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月の仙人、異世界に降り立つ  作者: 名無しの戦士


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第5話 その名はアキト

「戦闘の気配…」


 季節はいかにも初夏らしく、澄み渡る青空には雲ひとつ見えない。草原を撫でる風が乾いた大地を低く這っていく。


 大陸最東端から出発して始まりの地へ戻った我は、半年かけて最南端の崖に辿り着いていた。視界の果てまで広がる海の方から吹く潮の匂いを満喫しつつ、この数日間は野宿して過ごした。

 

 ここ一帯は『沈まぬ太陽の国』と呼ばれるプロミネンス王国の領南方、ヴァニシア公爵家が治める領地。


 大陸南部特有の温暖な気候に恵まれ、陽光をたっぷり浴びた穀物の実りを豊かにする。金小麦や葡萄、香辛草を始め「太陽の涙」と称される琥珀色の蜂蜜や、光を閉じ込めたような柑橘類の特産で知られる。他国や南西諸群島を繋ぐ貿易都市の主要港には毎日多くの船が行き来し富を集める。


 街道を行き交う商隊の列は絶えず、絹と宝石が溢れる市では、太陽を模した金色の装飾品が高い経済力の象徴として扱われている。




 吹き渡る風の漣、耳に届いてきた怒号、金属がぶつかり合う甲高い音を聞いたのは、北上する帰り道のことだった。

 

 一拍置いて足を止める。記憶が正しければこの辺に村や集落などない。あるのは、黄金色の絨毯を敷き詰めたような草原地帯のみのはず。

 

 気で研ぎ澄ませた聴覚を頼りに、音の距離を測る。およそ一キロ先からだ。


「様子見するか」


 地上に降り立って以来、我に襲いかかる魔物や盗賊は数知れず。しかし世俗の争いにはあえて関わらなかった。だからと言って、聞かなかったフリしたまま極楽蜻蛉で明日を迎えるのは、仙人以前に男が廃る。…迷いは消えた。


 足裏に自然が生み出す気を溜める。風が一拍遅れて衣の裾をはためかせた。


「縮地――」


 軽く地を蹴った瞬間、草が弾け、世界が線のように流れる。空気が裂け、衝撃音を置き去りにする。一呼吸で、距離を霧散させた。


 周りが良く見渡せる近場の丘へ着地した我は、眼下に広がる光景を目の当たりにする。明らかに普通ではない襲撃劇だった。血と焦げた油の臭いが鼻を突く。


 三台あるうちの一際目立った、黒塗りの豪奢な馬車を騎士らしき護衛たちが必死に守っている。脇目も振らず襲撃する賊の数は50近く、粗末ながらも統一された武装。

 騎士達も奮戦しているが、数名が致命傷を負い地面に倒れていた。土埃にまみれ、赤黒い染みがあちらこちらに散らばる。


 皮鎧に鉄兜を着用した頭らしき賊が吹いた不気味な笛の音と共に、地中から魔物まがいの黒い影が這い出してくる。


 前方では、剣を握った若い貴族らしき青年が立ち塞がっている。緻密に計算された正しい剣技で敵を斬り捨てていくが、数の不利に押されていた。金糸で刺繍された仕立ての良い外套は裂け、肩からは血が流れている。


「オラァッ!死ねぇクソ貴族ぅう‼」


 賊の一人が咆哮し、肩よりも太い斧を振り上げる。青年は防御姿勢を取るも、呼吸が乱れ体勢が崩れている。このままでは間に合わない…そう確信した瞬間、我の身体は既に動いていた。


 空間を蹴る。音が消え、百歩の距離を一瞬で縮めた。後ろで結わえた髪の尾が躍る。

 

 周囲の景色が薄れ、我の視界の中でただ一点、頭上目掛けて振り下ろされる刃が鮮明に映る。


 まだ年若い貴族と賊の間に入った我は、斧が首筋に触れんとした瞬間、腰に差した片刃剣を抜き放つ。金属と金属がぶつかる高音が弾け、火花が散った。


「な、何者だテメッ!?」


 何処からともなく出現した我の姿に賊は恐怖を露わに顔を引きつらせる。我は無言を貫いたまま手元を翻して刃を滑らせ、頬を掠めるように斬り払う。


 目の前の首筋に一閃の赤い線が浮かび、夥しい血が噴水の如く飛び散る。膝を折るように崩れた賊を横目に我は間髪入れずに動く。


 丹田に練り込んだ内勁を右足裏一点に凝縮し、一瞬の縮地で距離を断つ。無駄な駆動がないため事前動作を識別できない応用術で、後方の弓使いの間合いを詰めた。


「っな⁉」


 人の気配を感じる豪華な馬車へ目標に矢を番えた輩の眼前に、消えた我が再び姿を見せた。驚きで弦から指が離れる寸前、体を捻じって逆袈裟を振るう。刃先が薙ぎ払う軌道を描き、弓ごと斜めに一刀両断する。


 我の出現で僅かに沈黙が訪れた戦場だったが、息を吹き返した騎士達が反撃に転じる。


 顔だけ振り向いて、助けた貴族の男性を確かめる。彼は傷を負った肩を押さえながらも、怯むことなく剣を握り直している。高級そうな外套は汚れ、顔には泥と汗が混じっていたが、気概が全く消えてはいない。


「な、生意気なクソ餓鬼に好き勝手させるな!魔物共ッ、あの小僧を食い殺せ‼」


 魔物を操るリーダー格が我を指差し魔物をけし掛ける。笛の効果で理性が暴走した無数の魔物が一斉に襲い来る。牙をむき、土と黒い瘴気が混じった異形の獣の放つ不気味な咆哮が空気を震わせる。


 素早く、不規則な動きで左右から瘴気を纏わせたオーガが巨体を揺らしながら迫り、背後からは理性を無くした狼系の魔物が飛び掛かる。


「逃げ場を潰す狙いか」


 軽身功を応用し剣を宙に浮かして両手を広げる。百年の月面修行で培った仙気が手に集まり膨大なエネルギーが緑青色の光球へと凝縮する。掌先より銀白の光芒が撒かれ、膨らんだ気が草を騒めかす。


 両手に集った仙気を拍手をするように強く打ち鳴らした瞬間、無方向へと衝撃波が奔った。見定めた魔物たちだけを識別して襲うその波は、音もなく群れを呑み込み、跡形も残さず霧散させた。


 仙気――それは天地万物に満ちる生命エネルギー。

 生命がその姿形を保つには、気の調和が常に維持されねばならない。もし気の均衡が乱れれば、純化は穢れ、肉体と精神に歪みを生じ、軈て崩壊へと至る。

 己の内に巡る気を磨き、自然の理と一体化した仙人は、自由自在に仙気を操り、己が意念ひとつで森羅万象の理を変えることすら可能とする。即ち、気を操る仙人は再生と癒しをもたらす一方で、破滅を招く力も併せ持つ存在。


 故に仙人は、月の世界樹が認めた者のみが、その力を正しく振るうことができるのだ。


「な、なんだこれは…⁉」

「魔物が、一瞬にして消え去った…?」


 貴族らしき若者と守護する騎士の驚愕する言葉を背に、我は再び剣を手に取った。


「くっ…たかが小僧一匹にィ、舐められてたまるかぁッ!」


 頼みの綱であった魔物の群れが壊滅したことで、戦意を喪失した賊の大半が騎士に討ち取られる。しかし太陽の光を反射した頭部が特徴的な頭領は、怒号を上げて再び笛を口元に運ぼうとする。我は瞬時に距離を詰め、彼の眼前に着地すると同時に剣を閃かせた。

 

 魔物を呼ぶ笛は掌先に触れる前に砕け散り、首領は驚愕に顔を歪めたまま向こう側へ吹き飛ぶ。


 十メートルほど吹き飛ばされた賊の頭領は草地に転がり、うめき声一つあげずに気を失った。深深く昏倒する彼の姿を一瞥すると、我はくるりと身を翻した。


 剣を払って血を拭い、静かに鞘に戻す。金属がすっと収まる音だけが、草原の静寂に響く。


 戦いの終結を悟り、周囲の騎士たちから安堵の吐息が漏れる。傷を負った貴族の青年が、初老の騎士の肩を借りながらゆっくりと立ち上がった。息を荒げながらも、真っ直ぐにこちらを見据えている。


「高貴なお方とお見受けする。此度は災難でありましたな」


「…ご助力、感謝する。其方は何者だ?あの動き、一介の人の業とは到底思えぬ」


 当然の疑問だろう。風が草原を揺らし、黄金の波が我等を包み込む。我は短く息を整え、落ち着いた声で答えた。


「我――某は、偶然この付近を通りかかった放浪の者にございます。名をアキト。どうかお見知りおきを、高貴なお方」


 あえて多くを語らず、最低限のみを告げる。


「ふむ、旅人にしては教養がある。いや…今は詮索している場合ではないな」


 高貴な装束を纏った男は傷ついた肩を押さえながらも、気丈に姿勢を正す。そして深く息をつき、改めて我へ視線を向けた。


「名乗りが遅れた。私はサンチェンス・フォン・ヴァニシア。ヴァニシア公爵家の次期当主だ。…これも何かの縁、アキト殿、もし差し支えなければ、我らと共に王都まで同行してほしい。今の情勢、腕の立つ者の助けを得られるなら、それに勝る幸運はない」


 プロミネンス王国――またの名を、沈まぬ太陽の国。そこに何が待つのか、今の我は知る由もない。


 ただ…この邂逅こそが、地上に降り立った我が運命の歯車を大きく回すことになるなど…その時、夢にも思っていなかった。

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