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月の仙人、異世界に降り立つ  作者: 名無しの戦士


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第18話 月の仙人vs暗殺者 その2

 落ちた暗器で喉を貫通した双剣使いの黒づくめが崩れ落ちる。絶命した骸が地面に触れるより早く身体を反転させた我は、右から迫る投擲ナイフの軌道を最小限の動きで回避する。


 空気を切り裂く毒刃の風圧が襟足を揺らす。その刹那、我は仙気を込めた左拳を突き出した。


「――浸透勁」


 地面を這うような低姿勢から斬り込んできた暗殺者の額を小突いた。雪玉でも当たったかのような、あまりに微弱な衝撃。

 だが、その刹那に叩き込んだ仙気は脳を透過し、一息に心臓へと駆け抜ける。内側から機能を喪失し、全身の毛細血管が音もなく霧散した暗殺者は、悲鳴を上げることすら許されぬまま糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。


「(仲間の死を前にしても、感情の起伏に変化なしか)」


 二人の仲間が絶命して残る奴らの瞳に揺らぎはない。悲しみも怒りもなく、まるで戦力が一部減少した程度の実状を淡々と処理して、即座に欠員を埋める最適な陣形へと移行する。人間というより、壊れるまで止まらない機械の群れだ。


闇爪(シャドア・ツー)


 統制された動きで四人が左右同時の猛攻を猛攻を畳みかけてくる。それらを全て捌いていると、後方に下がった一人が闇の魔法を詠唱した。声の高さからして娼婦に紛れていた女人。ポンチョの裏に隠していた魔法触媒のガラスペンの先端をこちらに向けている。


 

 この世界には「第六本源」と呼ばれる六つの属性、火水風土、そして対極に位置する光と闇が存在する。

 大半は初段魔法までなら属性を問わず一通り扱えるが、その先の高み。ランク2以上の魔法を行使するには生まれ持った『得意属性』が不可欠となる。

 多くの者は四元素の火、水、風、土のいずれかに適合するが、稀に光や闇を得意属性として授かる人間が生まれる。

 しかし闇属性の持ち主は、往々にして裏稼業へと流れ着くのが世の常。


 人は本能的に光へ希望を見出し、闇を恐れる。故に闇の得意属性を持って生まれた人は差別と軽蔑に晒され、表社会での居場所を失う。

 反して、日が姿を隠した暗中に活動する裏の住人にとって、これほど重宝する力はない。視認すら困難な闇の魔法は、確実に死を届ける至高の凶器なるからだ。


 話が脱線した。


 二条の黒い斬撃が放たれる。魔力を物理的な鋭利さに変換した攻撃魔法が正面から奔る。躱すのは容易い。しかし背後の宿に直撃すればサンチェンス達が危ない。煩わしいことに、羽虫のように宙で舞うワイヤーが邪魔だ。


 ならば斬るのみ。


「魔封斬!」


 水平に剣を滑らす。刀身に纏わせた仙気が夜の帳を翡翠色に塗り潰す。放出された魔法が剣筋に触れた瞬間に霧散した。攻撃に込められた魔力の発現そのもの、気による均衡の乱れで中和する。

 同時にずっと我の出方を伺っていた鬱陶しい極細ワイヤーも剣圧に巻き込んで千切れ飛ばす。


「「――ッツ⁉」」」


 何事にも動じなかった奴らが初めて人間らしい反応を露わにした。


 無理もない。常識において、魔法への対抗手段は原則として二つしか存在しない。


 放たれた魔法と同等の魔法質量をぶつけて相殺するか、あるいは魔力障壁を展開して受け止めるか。


 魔力ゼロの物理的な斬撃で「魔法」と言う現象を打ち消すイメージなど、特にこの世界に生まれた者ならば湧きようもないだろう。

 ましてや闇の得意属性者が放った、暗闇に同化した殺傷力の高いランク2の魔法を魔術師じゃない剣士が一振りで無に帰したのだ。


 起こった現象が奴らの常識を根底から壊し、思考を強制停止させた。


「勝機ッ!」


 行動を止めたコンマ数秒。達人同士の殺し合いにおいて永遠に等しい致命的な隙となる。


 重心を沈めた我は独楽のように回転しながらその場で剣を一閃。左右から挟撃しようと踏み込んでいた二人の暗殺者は反応を鈍らす。描かれた銀の円月が、彼らの胴を音もなく通り抜ける。二人は勢いのまま数歩進もうとし――ずれて、落ちた。


 上半身、下半身が泣き別れ、血が間欠泉のように噴き出す。袖に血飛沫が付着した。


 我の反撃は止まらない。同時に足元に落ちていた双剣の片割れに左手をかざす。


「軽身功」


 自他の重力を変動させる仙術で吸い寄せた湾刀を流れる動作で順手に掴み、そのまま前方を目掛け射出した。強烈な縦回転を加えられた刃は、唸りを上げて星の光を裂く。それは水車のごとき円弧の軌道を描き、混乱のまま立ち尽くす女暗殺者へと襲いかかった。


「イッ――!」


 己に向かう何かに気付いた時は既に刃は通り過ぎていた。

 ドサリ、と湿った音が響く。

 音の正体は…ガラスペンを握りしめたままの右腕だった。


「グゥゥッ!!」


 悲鳴を上げないよう歯を食いしばって激痛を我慢するが、断面から脈打つように噴き出す鮮血は止めようもなく、彼女の双眸から力が失われていく。震える膝はもはや自重を支えきれず、やがて彼女は流した血溜まりの中へと無様に崩れ落ちた。


 気の流れから血液不足で失神したが、死んではいない…虫の息状態といったところか。


「っむ?」


その時高級宿の二階、正確にはサンチェンス達が泊まっている部屋から魔力の波動が広がった。宿の一室を包み込むように展開される結界魔法の気配。爺たちが守りを固め終えた証だ。強固な結界が固定された今、半端な攻撃では突破できない。


 二階の安全は確保された。これで、背後を憂う必要はない。


「お前たちの勝算は既に消え失せた」


 剣を鞘に戻した我は左足を半歩引き、重心を深く落とす。親指だけがわずかに鍔に触れ、刃を覗かせると同時に、鯉口を切る『カチリ』という乾いた音が夜の庭に響いた。視線は相手の全体を据えたまま、微動だにしない。月で鍛錬を重ねた自然の所作により、呼吸さえ無意識のうちに止めていた。


 柄から流れ込んだ翡翠の仙気が刀身に収束し、鞘から零れる鋭い光が渦巻く。


 抜刀の構え。次の瞬間に放つ一太刀のために、空気が歪むほどの仙気を送る。


「一度だけ告げる…引け。今ならば、瀕死の女を連れて消えることを見逃そう」


 右手を柄頭に添えたまま、残る暗殺者たちを見据えて言い放つ。これは仙人の慈悲。勝敗が確定した以上、無用な殺生は無意味と断ずる。


 しかし、二度目はない。


「少しでも前に進めば…斬る」


 なおも収束を続ける片刃剣が、今にも放たれる瞬間を待って震えている。


「「「…」」」


 時に言葉は、刃となる。我の全身から、魔力とは程遠い仙気が周囲へと満ちていく。未知のエネルギーが直接奴らの肌を刺す。暗殺者たちの間に微かな動揺が走り、息を呑む音が聞こえた。


 重い沈黙が流れた。


 夜風すら止まった静寂の中、芝生の擦れる音さえ聞こえない。我と奴らとの間に張り詰めた緊張だけが、空間を支配する。


 


 ――やがて。リーダー格と思われる人物が苦渋を噛み締めつつ、絞り出すような声で合図を送った。


「…撤退する。全員、退け」


 宣告と同時に、足元で煙玉が炸裂した。視界を塗り潰す紫煙を吸わぬよう、鼻腔を袖で覆う。煙幕の向こう側、奴らは吸い込まれるような速度で血溜まりの中に沈んでいた女の体と、その傍らに転がる右腕を回収すると、夜の闇へと溶けて消えた。


「うむ…騙し討ちを仕掛ける胆力はないか」


 気配が完全に消失したことを確認し、ゆっくりと柄に掛けていた手の力を抜く。カチリ、と剣身が完全に鞘に収まる音が、平穏の戻った中庭に響いた。


「(宿の従業員には申し訳ないことをした。朝の掃除には骨を折ることだろう)」


 小さく吐息をつき、背後の二階を仰ぎ見る。結界魔法の気配は依然として固く、サンチェンス夫妻とフランソワの安眠は守り通せたようだ。


 最後に我は、中庭に転がる物言わぬ骸を一瞥した。


「さて。これほどの手練れを惜しげもなく捨て駒に使うとは、背後にはかなりの大物が控えているようだな」


 独り言は冷えゆく星空の下に木霊し、静かに溶けて夜の一部へと帰っていった。

難産でした。

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