第4話 サンチェンス・フォン・ヴァニシア
いつもと変わらない日々。執務室で溜まっていた報告書に目を通していた最中、王都に滞在する両親から緊急時のみ使われる早馬によって文が届いたのは二日前のことだった。
廊下から響く騒がしい足音に数人の文官が眉をひそめ、うち一人が席を立ちあがった瞬間――。
「サンチェンス様!急告っ、急告です!」
「何事だ?」
ノックもなしに開け放たれた扉に、即座に反応した護衛騎士が腰の剣へと手をかける。部屋の主である私の許可なく扉を乱暴に開ける行為は、無礼を通り越して危険行為だ。だが駆け込んできた若い従者の顔からは血の気が失せていた。
「王都の者だ、手を下げよ」
私が制すると、騎士は一歩退き柄から手を離す。半緑半茶のチュニックは埃にまみれ、役割を示す羽帽子は馬に踏まれたのか無惨に潰れている。昼夜を問わず馬を走らせてきたのだろう頬はコケ、額からは滝のように汗が流れていた。王都の屋敷で顔を見かけたことのある小間使いだ。
彼の慌てぶり、王都で由々しき事態でも起きたのか?胸に広がる不安を押し隠し、冷静を装って声をかける。…その前に。
「その様子では休憩を挟まず馬を潰す勢いで走ってきたな。…誰か、水を注いでやれ。息を整えてから話せ」
侍女が水差しを取り、器に注ぐ。透明な水面が揺れる音が執務室の静寂を際立たせた。私は無言で従者に差し出すよう促す。
従者は器を両手で受け取ると、がぶがぶと喉を鳴らして飲み干した。汗と埃で汚れた顔にわずかに血色が戻っていく。荒い息が収まるのを待っていると、彼はようやく顔を上げ、声を震わせた。
「ありがたき幸せです。サンチェンス様、王都より至急を要する文でございます。どうかこちらを」
震える手から差し出されたのは、公爵家の紋章で封じられた手紙だった。
「若様、どうぞ」
側近が受け取り机に置く。羊皮紙は当家のもの、本物に違いない。
私は机上の短剣を取り、封蝋に刃を滑らせる。小さな音を立てて蝋が割れ、羊皮紙を広げた。目に映る文字は紛れもなく父の筆跡。
「――なにッ⁉」
『国王陛下、急病により崩御。汝は妻と長女を伴い、速やかに王都へ参上せよ。一週間後に国葬を執り行う』
文字を追うにつれ、思わず声が荒くなる。視線を感じ顔を上げると、周囲の文官たちが不安げに私を見つめていた。
「国王陛下が…病により太陽の下へ旅立たれた」
「真ですか⁉」
「あぁ、我らが親愛なる国王陛下が…」
「王太子の儀もまだなのに…荒れますぞ!」
私の言葉に文官たちは動揺し、護衛の騎士でさえ顔を強張らせた。席から立ち上がりゆっくりと窓辺に歩み寄る。城の遥か向こう、王都の方角を眺めながら様々な思考が駆け巡る。
国王陛下は御年60、命を脅かす持病の噂など一度として耳にしたことはない。
嗜好品も嗜まず、節制を旨とされ、若き日より武を嗜んだ方。食材一つにまで細やかな注意を払っておられた。
正妃との間に世継ぎは恵まれなかったが、両陛下の仲睦まじさは国中の誰もが知るところだった。
その陛下が「急病」で逝去…だと。
胸の奥底に、得体の知れぬ危惧がじわじわと広がっていく。
「民草に流布すれば、国内が疲弊しかねぬ」
「隣国に付け入る隙を与えることにも!」
「王位後継者が未決のままでは…宰相派と元老院派の動きも懸念されますぞ」
「第三王妃と繋がっている噂も…」
「しっ、口を慎め!虚実混交の話を鵜吞みにするな」
厚いガラス越しに映る私の背後では、文官たちが互いに顔を見合わせ小言で囁き合っていた。私は深く息を吸い、決意を込めて振り返る。
「即刻、出発の準備を始めよ。護衛25名、魔法使い5名を動員。馬車は3台準備せよ。妻には私から説明する。出発は二日後とする!」
『はっ!』
執務室が一気に動き出す。文官たちが一斉に立ち上がり、それぞれの役割に従って動き始めた。
「恐れながら坊ちゃま、境界線付近に不審な動きがあるとの報告が届いております。安全を期して兵力を増やされては?」
隣に進み出た騎士長が私のみ聞こえる低い声で忠告してきた。
「わかっている…あと坊ちゃまはやめてくれ」
机の上に広げた地図を指さし、声を潜める。
「陛下の葬儀に遅れるわけにはいかん。できる限り警戒しながら移動するしかない」
「御意」
騎士長は重々しく頷く、だが長い歳月を剣と戦場に捧げてきた騎士長は深い皺の刻まれた顔に鷹のごとき鋭い眼光を宿し、地図を凝視していた。記された村々や曲がりくねる各街道を、逃さぬ獲物を射抜くように目を走らせている。
私や爺も年を取ったな…。
「信頼のおける斥候部隊を移動ルートへ先行させましょう。危険の芽を幾つか潰せます」
「そうしてくれ。…妻と娘は絶対に護れ」
明確な意味を込めて騎士長を射貫く。
「っは!お任せを」
「…いずれにせよ、一刻も早く王都へ入らねばならん。いずれ空席となる覇権を巡り醜い権力争いが起る。状況を見極めなければ」
言い終えた私は視線を床に跪いて待機していた若き従者に向けた。
「ご苦労だった。命を削ってまで報せを運んでくれたこと、決して忘れぬ。直ちに父上宛ての返事を書く」
抽斗から羊皮紙を取り出し、羽根ペンをインクに浸す。父上が急ぎ文を寄越す以上、王都の情勢は一刻を争う状況下のはず。
…羽根ペンの先を軽く整え、羊皮紙に走らせた。書き終えた文字が乾く間、私は従者へ視線を戻す。
「返事を持ってすぐに出立せよ。だが、飛ばしてきた早馬の代わりを手配する。三番厩舎の世話人に緊急事態と告げれば持久力に優れた在来種の馬を回してくれるはずだ。それならば王都まで走り抜けられる。…それと飲食物と金一封を侍女に持たせる。出発前に受け取れ」
私の言葉に従者は深く頭を垂れ、声を震わせながら応じる。
「御心遣い、痛み入ります。必ずや公爵家の威信にかけて、公爵閣下へお返事をお届けいたします!」
従者の姿に私は小さく頷き、蝋で封じた封書を彼に渡す。
「では、行って参ります」
短い言葉を告げた従者は立ち上がり、背筋を伸ばしたまま部屋を後にした。その後ろ姿は使命感に燃えていた。彼を追うように騎士長も部屋から出て行く。
「…胸騒ぎがする」
窓辺に立ち直した私の口から、思わず言葉が零れた。
この旅路が平穏無事では終わらぬ予感が、妙な確信を残していた。
三日後。私が感じた前兆は的中し、ヴァニシア公爵家の運命を大きく左右することになるとは、この時まだ知る由もなかった。
事態が変化したのは領地を出発した翌日。我ら一行は森を貫く大街道を避け、あえて周囲に遮蔽物のない草原地帯を進んでいた。遠くを見渡す限り両脇に広がる波立つ黄金色に輝く草の海。
眼を遮るものもない平地は、森を根城に旅人や商人を襲う山賊、魔物の潜伏を防ぐにはうってつけ。
車輪が乾いた土を轍で刻み、時折吹き抜ける風が馬車の窓を揺らす。馬車の中では妻、シェヘラザードが沈痛な面持ちで外を眺め私の手を握り、乳母の腕に抱かれた愛娘フランソワがスヤスヤ眠りについていた。天使の様なあどけない笑顔を見るだけで、わずかに安らぎを覚える。
しかし――その安らぎは唐突に破られた。
「坊ちゃまッ!」
轟く馬蹄の音。既に剣を抜いた騎士長が手綱を操り馬を並べ、窓越しに顔を差し入れてきた。その老練な表情には、戦場と実戦を幾度も潜り抜けた者ならではの切迫と覇気が身体より発している。
私が返事をする前に彼は状況を報告する。
「前方、左側から多数の武装集団!賊の襲撃です!」
馬車の中に重苦しい空気が一気に広がる。
「数は?」
妻と乳母を動揺させないよう冷静に尋ねる。
「50は下りません!奴ら、どうやら土魔法で簡易的な塹壕を掘り、我々が通過する機会を窺っていたようです!」
予想以上の数に妻が小さく息の呑み、乳母はフランソワを抱きしめて震えた。強張った妻の手を強く握り返し、安心させるように短く告げる。
「大丈夫だシェヘラザード。私の帰りをフランソワと一緒に待っていておくれ」
彼女は不安げに揺れる瞳を私へ向け、やがて唇を噛みしめて小さく頷いた。
私はすぐさま扉を開け放ち、馬上の騎士長に指示を飛ばす。
「全軍に通達‼私も前に出る!馬車を中心に半円の陣を敷け!魔法使いは後列から火魔法で牽制!守護魔法も並行して詠唱を唱えよ!」
「はっ!お前らッ!坊ちゃんの命が聞こえただろ!奥方様の馬車に傷一つ付けさせるな‼総員、抜剣!」
『おおうッ‼』
「殺せっ!殺せっ!皆殺しだぁ!」
「ひゃあああっフウゥ‼久々の殺し!久々の女だぜえぇ!」
「オラオラア俺様の斧の錆になれぇクソボンボン共ょ~!」
こちらを目標に一直線に突っ込んでくる十人程度の賊、そして地中に潜伏していた数十を超える人影の群れが武器を掲げ、砂煙を上げて這い出てきた。彼らの手に剣、槍、棍棒、斧が握られ、粗末ながら武具は整っている。計画的な奇襲だ。
明確に感じる闘志、肌に刺さるような煮えたぎる殺意。
「間違いなく、狙いは我らだ」
低く呟いた瞬間、首脳らしき輩が腰から笛を模した道具を取り出し、唇に当てたその瞬間、耳障りな音が響く。
直後、賊が身を潜めてた塹壕の片隅から魔物の咆哮が重なり合い、重々しい響きとともに地面が爆発し砂埃が巻き上がる。
「魔、魔物だッ!奴等、魔物呼びの笛を持っているぞ‼」
敏捷に幌を伝い、一瞬で食料を積んだ馬車の屋根に立った射手が叫んだ。次の瞬間、亀裂から黒い影がにゅう、と這い出してきた魔物の影。這い出た魔物は牙を剥き、唸り声を上げてこちらへ向かってくる!
馬車を一瞥すれば中で怯える妻と乳母の姿、ふとフランソワの小さな手が布の間に見えた。
「(守らねばならぬ!)」
私は前に出る。大盾役を固めるよう指示を出しつつ、自ら剣を抜いた最前線へと駆け出す。
「はあアッ!」
理性を失い、本能のまま振り下ろされた魔物の腕を交わし、カウンターの一閃で首が宙に舞い、血飛沫が草地に散る。
今度は槍を構えた襲撃者の穂先を弾き、人間の急所である首元目掛けて高速の突きを放つ。鍛錬を怠らぬ宮廷剣術の突き攻撃は正に一撃必倒。
銀刃が鳴き、呼気が裂ける音が耳に刺さる。驚愕の表情を浮かべた賊の男は何が起こったか分からず膝を折る。剣を抜いた傷口から血が飛び散り、草原に小さな赤いアーチを描いた。
一瞬の静寂。しかし戦場に静寂は続かない。残る賊どもが怒声を上げ、私の首を取ろうと一心不乱に襲い掛かる。魔物の咆哮が途切れず、鉄と酸臭の異臭が鼻孔をつく。金に目が眩んだ狂気混じりの笑い声、甲冑の軋み、誰かの喚声、鉄と鉄が打ち合う金属音が混合一体となり、私はその渦中で銀色の刃が絶えず閃いて、次から次へと敵を斬り伏せていく。
「はぁはぁはぁ――ッ⁉」
何分経過しただろう…斬っても斬っても数は減らない。数の不利に押され次第に防戦へ追い込まれていく。
剣を握る腕が痺れ、肺は焼けつくように熱い。右肩に鈍い衝撃を受け、鎖帷子はひび割れ、血が袖口から滲んだ。呼吸が乱れる。
振り返れば、馬車の中で怯える妻と幼子の姿。守らねばならぬものは眼前にあるのに、現実は無情に迫っていた。
胸の奥底に、冷たい予感が走った刹那。
耳を裂く剣戟の音が弾けた。
私に迫っていた敵兵の斧が、何かに弾かれて宙を舞う。
「な――!」
驚愕する私の視界に飛び込んできたのは、一人の男。否、青年と言っても過言ではない。
見慣れぬ民族衣装を着こんだ青年。長く伸ばした黒髪を一つに束ね、風を切って揺らしながら、音もなく颯爽と私の前へと躍り出てきたのであった。




