42話 目覚め
長い暗闇を抜けたような感覚で、王太子エルレーンは目を覚ました。その事に一番驚いているのは、きっと本人だろう。
「何かあれば暁の魔女を頼りなさい」という母の遺言に縋って、この森まで来た。母は「必要なら加護がある」と言っていたので踏み込んだが……正直かなり勇気がいった。
鬱蒼とした森の中を進んでいると、浅い所で誰かに追われている事に気づいて奥へと急いだが……ダメだった。
囲まれ、四人は屠ったがその間に黒服のリーダーらしい男に腕を切りつけられた。そして男はそのまま仲間を捨てて逃げていった。
直ぐに呪詛に使われると思った。妹がそうだろうから。そうなれば動けなくなるし、最悪死ぬ。その前にどうしても妹の事だけは伝えなければと、必死に森の奥を目指したのだ。
母の言うとおり、加護はあったのだろう。少し行くと五匹ほどの兎と出会った。最初ホーンラビットかと思ったが、小さいし角はないし、何より可愛い。それに、襲ってくる感じがなかった。
兎達の中でリーダーらしい個体が近付いてきて、辺りを見回し怪我をしているのを見て、まるで先導するように先に立ってくれた。
途中魔物がいる場所もあったが、兎達が囮になったり、上手く隠れたりしてどうにか進んできたのだが……明け方になって動けなくなった。
呪いがかかったのだと、薄れる意識の中で理解した。
宮中では呪いが横行している。気に入らなければ相手を呪う。その為の術者を抱えている者までいるのだ。
そうして母も、妹も……更には自身まで死ぬのかと、悔しくてたまらなかった。
目が覚めたそこは素朴だが、温かい場所だった。
木の温もりと柔らかな風が吹き込む場所で、星がとても綺麗に見える。
ただ、窓の外を見るとここが決して普通の森ではないと感じる。一定の場所から外は、混沌とした弱肉強食の世界に思えた。
「絶望の森の中に、このような場所が」
信じられず呟き、このような事が可能な人はきっと暁の魔女以外いないと思った。どうにか辿り着いたのだと安堵の気持ちで涙が出そうだった。
だからこそ、扉を開けて入ってきた人物を見てエルレーンは首を傾げてしまった。
◇◆◇
リビングで適当に寛ぎながら、今後どうするかについて話しているとカフィから「目が覚めたようです」との知らせがあり、家主として虎之助は部屋を訪ねた。
辺りはすっかり夜になっていて、室内も暗い。だが今日は月明かりがあって、どうにかお互いを認識できたみたいだ。
なんというか、線は細いと思う。おそらく虎之助とアロイスが逞しいのだろうから、一般的なのかもしれない。だが雰囲気に儚さがあるような気がした。
彼は上半身を起こしこちらを見て固まっている。ランプに火を灯して室内を明るくすると、何故か彼は目を丸くしてほんのりと白い肌を染めた。
「目が覚めたか。具合の悪い所は?」
「ありません。あの、貴方が助けてくださったんですか?」
「俺だけじゃないが、まぁ、そうだな」
「……ここは、暁の魔女様の屋敷ではないのですか?」
不安そうにしながらも確かめるエルレーンに、虎之助はしっかりと頷いた。
「それで間違いない」
「あの! 私はエルレーンと申します! この国の王太子で……暁の魔女様にお願いがあって参ったのです!」
「あぁ、ちょっと待ってくれ」
それだけ願いは切実なのか、エルレーンは一息に伝えてくる。まだ病み上がりだってのに裸足のまま床に足をつけて駆け出そうとして、虎之助は慌てて止めた。
肩に手を置いて「落ち着け」と言うと、やはり少し見とれる感じがするが……いや、気のせいだ。
「それについて、実は伝えないといけない事がある。あんたが頼ってきたリーベは亡くなったんだ」
「……え?」
途端、信じられないと目が見開かれ、次には顔色が悪くなる。今にも泣き出しそうなスカイブルーの瞳を見ているといたたまれないが、だからって嘘がつける話でもない。
肩に手を置いたまま、虎之助は静かに経緯を話した。
「では、トラノスケ殿はリーベ様のお弟子さんで、死後この屋敷の事を任されているのですね?」
「あぁ」
視線を低くして話した虎之助に対して、エルレーンは涙こそ流したが酷く取り乱す事はなく、終始冷静だった。これが王太子に必要な心構えなのかと思えば、何処か意地らしく思えてくる。
ギュッと膝の上で握られた手は爪が食い込むほど力が入っている。それに手を重ね、包むようにすると僅かだが力が緩んだ気がした。
「あんたの事は俺の友人から聞いている。妹が大変らしいと」
「ご友人、ですか?」
「Aランクの冒険者だ」
「そうなのですね。市井にまで、そのような話が漏れているのですか……」
それほど事態は深刻なのかもしれない。もしくは、どこの世界もゴシップというのは広まりやすいか。この場合、後者であってもらいたい。
俯いてしまうエルレーンの表情は、下から見ている虎之助には筒抜けだ。唇を噛んで、苦しさを耐える表情。頼るべきか、否か。それが判断できなければ何も言えないのかもしれない。立場があるとこの辺りがとても大変だ。
だからこそ、虎之助は口を開いた。
「俺でよければ力を貸す」
「え?」
頼りない瞳がこちらを見てくる。言われた事が飲み込めていない様子だ。そこにしっかりと視線を合わせて、虎之助は頷いた。
「魔法はできないが、物作りと剣はそれなりにできるだろう。解呪の霊薬は作った事がないが、作り方は分かる。あんたに協力する」
「あ……」
静かに伝えられる言葉の意味が、ようやく理解できたのだろう。エルレーンの目にジワリと涙が浮かんで落ちていく。我慢したものが緩んだ瞬間、子供のように彼は泣いた。聞いていた年齢よりもずっと幼げな表情で。
「ありがとう、ございます。ありがとう……」
涙で掠れた声で何度も、彼は感謝の言葉を伝えてきた。
そんな様子も落ち着いた頃にカフィがエルレーンへと着替えを持ってきて、動くもふもふを見た彼は驚きと共に目をキラキラさせた。やはり可愛いは正義なのだと、どこか誇らしい虎之助だった。
「立派な服じゃなくて悪いな」
「そんな! とても動きやすくて好きです。貴族の装いはどれもゴテゴテしていて、動きにくいのです。あちらの方がどうかと思いますよ」
まだ少し目尻は赤いが、エルレーンは素直な表情と様子で接してくる。とても王太子とは思えぬ気さくさで拍子抜けしてしまった。まぁ、いい事だと思う。
白のトラウザーズに白いシャツ。緑の丈長のベストに革ベルトと剣を差した彼はスッと立ち上がる。もう体調はいいようだ。
ただ、その事に本人も驚いているが。
「不思議です。私は呪われていたはず。しかも、命を脅かす即効性の呪いだったのだろうと思いますが、今はまったく問題がない。いっそ死後の世界で、苦痛から解放されたのだと言われる方がしっくりくる感じです」
「生きてるよ。それについても仲間と共有したいんだ。夕飯もまだだろ? 腹は減っているか?」
「ありがとうございます。お腹は……なんだか、安心したら途端に」
恥ずかしそうに苦笑すると、エルレーンの腹からクゥゥゥゥという可愛らしい音がする。これは流石に恥ずかしかったのか、彼は耳まで真っ赤になった。
素直そうで、礼儀正しくて好感の持てる王子様だ。
「カフィ、何か作ってやってくれ。一応、胃に優しいものを」
「かしこまりました」
丁寧に一礼して去って行くカフィの背中を見て、エルレーンは虎之助へと視線を向けてくる。
「それにしても、本当に屋敷妖精なのですか、カフィ殿は?」
「あぁ。元はリーベに仕えていたんだ」
「城にもいると言われていますが、あのように有能かつ意志の疎通ができるなんて、見ていても信じられません。そもそも妖精族というのは不可視ですし。よほど強い力を持っているのでしょうね」
「魔素が多い環境だからな。それもあって強くなったと、本人は言っている」
何せ魔素だらけの森なのだ、ここは。居るだけで妖精や魔物は力を取り込める。そのせいもあって、クリームやスピアー、兎部隊も日々強くなっているのだ。
「まさか兎さん達もトラノスケ殿の手がけた魔道人形だったなんて。私は最初から、貴方に救われていたのですね」
「あいつらには遭難者があれば助けて連れてくるように魔石契約をしてあるんだ。それに従ったんだと思うが……最近自我が生えてきた気がするんだよな」
自我などない低級のホーンラビットの魔石だったが、クリームやカフィの話によれば魔素を取り込む事で魔石は成長する。彼らも経験値をつみ、ここで生活するうちに成長したのかもしれない。
そのくらいには個性が出始めている気がする。
そんな話をすると、エルレーンはまた不思議そうに、でも好奇心の見える顔で頷いた。
「凄い事ですが、何よりも見た目の可愛さで癒されます。城にも欲しいくらいです」
「Sクラスの魔物の魔石には自我を持つ物が多いから、あれば作れるぞ」
「その前提条件が、既に個人の手に余るのですよ」
アロイスと似た反応をされた。
だがまぁ、とりあえずリビングで経緯とか、詳しい話とか、今後の方針を決めていこう。既に乗りかかった船だ。見捨てる事はない。




