわけではないのだ。

 迷宮内では仲間と片時も離れてはいけない。鉄則であるが、どうしても効率を落としてしまうのが、探索の難しいところだろう。

 

「そういえば、魔道具ってどんな形で出土(スポーン)するんですか?」

「んー、場合にもよるけどよォ。分かりやすく宝箱の形態で現れることもあれば、無造作に落ちていることもあるぞ」

「なるほど。じゃあ仮にそれっぽい物を見つけても、魔道具だと判断するのが難しいですね」

「そんときァ、俺が鑑定してやるよ。魔道具でだけどな」


 イブはバッグから片眼鏡を取り出し、老紳士の真似をしてフォッフォッと笑いながら見せてくれる。

 でも彼女は獣人なので、眼鏡は耳に取り付けられない。

 仕方なく片手で持ちながら真似する姿は、その剽軽さとは裏腹にかなり難儀そうだが、緊張を張り詰めていた現在、そんなおふざけが少しありがたかった。


「あ、これ。いかにも魔道具じゃないですか?」


 そんな時、あばら家の一室でシャルロットが声を上げる。

 彼女が指差す先には、一見ただの農具に見える鎌が打ち捨てられていたが、明確に言えるのはその鎌が禍々しく血塗られており、最後に用いられた用途が農作業でなかろうことだった。

 これ、本当に魔道具なんですか。なんか呪われてない?


「まあ物は試しだ。確認してみっか」


 イブは片眼鏡を支えてその場にしゃがみ込むと、うむむと唸りながら鑑定する。正直近づくのも怖いので、肝が据わった彼女に尊敬の念を覚えた。


「うん、魔力回路が見られるから魔道具だろーな」

「おお!こんな感じで見つかるんですね」

「ああ、だが呪われてるかどうかまでは分かんねェし、具体的な効果とか詳細は組合本部に見てもらうしかないな。眼鏡で分かるのはここまでだ。迂闊に触るんじゃねーぞ」


 イブはゆっくりと立ち上がって、後方で眺めていた俺たちに近づく。そしてシャルロットの背中をポンポンと叩いて、肩に寄りかかった。

 パーティメンバーの身長は低い順に、俺、イブ、シャル、フランツ、ラクラウなので、彼女のモフモフの頭がシャルの顔に直撃する。一見微笑ましく思えるシーンだが、当のシャルロットは顔に獣っ毛がささってちょっと嫌そう。


「さあ、こっからはシャルの出番だぞ。魔術師の技法を見せてくれよなッ」

「……はい」


 パーティメンバーの関係性は何となく見えていたが、この二人はどうにも難しい。イブの片思いがシャルロットに通じてないのだ。

 目尻を下げて優しい表情をしていると、彼女は付与魔術(エンチャント)の応用で鎌に浄化作用を与えていた。完全な浄化には至らずとも、反応が見られるなら呪付。反応がなければ呪いなしと判断できる。

 しかし、結果は鎌が急に縮んだり大きくなったり、明白な異変が生じていた。


「ダメだ。呪われてるな」

「これは持って帰れませんね」


 まあでしょうね。血塗られるもん。

 仮に呪いがなかったとしても、好んで使いたくはない。

 俺たちは成果なしと判断して、あばら家を後にした。



---



 日も落ちかけ、地平線から夕焼けが差し込む時刻。

 山奥に立ち入るのは危険なので、海岸沿いを探索していたところ、俺たちは洞窟を発見した。皆もこの洞窟を見つけたのは初めてのようで、入るべきか悩んでいた。しかし、いまは満潮であり、入口は半分波際に埋もれている。おまけに日が沈みそうな今、探索するにしても翌日であると結論付けるのに時間は掛からなかった。

 だが立ち去ろうとしたとき、洞窟の中から他の冒険者パーティが出てきた。

 

「―――ぬ」


 人数は此方と同じ。全員女性だが、みな屈強な体格。と思ったが、後方に一人だけ華奢な少女がいた。洞窟から出てきたのが人間だと安心したのも束の間、双方戦闘態勢に入る。

 なぜか? お互い、目の前の人型生物が人間だと確証を得られないからだ。ここが森林草原エリアや地上での顔見知りならともかく、得体の知れない存在には警戒を怠るべきでない。


「お疲れのところ鉢合わせてしまって悪かったな」

「いいや、こちらこそ。余計なお世話かもしれんが、この洞窟には目欲しいものは何もなかったぞ。不気味に石や紙切れが祀ってあるだけだ。無駄足になる」

「そりゃどうも」


 フランツと相手方のリーダー女性が簡単な言葉だけ交わす。お互い、去り際まで警戒は怠らなかった。

 もっとも、華奢な少女だけは、男で魔法使いの俺に興味があったようで、ぺこりと頭を下げて一礼していた。俺も釣られて頭を下げておく。

 迷宮内で遭遇した冒険者同士のコミュニケーションは基本こうだ。仲間以外を信用するな。過度な警戒にも思えたが、未解影(アンノウン)との邂逅以降、過剰とも言えなかった。


 結局、あばら家島で一夜を過ごした後、俺たちは足早に次の島へ出航した。

 発見した洞窟の探索も気になったが、遭遇した冒険者から得た忠告のこと、そして食料問題が深刻になってきたからだ。

 最悪飲み水なら俺の魔法で出すことができるが、食べ物だけはどうにもならない。持参できる食料は限られる上、本来なら魔法で水生成をするのも魔力が勿体ないぐらいだ。

 他の冒険者一行は食料問題をどうしているのだろうか。


「簡単な話じゃ。汚水を啜り魔物や蟲を食うなり、生に対して醜く頓着するしかあるまい」

「そ、そうですか」


 疑問は浮かんだ瞬間、皆に訊ねて解消するに限るが、ラクラウの言葉には重みがあった。

 きっと経験があるのだろう。イブもフランツも貧民街出身だと聞くし、抵抗はないのかもしれない。

 

「ま、まあ私はちょっと遠慮したいところですけど…」

「ったく。そんな甘いこと言ってたら、そのうち死ぬぜ」


 しかし、シャルロットに限ればそんなことはない。やはり根はお嬢様なのだ。俺も現代日本と貴族生活しか経験したことない身なので、人のことは言えないが。

 汚水を啜り、食うに困って蟲を頬張るのはできれば御免したい。だからこそ、次の島で何としても食料を確保せねばなるまい。早くも出たとこ勝負になってしまった。


 だが次に辿り着いた島は、俺たちにとって歓迎できた島ではなかった。島全体が丸みを帯びた形状のため上陸スポットが限られており、先程のあばら家島とは異なって歩けそうな砂浜も見当たらない。

 リアス海岸のように断崖絶壁な岩肌が剥き出しており、上から樹木の根がはみ出していた。

 

「よりによって繭島か…。嫌いなんだよな」


 フランツは苦虫を嚙み潰したような顔で、運がないと苦言を溢す。

 繰り返すが、海流は気まぐれに変化するのだ。基本どの方向に船を出しても第二階層の方角へ向かうが、行きつく島はランダムである。冒険者に選ぶことはできない。

 あれ、だったら帰りはどうするんだろう。一方通行の運命なら、第一階層の時点でラストダイブになってしまう。さすがにそれは鬼畜すぎないか。

 そう疑問に思って訊ねてところ、各階層の通路に冒険者組合が整備した魔法陣があって、一応そこから帰還できるらしい。

 組合の補助がなければ、全く末恐ろしい。迷宮はあくまで探索者を深部へ誘っているというわけだ。ますます迷宮には意志があるように思えて仕方ない。


「なあ、繭島は避けないか?」

「リーダーのお前さんに最終判断は任せるが…。食糧はそろそろ本格的に心もとないぞ」

「……気が乗らないが背に腹は代えられない。上陸しよう」


 彼女が珍しく弱音を吐くが、ラクラウに釘を刺されて決意を固めたようだった。

 しかし、なぜ彼女が苦虫を潰していたのか。実際に上陸してみると、その理由が分かった。

 繭島の呼称は、島全体のフォルムが丸っこい繭のようだからと勝手にそう思っていた。けれどもっと安直な理由であった。

 繭島はかつて養蚕産業が盛んだったのだろう。迷宮内に産業も何もないのだが、野生化した蚕のような芋虫が其処ら中にいた。


「あっ、私これ無理かもしれません」

「我慢しろ。私だって無理だ」


 絶望の表情を浮かべ、へっぴり腰のまま顔を横に振るシャルロット。俺に助けを求める視線を送ってくるが、どうしようもない。

 人間に化けるような怪異が潜むとあれば、ひと時でも仲間と逸れる危険性は避けるべきだった。船に待機することは許されない。ただでさえ、食糧問題が深刻な今、選択肢は他にないのだ。

 泣いて渋るシャルロットを引き連れ、俺たちは繭島に上陸した。


 島内部は、蚕が無数にいることを除けば平穏そのものだった。しかし、俺の記憶が正しければ、蚕は完全に家畜化され人間の管理なしでは生きられないはずだ。

 迷宮内の島という特殊状況が、彼らにとって天敵がいない環境を創り出しているのだろうか。蚕という蟲は退化に退化を重ね、葉にしがみ付く力もないと聞いていたのだが、不思議とこの島の芋虫たちは蚕の特徴そのままに自力で生きている。

 訝しんでしばし考え込んだが、結局前世の知識をそのまま当てはめる方が変な話かと自分を納得させた。今振り返ると、それが良くなかったのかもしれない。

 俺たちは食料を捜索するため、やむを得ず山林へと足を踏み入れたのだった。



 獣道ですらない山道を歩くこと数刻、ようやく清流が溜まった小さな沢を見つけた。

 幸い水深も浅く、水面下で時々キラキラと光ることから川魚がいることも伺えた。絶好の機会である。


「よっしゃあ!狩りの時間だぜェ」


 イブが水を得た魚のように、元気になった。

 他のメンバーが周囲の警戒に当たっているうちに、彼女は沢に飛び込む。そして瞬く間に手づかみで魚を捕まえていく。これが野生の本能だろう。これなら芋虫を食べずに済みそうだ。

 そう安堵してイブに感謝を捧げていたが、警戒の最中、何気なくふと彼女に目を向けると俺は驚嘆した。イブは裸体になっており、その豊かな胸囲が露わになっていたのだ。

 乱暴な言葉遣いで野性味あふれる彼女だが、身体は白狐の獣人。線は細く、木々から微かに差し込む日差が彼女の魅力をいっそう引き立てている。

 山林の影で幾分涼しいとはいえ、常夏のこの空間は確かに蒸し暑い。久々の水浴びも兼ねて、汗を流したい気持ちも分からなくないが、これでは目に毒だ。この世界が、貞操観念逆転であることをすっかりを忘れていた。

 思わず呆然と、彼女の裸体を凝視してしまう。けれど、眼福は長く続かなかった。隣からすっ飛んできたシャルロットに目を隠されてしまったのだ。


「もう、見ちゃだめだよ」

「ごめんなさい」


 嫉妬に燃えるシャルロットの腕の中で俺は反省する。

 気のせいか、後ろから抱え込まれるように抱きしめられているのだが、若干力強くてちょっと痛い。ちなみにその後、フランツに警戒が弛んでいるとマジ切れされるまでがオチだった。


 川魚を採り終わった後は、皆で交代して水浴びを行うことにした。

 迷宮の経験則を破り、山林に立ち入っているという警戒心はあるが、俺が以前のように周囲に防壁を作ることで多少の気休めにはなった。人間、常時警戒を張り続けるのは不可能なのだ。

 時には息抜きをしなければ、それこそ足元を掬われる。

 けれどこんな時だからこそ、俺だってたまには怒りたい。

 シャルロットもフランツも、俺がイブを見てるときは怒るくせに、いざ水浴びが俺の番になるとチラチラと視線を感じるぐらい盗み見をしてくるのだ。あれでバレてないとでも思っているのだろうか。むっつりスケベ共め。

 いつかやり返してやると思ったが、それはそれで彼女たちが喜んでしまいそうだった。俺の貞操はそんなに軽くないので、変態が喜ぶようなことは自重しておこう。



 しばらく探索を進めた後、幸運なことにビワやナシのような果実も入手できた。一口食べてみたが、甘くて美味しい。

 蚕たちは桑の葉以外食べないこともあり、桑が生えてない場所を中心に探したところ果樹の群生地を発見できたのだ。これで当面の食料問題はひとまず解決だろう。

 川魚も乱獲一歩手前だが、食べきれない分はガラス瓶に詰め込んで俺の氷結魔法で保存しておく。

 一時は芋虫食生活になると思っただけに、食料が充実していることが非常に喜ばしい。


 しかし、それだけに不気味さは増す一方であった。

 不可解な点が幾つも考えられた。

 まずは蚕である。蛹の抜け殻を集めてイブと一緒に調べてみたが、やはり生糸に似た性質を持っていた。魔力を帯びている特殊性を除けば、光沢と保湿保温に優れ、肌触りも良い。

 明らかに品種改良された蟲であり、人為的に育成されてない限り大量発生している理由も謎だ。


 次に山林の探索中に偶然発見した祠である。

 直接は見てないが、あばら家島の洞窟に祀ってあったという石や紙切れも、きっと祠の一種に違いない。祠とは石や御幣をご神体に見立て、神社の簡略形で人が立ち入るのが難しい地域に設置されていることが多い。目的はもちろん、神のご加護をその土地にもたらすためにだ。

 また日本では、古来より神仏習合の影響で祀っている対象が曖昧になっていた。それが明治の神仏分離令で別れて以降も明確ではない。つまり、祀る対象は変化しうるということだ。

 では、仏教も神道もないこの世界では、”一体何を祀っている”のだろうか。

 

 おまけに最後の決め手は、この果樹の群生地だ。

 俺が知っている神仏のお供え物は、丸い果物が好ましいとされている。丸い形が魂を連想させるとかそんな理由だったが、重要なのはそこじゃない。

 ここは本当に群生地なのだろうか。仮に何者かが育てている土地なのだとしたら、どうだろう。俺たちは、すぐに立ち去った方が良いかもしれない。



 ―――その時だった。

 俺たちが通ってきた山林の斜面下方。

 帰路に着くため踵を返した時、仄かな火の灯りが見えた。訝しみながらも意識を向けると、次第に炊煙がもくもくと立ち込め始める。目を凝らしていると、木々に紛れて古い日本家屋のような建物があることに気が付いた。

  

「―――ッ!?」


 あまりにも不自然だった。先程まで何もなかった場所に突如として建物が出現し、生活の痕跡を漂わせている。また、得体の知れない恐怖が背筋を震わせる。

 迷宮内の孤島、不可解な懸念点、懐かしき故郷風の建造物、狐につままれたような幻惑感。あり得ない状況証拠が多数だ。人智を越えた怪異の存在を仄めかすには充分すぎた。


「おい、早く離れるんじゃ。物音は立てるなよ」

「わかっているッ」


 皆異変に気付いている。早くこの場を立ち去らないと。

 頭ではそう分かっていた。鼻孔をくすぐる炊事の良い香りは、皆の危機本能を逆立たせている。でも、恐怖で身体が思うように動かなかった。

 息が荒くなり、胸が締め付けられる。

 皆が走り出す中、俺だけが脚を震わせていた。

 そして、隣のシャルロットに腕を引っ張られ、俺はようやく歩き出すことができた。

 急いで、急いで海岸へ戻らねば―――。


「マァ、おまチくだんシ」


 パーティーの指針が全力逃走に定まった刹那。

 怪異の途切れ途切れな声が、俺のすぐ後ろでそう囁いた。



海外ホラーの怖さが神から見放された悲劇にあるとすれば、日本ホラーは神様に見つかってしまった怖さがあるんじゃないでしょうか。

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