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月の仙人、異世界に降り立つ  作者: 名無しの戦士


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第15話 何歳?

 国葬という一国の式典が幕を閉じた翌日。早々に王都を離れた我ら一行は公爵領へ伸びた平穏な街道を進んでいた。


 行きと同じ豪華な装飾が細部まで施された馬車に乗るのはサンチェンスと妻のシェヘラザード、春の陽だまりのような安らかな眠りについたフランソワ、専属乳母のマティルダ。最後に帰り道も公爵家夫婦が乗る馬車に同乗する我の五名。


 窓から外を覗けば馬に跨った老騎士を筆頭に騎兵30、魔法使い15人。王都到着時より人数が多い理由は当然、サンハイド公爵からの貸与。我に敗北したとはいえヴァニシア騎士団から選りすぐりのメンバー。


 自らの栄誉、騎士としての矜持を踏みにじった我の存在に彼らの内心は穏やかではないだろうが、決して私情を露わにはしない。


 数日ぶりに我と再会したフランソワは手足をバタバタ振り、感情表現を豆柴のような愛嬌に大人の心を和ませた。シェヘラザード曰く赤子ながら好き嫌いが激しく、興味が目移りしやすいフランソワがこれほど相手に好奇心旺盛なのは極めて稀なことらしい。


「…アキト、質問よろしくて」


「っは、何なりとお尋ねください奥様」


 公爵家に金で雇われる事となり明白な上下関係が生まれた結果、口調が少し柔らかくなったシェヘラザードが我の全身を見据えながら口を開いた。

 話は逸れるが雇い主になったサンチェンスを「若様」と呼んだら苦虫を潰したような顔を見せた後、名前呼びを許された。王国の平民ですらない身分からしたら有り得ない待遇。


「お前は一体、おいくつなの?姿容は夫と同年代、一方で騎士百人を無傷で打ち勝つ卓越した武芸と時折見せる観察眼。若々しい外見、艶のいい肌とは裏腹に瞳の奥は長く生きた長命種のそれ」


 シェヘラザードの問いにサンチェンスもまた、以前から気になっていたのか興味深げに耳を傾ける。


「模擬戦の全容は私も聞き及んでいるわ。だから一層不思議なの、その若さじゃ天性の才能でもたどり着けない高みにお前は立っている」


 …隠すほどのことでもない。我は遠くに見える山の稜線を見つめながら淡々と答えた。


「歳でございますか?正確な年数を数えるのはとうにやめました。強いて言えば、皆様のご祖父様方よりも年長かと存じます」


 一瞬、馬車内の空気が凍りついた。サンチェンスは目を見開き、乳母のマティルダは「まぁ…!」と口元を押さえて絶句している。冗談を言っているようには見えない我の佇まいに、彼らは真実味を感じ取ったのだろう。


 シェヘラザードの反応は…『やはり』といった表情だった。


 驚愕よりも納得が先に立ち、彼女は小さく息を吐いてから開いた扇子で顔の下半分を隠す。


「なるほど、合点がいきましたわ。はしゃぐフランソワを膝に乗せて、脇を支えて揺らすアキトの様子が年寄り臭かったですもの」


「それより」――と、閉じた扇子の親骨を我に向けて言葉を続ける。


「私が知りたいのはその方法。淑女が探求してきた、美しさを維持する秘訣を教えて欲しいのよ」


 さらりと言ってのける声音は軽やかに思える。しかし彼女の瞳は冗談を許さぬ本気の眼光。ありきたりな伝承や秘薬の噂を伝えても納得はしないだろう。


 世界樹の許可が下りない限り仙術の真骨頂は教える訳にはいかない。だがきっぱり断っても我の印象が落ちるだけ。さすれば――と、我は少しばかり考え込み、彼女の真剣な眼差しを受け流すことなく言葉を選んで口を開いた。


「…奥様。某は開祖の師より弟子を取る許状を授かっておりませんので、詳細をお教えすることは叶いません。しかしご縁を頂いた恩に報いる為、方術の端緒であればお話いたしましょう」


 居住まいを正した我は膝の上で静かに掌を返した。指先に意識を集めて呼吸を一拍、手の平に露ほどの仙気が収束する。淡く、薄青から翡翠色へと移ろう光。魔力とは根本から異なる淡光に視線が集中した。


「某のような存在をこの世では仙人と申します。大地や自然が生み出す生命エネルギーを体内に取り込み循環させることで肉体の老化を遠ざけ、眠りや食欲といった人間が抗えぬ三大欲求を超越する修行。それが某の歩んできた道でございます」


「三大欲求すら…ですの?睡眠や食事も必要ないと」


 馬車内に小さなどよめきが走った。シェヘラザードは信じがたいといった様子で、今度こそ驚きに目を見開いた。


「左様でございます。欲求を断つのではなく、常時自然の気で満たすことで不要とします。不老化はその副産物に過ぎませんが、某が実年齢より若く見えるのも四六時中、体内を整え続けてきた結果に過ぎません」


「まるでおとぎ話の一角を聞いているみたいだ。ではアキトの師匠はいずこに?」


「上でございます」


「上…?まさかっ、古の伝承に語られる天空島か⁉雲海を越えた遥か高み、麒麟の民が今も住まうという伝説の浮遊大陸…」


 馬車の天井、あるいはその先の空を見上げたサンチェンスの声音には知的好奇心と、目の前の超常的な存在に対する畏敬が混じっていた。実際に我が指したのは空に浮かぶ月、その頂に座す世界樹のことなのだが、下手に詳しく説明して混乱を招くよりは、彼らの想像に委ねるのが賢明だろう。


 我は否定も訂正もせず、ただ曖昧に、肯定とも取れる深さで首を縦に振った。


 

 余談だが彼の語った天空島は実在する。世界樹と意識をシンクロさせ、月より世界を俯瞰していた折のこと。


 南大陸の彼方。空そのものが歪み、幾重にも重なった雲が巨大な渦を成して回転する異質な天象があった。雷光を孕んだ灰白の雲壁は、全てを拒む天海の要塞。


 その渦雲の中心。悠然と泳ぐ島があった。


「そうか…道理で欲が薄いに関わらず、圧倒的な力を持つわけだな。世の巡り合わせとは、真に奇異なものだ」


 サンチェンスが感嘆を込めて笑い、揺り籠の中で安らかな眠りにつくフランソワを見つめた。シェヘラザードもまた、合点がいったように扇子をパチンと閉じる。


「自然との循環。美の秘訣が世捨て人の修行にあるとは、流石の私も真似できそうにありませんわ。ですがアキト…その気とやらが肌にいいのであれば今度詳しく、噛み砕いて教えて頂戴。弟子になれずとも、その恩恵に預かる権利くらい雇い主として主張してもよろしくて?」


「っは!某の及ぶ範囲で、善処させていただきます」


 彼女の飽くなき探究心に苦笑を禁じ得ず、我は深々と頭を下げた。仙術を使わない『気』のみ軽く教える程度なら世界樹も大目に見てくれるだろう。…お咎めを受けないよな?


 この時は思いもよらなかった。


 揺れる馬車の中、安らかな寝息を立てる小さな命が、我の掌から漏れた僅かな仙気に無意識のうちに呼応していたことを。

 呼吸に合わせ、自然と気を取り込み、巡らせ、赤子の頃より仙気に触れてきたその影響が、やがて常識の枠を踏み越え、我ですら言葉を失うほどの「才」となって芽吹くなど。


 魔法と仙気、その二つの相克する力を自在に操る者として、フランソワの名が王国の歴史に刻まれることになるのだが。それは彼女がもっと成長してからの話。

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