第6話 邂逅
サンチェンス・フォン・ヴァニシアと名乗った青年の正体に我は内心、少なからず驚いていた。ヴァニシア公爵家と言えば、王国南部一帯を治める高位貴族。そんな大貴族の嫡男が地位に対して明らかに少ない護衛を伴い、こんな辺境の草原で賊に襲われているとは…予期せぬ出来事だった。
血痕と灰、死体が残る戦場跡地を一瞥する。交戦があった草むらがひどく乱れている。
「ヴァニシア公爵の高名は、某のような教養なき田舎者の耳にも届いております。終ぞ知らず大変失礼いたしました」
そう言いながら、武器を鞘ごと外して地面に跪こうとする我を、貴族の令息が手で制した。月の光が湖底に積もるかのような青い目でこちらを見据える。
「アキト殿は共に戦ってくれた戦友、そう畏まる必要はない。そもそも其方は苦境を救った恩人。こんな草原で跪かれてはヴァニシア家の沽券に関わる」
彼の言葉には、驕りのない誠実さが感じられた。我はゆっくりと立ち上がり、青年の負傷した肩へ視線を移す。
「一先ずお怪我の手当てを。幸い回復薬を所有していますので、微力ながら助けになるかと」
腰の小袋から青緑色の液体が詰まった小瓶を取り出すと、貴族の青年は歓喜を言葉を上げる。
「おぉ、実にありがたい、この謝礼は必ず約束しよう。回復薬まで携えているとは…旅人と侮っていたわけではないが、やはり其方…只者ではあるまい」
「はは、旅の心得の一つです」
我が軽く笑って受け流す。瓶の栓を抜き彼へ差し出すと、傍らに控える初老の騎士が慎重な様子で前に立ちはだかった。手は剣の柄に触れ、突然現れた我を警戒している。
「坊ちゃま、そのような得体の知れぬ飲み薬――」
「心配無用だ爺。アキト殿は我らを救ってくれた。ここで疑うのは礼を欠く」
「…では先に儂が試飲しましょう。構わぬか、アキトとやら」
険しい眼差しを崩さず、爺と呼ばれた初騎士が一歩前へ出る。長年の修羅場を潜ってきた者特有の圧があった。護るべき主君の前に突如現れ、魔物の群れを一瞬で消し飛ばした得体の知れぬ旅人。警戒するのは当然。
あるいは、仙気と一体化している我の強者なしからぬ雰囲気が、戦場を生き抜いてきた騎士に余計な警戒心を与えたのかもしれない。
「もちろん構いません。毒など仕込むつもりはございませんゆえ、安心を」
我は軽く頷き、小瓶を騎士長へ差し出した。
実際、小瓶に入れた回復薬は仙術で調合した霊薬。仙気を宿さない人でも副作用が出ないよう効能を調整している。かのほどの武人なら、寧ろ体内に巡る気が整えられて心地よく感じるはず。
「では失礼して」
小瓶を手に取った初騎士は、慎重に香りを嗅ぎ、一拍置いてから少量を喉に流し込む。厳しい表情が、瞬く間に驚きへと変わっていく。
「これは…古傷の痛みが和らいでいく。指の痺れも消えた」
「爺、どうだ?」
青年が心配そうに覗き込む。老騎士は小さく息を吐き、まるで不本意だと言わんばかりに眉根を寄せつつも、絞り出すように告げた。
「紛う事無き、良質な薬にございます。毒探知の魔道具にも反応はありませんでした」
その声音には、驚愕と、認めざるを得ない悔しさが混じっていた。老騎士は改めてこちらに向き直る。
「アキトとやら、先ほどは無礼を働いた。若君を守護する身ゆえ、どうかご容赦願う」
「気にしておりません。あなた方の立場を思えば当然のこと。むしろ、信用していただけたようで何より」
我がそう返答すると、老騎士はほんの僅か目を細めた。数々の戦いを制してきた歴戦の勇士の眼差しから敵意の色が消えた。警戒心はそのまま、力量を認めた者へ向ける敬意の視線が加わる。
「では、坊ちゃま。どうぞお召し上がりください。肩のお怪我、すぐに癒えましょうぞ」
小瓶を受け取った青年は迷いなく傾け、残りの液体を飲み干した。霊薬が体内へ広がり、負傷部位を内側から縫うように修復していく。
「凄いな、回復魔法が翳むほどの効き目だ。寧ろ力が沸き上がってくるぞ」
見る見るうちに傷口が塞がり、残るのはうっすらとした赤みだけ。彼自身も薬の効果に驚き、肩を触れ指先で癒えた切創をなぞる。
「動かしても痛みがない、信じられない効き目だ。感謝するアキト殿。自ら調合を?」
「はい。東の国でひっそり暮らす集落で得た調合法でございます」
怪我は完全に癒え、満足そうに肩を軽く回す彼の問いに我は控えめに説明した。
「旅の道中、様々な薬草を手に入れまして」
「いやはや本当に助かった、アキト殿。この質のポーション、王都の薬師でもなかなか作れぬだろう」
そう言い終えた彼は、ふと表情を曇らせ、散在する護衛の姿へ目を向けた。戦闘で死者こそ出ていないが、多くが負傷し地面に横たわって呻いている。
「…アキト殿。もし予備の薬があるのなら」
サンチェンス・フォン・ヴァニシアの青い瞳が、部下たちへ向けられる。痛ましげに、慈しむように。
「身を挺して私と家族を守った我が騎士たちに分け与えていただけないか。もちろん相応の報酬を約束する」
その声音には、主君として部下を思う真摯な責任感が滲んでいる。負傷しながらも警戒態勢を崩さぬ騎士たちを見るに、彼らが主君に忠誠を誓うのも肯ける気がした。
生まれながらに持つ大貴族のカリスマ性がそこにあった。
「ええ」
我は静かに頷き、腰に下げた小袋の紐を解いた。には不測の事態に備えた霊薬が三本残っている。小瓶の感触を指先に捉えた、その瞬間。
バンッ!!
豪奢な馬車の扉が唐突に勢いよく開き、乾いた草原に響き渡る。思わず我々は振り返った。
「サンチェンス様!ご無事ですかっ⁉」
「奥様⁉外はまだ危険でございます!中へお戻りを!」
風に揺れる絹のような黄金の髪、太陽を受けて宝石のようにきらめく琥珀色の瞳。深紅のドレスの裾がひとひら舞い、まるで絵画から抜け出したかのように華やかな女性が、馬車の踏み段を一気に降りた。
「シェヘラザード⁉大事はないか!愛しのフランソワは!」
シェヘラザードと呼ばれた女性が、涙目のまま一直線に駆け寄り青年に勢いよく抱き着く。抱きつかれた青年は半歩よろめきながらも受け止め、宥めるように背を撫でる。
彼が声をかけると同時に、彼女の後から侍女らしき女性が慌てた様子で馬車から現れた。侍女は腕に何か柔らかい布…小さな毛織りのおくるみをしっかりと抱えている。
「ご無事なのですか!怪我は⁉命に別状は⁉」
「お、落ち着けシェヘラザード。見ての通り怪我は既に完治した。ほら、動かしても痛みはない」
彼は安心させるように腕を回して見せた。しかし、女性の方は不安の色を完全に拭えず、汗と土で汚れた胸元に顔を埋めたまま震える声で続ける。
「でも…剣戟の音、野蛮な叫び声、あなたが肩を押さえていた光景を見て、居ても立ってもいられなくて…っ」
侍女もまた深刻な表情で駆け寄り、抱えていたおくるみをそっと開いた。気配で既に生命の鼓動を感じていたが、白い布の中には、小さな小さな赤子がいる。恐らく生後5ヶ月だろうか。
眠っているのか、戦闘の後でも口をふにゃり窄めて寝息を立てていた。青年は赤子の姿を確認すると、ほっと息を吐き、籠手を脇に挟み優しく頬に触れる。
「フランソワ…私たちの天使。無事でよかった」
「ええ。揺れで少し泣いただけですわ。今は落ち着いていますの」
サンチェスのつぶやくような声に、妻のシェヘラザードもようやく顔を上げ、揺れる涙で曇った瞳で二人を見つめた。そして、彼女は侍女からおくるみを慎重に受け取り、小さな命を自らの腕に抱きしめる。
その時、不思議なことが起きた。
おくるみの中でスヤスヤ眠っていた赤子が、微かに身動きしたのだ。長い睫毛がふるえ、小さな唇がもぐもぐと動く。やがてゆっくりと、薄く青みがかった瞼が開く。
その瞳は父親譲りの碧眼、まだぼんやりとした輪郭しか捉えられないはず。なのに――。
真っ直ぐ、サンチェンスでもシェヘラザードでも侍女でもない、少し離れた場所に立つ我を、まっすぐに見つめた。
「ぁ…あぅ」
小鳥のような声。フランソワはおくるみから片方の小さな手をゆっくりと伸ばす、我の方へと。




