第9話「いざ迷宮へ」
迷宮ラカンは、都市との共存関係を成立させている奇怪な建造物である。
複数層から成るこの地下遺跡は、それぞれの階層で全く様式が異なる生態系を確立しており、迷い込んだ部外者から最深部を堅牢に守っている。
しかしその一方で、誘き寄せられる冒険者たちの血肉を啜って養分とし、貴重な魔道具や魔力生物などの恵みを排出するこの摩訶不思議な領域には、生命活動のような循環が伺えるのも事実である。
そのため、文学的比喩ではなく、迷宮全体を一生命体と見なすような学説が存在するのだ。もっとも、古くから冒険者組合直属の研究機関が迷宮の解明に尽力しているが、判明していることは驚くほど少ない。むしろ、その人知を超えた神秘性から迷宮教なる宗教組織もあるのだとか何だとか。
「うわ。ここ、本当に地下なんですか?」
迷宮入口の坂道を下り進み、俺たちは開けた空間に行き着いた。
結構な時間をかけて地下通路を進んできたが、行き着いた先はなんと緑輝く森林であった。俺は思わず感嘆の声を上げてしまう。
もはや天高くから日光のような明かりが降り注ぎ、四方を見回しても壁らしきものはなく閉塞感もしない。それどころか、地上の砂煙舞う空気よりもよっぽど澄んでいて心地良い。
死臭漂う迷宮と聞いていただけに、良い意味で出鼻を挫かれた思いだった。
「まあ第一階層はね。別名、萌芽の森って言われてるぐらいだし」
シャルロットが俺の呟きに答えてくれる。彼女は相変わらず俺の手を引いており、初迷宮ということで彼女なりに俺を守ってくれているようだった。周囲をキョロキョロと見まわして可愛らしい。
「む。なんだお前ら、手なんか繋いじまってよ」
「そーだそーだ」
しかし、フランツとイブがジト目で茶々を入れてくる。
俺とシャルロットが手を繋いでるのは以前からなのだが、彼らはそんなこと露知らない。もちろん昨夜も別に何もなく、ただ添い寝していただけなのだが、きっと二人はよからぬ想像でもしているのだろう。
俺は気恥ずかしくなって口を噤み、首を横に振る。
しかし当のシャルロットは、別に良いじゃないですかぁと満更でもない様子。それが二人を更に加熱させ、やっぱり二人っきりは不味かったんじゃないか等々ぼやいている。
ちなみに今朝、彼女らはシャルロット宅まで俺たちを迎えに来てくれたのだが、その際先日の騒動のことを謝っていた。そして、デュポンの説得のためには仕方なかったことをシャルロットも納得し、無事許したようだった。
なにせ彼女らは命預けた仲間同士。その上俺をパーティに加入させるという目的も無事達成できたのだ。もはや蟠りなんてあるはずがない。
「ま。ここでのファムくんの保護者は私ですからね。手を繋ぐことぐらい些細な問題なのですよ」
前言撤回、やっぱりちょっと遺恨はある。
シャルロットは俺を抱き寄せ、特にそこの女狐、しっかり覚えてねと氷の笑みをイブに送っている。意外と独占欲が強いらしい。
対してイブも先日は少しやり過ぎたのを反省したのか、それともまだ煙草臭を引き摺っているのか、耳も尻尾も若干元気がない。なんだかしおらしく、いつも以上にフランツと距離が近かった。喧嘩にもならないし、珍しいこともあるものだ。
だからだろうか。迷宮に入ったというのにイマイチ気が締まらない理由は、どうやら迷宮内部の意外性だけではないようだった。パーティ全体がふわふわしているのだ。
そして結局、見かねたラクラウが溜息を吐くと、若者たちをぴしゃりと注意することになるのだった。
「こらこら、お前さんら。若い男を勝ち取ったからって、はしゃぐんじゃない。ここは第一階層とはいえ迷宮じゃよ。そろそろ気ィ引き締めなされ」
年長者に諭され、一同は迷宮探索の冒険者として自覚を取り戻す。
そんな道中を過ごしながら、俺たち一行が第一階層の草原や雑木林を進んでいると、ある人工物の施設に辿り着いた。それはかなり大きい円形外壁が特徴の建物であり、周囲には耕された葉物畑と有刺鉄線が設置されていた。
人影もチラホラ見当たるため、まさか迷宮内で生活している人がいるのだろうか。
「ああ、もう収容所か。ここまで魔物に一切出会わないなんて運がいいな」
そう。迷宮内には魔物が出現する。
魔物とは、一見動植物に類似した外見を持っているが、生物学的には進化や区分が全く異なる生物群の総称である。攻撃性が高く、意思疎通は不可能。それ故に家畜化も困難であり、発見次第駆除が適切なのだ。それが俺の持つ知識であり、この迷宮都市での一般常識であった。
したがって、そんな迷宮内部で人が暮らしている異常性は言うまでもなかろう。だが、フランツの収容所という言葉を聞いて、俺は幾らか邪推する。そして答え合わせを求めるように彼女を見つめていたところ、視線に気が付いた彼女が説明してくれた。
「———パノプティコンは都市での犯罪者や浮浪者、白痴や疫病者を隔離しておく施設なんだ。まあ言い方を選ばなければ、臭い者に蓋をするわけだ。ご丁寧に一般市民には見えない位置でな」
とはいえ、彼らの安全はある程度保障されているのだと彼女は付け加える。
迷宮内は魔力が充満し、魔物だけでなく貴重な魔法生物、例えば薬草になる植物が多く生息しているのだ。また地上空間では微量分散しているに過ぎない魔力が充満する迷宮空間では、さまざまな実験が行われている。一般的な植物を迷宮内で栽培することで突然変異を促したり、魔道具の試作品を検証したり、障がい者や疫病者に対する有効な治療を模索しているのだとか。
このような田畑や研究所が多数あるため、採取や護衛、魔物駆除のため冒険者への依頼需要が高まる。そうすると迷宮と都市の間で経済が循環し、その潤滑油として冒険者は重宝されるのだ。もちろん死の危険性は付きまとうわけだが。
「だから、私はまるっきり酷いシステムだと思わない。たしかに隔離施設ではあるが、犯罪者の矯正や浮浪者の生活保障に加え、治療所としての側面も強い。最適解とは言わないが、現状の最善策ではあると思うよ」
なるほど、そういうものなのだろうか。収容所内部の様子は外から計り知れないが、それほど過酷なものでもないのかもしれない。都市や人類の発展のためには必要不可欠と言われれば、納得できなくもない。俺は多少の引っ掛かりを感じつつも特に深堀せず、先に進むことにした。
小高い丘の収容所を去り、雑木林の中をしばらく進んだ時だった。地面は突起激しく、樹木の間を縫うように架けられた橋を歩んでいると、先頭を歩くイブが何かを察知して片手で歩みを制した。
「おい、この先いるぞ。樹木に擬態してやがるが、ありゃ人面樹だな」
そう言って彼女が指差す先は、一見何の変哲もない広葉樹だ。ただ他の木々と異なるのは枝葉にツルのような植物が巻き付いており、まるで寄生されているようであった。
指摘されれば確かに不気味な存在感を放っている。しかし、雑木林の中で特段注意を向けなければ気付かずにスルーしてしまう絶妙な差異だ。そのくらい、ごく自然に環境に溶け込んでいた。
「ふむ。念のため確かめてみるか」
きっと俺への指導も兼ねているのだろう。ラクラウがその辺に落ちていた小石を拾ったと思うと、次の瞬間ドワーフの剛腕を全力で活かし、思いっきりトレントに投げつけていた。
あの剛速球なら、細い枝葉ごとき根本から抉ってしまいそうな勢いであったが、それは寸でのところで阻止される。奇妙なことに、樹木に巻き付いていたツルが触手のように反射して、樹木の幹に到達する前に小石を弾いてしまったのだ。
そしてその瞬間、樹木の幹に怪しげな人相が浮かび上がってきた。俺は初めて魔物という存在を目にし、得体の知らない恐怖に背筋を震わせた。
「危ないから下がってて」
シャルロットが腕を出して俺を後ろに匿ってくれる。
イブの魔物発見時点で、みな臨戦態勢に入っているのだ。数歩先で斥候を務めていたイブが、後衛の俺の隣まで戻ってきている。ラクラウはタンクとして前衛に出ており、次に剣士のフランツ、僧侶のシャルロットと続く陣形だ。
本来俺のような魔法使いは、中衛としてフランツとシャルロットの間にいるのがベストなのだろうが、まずは様子見を兼ねて後衛をさせてもらっている。
「くっ、相変わらず手数が多くて嫌になるな」
基本的には前衛のラクラウが、触手のように襲い掛かってくるツタを綺麗に捌いてくれる。しかし、どうしても数発は中衛に差し掛かろうと漏れ出てくるのだ。フランツはそれを防ぎ、攻撃への機転を伺っていた。
俺も何か魔法で戦った方が良いかと思索するが、戦闘は連携が重要だ。魔法という広範囲攻撃を無闇に放出すると、却って仲間を危険に晒すかもしれなかった。
「———ここだ」
だが俺が判断に迷っていると、フランツは陣形を飛び出し、一目散にトレント目掛けて走り出した。
触手のようなツタはいずれも樹木の枝葉から出ており、俺たちがいる陣形まで一度伸び切ってしまうと、その内側に戻って攻撃するのが難しい。
そのため、迅速に敵の間合いを詰めていくフランツを対処するためには、別の枝葉から降り注ぐように新しいツタを出す必要があるようだった。
しかし、当然フランツはその暇を与えない。彼女は腰刀に手を掛けると、樹木の幹に浮き上がった人面相の箇所を狙い、素早い居合切りで一刀両断にしてしまった。
決して大樹というわけではないが、程々に太かった幹を日本刀のような細身の刀身で切断するとは驚きだった。それもラクラウのような如何にも歴戦の戦士である男性でなく、スラっとした女性であるフランツが、である。
「ふう。終わったぞ」
彼女は刀身を鞘に納め、ギギギと木の軋む音を立てて絶命していく人面樹を見下ろしながら戦闘終了を宣言する。その姿は噂に違わぬ、勇敢な冒険者そのものであった。
俺はそれを聞いて、心の底から安堵した。そして先程まで命のやり取りをしていたのだと遅れて実感を得る。...まだ手が震えていた。
「大丈夫か。怪我はないか?」
「———ええ、おかげさまで全く。それにしても...一刀両断なんてすごいですね」
「ああ。剣士は持っている魔力を闘気に変換して戦うんだよ。だから、普通は斧で叩き切るような堅い魔物でも、闘気を込めれば斬撃が通るんだ」
私たちは魔法使いじゃないが、戦う術ぐらい持っているのさとフランツは苦笑する。
なるほど、闘気か。座学で聞いたことはあったが、実際にこの目で見たのは初めてだった。何でも闘気を極めた実力者になれば、鋼鉄を叩き切れる攻撃力や実態のない魔物にも攻撃が通用するようになるのだとか。
しかしその反面、防御力に関しては一切上がらない。人間という存在は脆く設計されているのだ。
どんな攻撃でも当たり所が悪ければ死に至る可能性があるし、些細な傷から炎症を引き起こし再起不能なダメージになるかもしれない。だからこそ、防御については僧侶のような魔術師が付与魔術を掛けるしかない。
「まあ、付与魔術といっても微々たるものですけどねぇ」
「そーだな。多少の打撲やかすり傷程度なら防げるが、圧倒的質量や高魔力攻撃で押し込まれようもんなら全く無意味だぜ」
闘気についてフランツ先生の講習を受けていると、シャルロット先輩とイブ先輩が補足してくれた。
彼女らの言葉を借りると、つまり付与魔術とは戦闘において持久戦を推奨するものではなく、攻撃こそ最大の防御という選択肢をより優位にさせるのだ。
非魔法使いの戦闘はこれに尽きる。要するに闘気によって攻撃力を高め、付与魔術を用いて多少のダメージを厭わない更なる特攻型へというわけである。なんとも脳筋戦法に思えるが、対魔物戦術の基本なのだとか。
だがトレントの後処理を終えたラクラウが、更に補足してくれた。
「昔は魔法使いがもっと希少だったからのう。魔法無しで戦おうと思えば、こうなるんじゃよ。だが、魔法使いがいるなら話は別じゃ」
「なるほど。それはどうしてですか?」
「魔法による一撃必殺が狙えるからじゃよ。その他の役職は全て防御に徹するだけで良かろう」
うーん。なんともシンプル。
確かに先程の戦闘にしても人面樹の弱点である火炎魔法を俺が使えば、一瞬で勝敗を決していた気はする。味方を巻き添えにしてしまわないか心配なのと、実践経験が乏しいので使い所が難しいわけだが。
だけど俺はそれでも、何だかそれで良いのかなぁと引っ掛かりを感じていた。ラクラウはその疑問を上手く言語化してくれた。
「もっとも、大抵の魔法使いは魔力が限られておる。だから、ここぞという場面に魔法使いの魔力を温存しておくのじゃよ」
「あ、なるほどなるほど」
「よって、魔法使いだけが強ければそれで良いという話でもないわい。迷宮探索は長期戦じゃし、その他メンバーの力量が必要になるのう。普通は、な」
「あー、、ソウデスヨネ」
ラクラウは、髭もじゃな顔を歪めてニヤニヤと笑う。
だが彼の謂わんとすることを察した俺は、自分に期待されている役割の重さに気が付き、片言で反応することしか出来なかった。
要約すると、お前さんの無尽蔵の魔力量なら、この先の魔物全部ひとりで倒せるから頑張ってくれよ、というわけである。魔法使い遣いが荒い気もするが、現状それが最も安全で時間短縮にもなるなら、引き受けないわけにはいかなかった。
彼らは自身を権力の危険性に晒しながらも、俺を勝ち取ったのだ。その恩に報いるだけの働きをする必要があるだろう。それが俺のためにもなるのだから尚更である。
「んじゃ、そういうわけで期待してるぜ。新人魔法使いくん」
「ぜ、善処します」
イブが俺の肩をポンと叩いて、再び斥候のため前を歩き始める。最初っからプレッシャーが半端ないが、彼女らからしてみれば、そのくらいやってもらわないと困るのだろう。
俺は気合を入れ直すために歯を食いしばり、シャルロットに買ってもらった魔法杖を握り締めていた。そんな様子を見たのか、またもや僧侶のお姉さんは優しく俺の頭を撫でてくれ、そんなに思い詰めなくても良いよと声かけてくれる。
そんなに甘やかされ続けたら、いい加減好きになっちゃうから程々にしてほしいと思いつつ、俺はその優しさを嬉しそうに受け入れてしまうのであった。
―――さて。再び歩み始めた俺たち一行だが、とりあえず今回の探索目標は、現状のパーティでどこまで潜れるかである。
副目標は、俺の魔法使いとしての成熟訓練。それらを終えて帰還する頃には、地上でのお家騒動もデュポン氏が上手くやってくれると期待している。
そうして、早く一人前の魔法使いになりたいと思うファムだったが、今まで平和に温室育ちで暮らしてきた弊害だろう。今後一生慣れることは無い、命のやり取りという戦闘の難しさに苦心するのだった。
しかし、そんな彼の苦心露知らず。シャルロットは順調に好感度回復に努めており、来るべき次回の夜の営みを妄想して薄気味悪い笑みを溢すのであった。
フランツは不敵に笑むシャルロットをふと目撃し、眉を顰めて内心ドン引きしていたのだが、当の彼女は一向に気が付く気配がなかった。
フランツの悩みの種が、また一つ増えた瞬間であった。
文体調整中です。改行基準とルビ用法の使い分け難しいですね。




