第14話 留守番
どんよりとして、重苦しい朝だった。
重く、湿り気を帯びた空気を吸い込み、肺の奥に溜まった澱を吐き出すように深く息をついて、我はゆっくりと目を開けた。
結跏趺坐の姿勢を保ったまま、瞼の裏に浮かんだ王都の気配を思い浮かべる。普段なら活気に溢れているだろう朝市は負の残滓で満ち溢れ、都市全体が深い悲しみと混沌とした不安の気に包まれていた。
太陽王と称えられた偉大なる王の崩御。今日執り行われる国葬に民は底冷えするような傷心と、蛇口のない陰湿。それらに混じって立ち昇る貴族たちの野心。
月の仙人として長年研鑽を積んできた我の五感にとって、粘り気のある空気はまるで薄暗い泥の中を歩いているかのような不快感。
「これじゃあ瞑想どころじゃないな」
立ち上がった我は机の上に畳んだ自分の上着を羽織りながら、昨日通された部屋を見渡した。
ここはヴァニシア騎士団宿舎の一室。
公爵邸の広大な敷地の一角に建つこの建造物は、実用性と堅牢さを絵に描いたような石造り。案内された部屋も、浮ついた装飾を一切削ぎ落とした武骨な空間。
広さは六畳ほど。厚みのある石壁、高い位置に設けられた窓からは鈍色の陽光が帯になって差し込んでいる。簡素な木製のベッドと机、そして私物を入れるための頑丈なチェスト。他の騎士たちも使っているという一般的な個室だが、野宿で夜を過ごしてきた身からすれば、雨風を凌げるだけで十分すぎる贅沢。簡素で無機質な一室こそ、何より落ち着く。
むしろ、あの応接室のような豪華絢爛な空間でなくて良かったとさえ言い切れる。
外からは、葬儀の準備に追われる騎士たちの慌ただしい足音と、遠くの大聖堂から響く弔鐘の音が聞こえてくる。
昨晩、公爵家の者から告げられた言葉を思い出す。
『アキト様。明日の国葬の間、貴方様にはこの部屋にて待機していただくよう、当主様より仰せつかっております。他派閥の貴族との不必要な接触、どうかご自愛を』
「(まあ、好き好んであんな殺伐とした式典に駆り出されるよりかは、大人しく待つのが賢明だな)」
王都の至る所から立ち昇る喪失の重みが、肌を刺す微かな振動となって伝わってくる。
「太陽王か…」
サンチェンスから伝え聞いた話によると亡き王は知と武、その両面において幼い頃より並ぶ者のいない神童と言われた稀代の傑物であったという。王が即位して以来、プロミネンス王国は飛躍的な発展を遂げ、国益はかつてないほどに増大した。王が自ら剣を握り、戦場に立って指揮を執れば、常勝無敗の伝説を築き上げた。
安泰と発展を与えた王を民は「賢王」と称え、救世主の如く崇拝した。然し…強すぎる偉業の光は同時に、巨大な影を生み出す結果となる。
王家の中央権勢が絶頂を極め、盤石の体制を築き上げた最中に訪れた唐突な訃報。国を支えていた巨大な柱が一本、音を立てて折れた。その瞬間を虎視眈々と狙っていた者たちが数多く存在する。王家に集中した権益を簒奪して己の懐を肥やそうと企む貴族派閥。さらに、兼ねてより領地拡大を目論む周辺諸国。他を数えればキリがない。
『ゴォーン、ゴォーン、ゴォーン』
弔いの鐘が鳴り響く大聖堂に貴顕たちが参列する裏側で、奴らは研ぎ澄ませてきた爪を剥き出しにして国内の獲物を狙っている。標的には王位継承権を持つ赤子のフランソワも含まれる。王国法では、成人を迎えるまで王位継承権の放棄は許されぬという。
一見すれば主を守護して秩序を保っている騎士たちの中にさえ、内奥に立身出世の野心と打算的な気が融合するのを、我の感覚は克明に捉えていた。
「単なる人助けが、権力バランスの行く末を左右する渦にまで繋がるとは…人生何が起こるか分からんものだ」
我は溜息混じりに独りごちる。行きがかりに賊を討ち、夫婦子供を助けた。そんな些細な善行が今や公爵家の「剣客」という雇用契約に化け、王国の権力闘争の真っ只中に身を置く数奇な運命となってしまった。
「雨雲や水の如く、成り行きに任せるしかないか」
石造りの壁から伝わる弔鐘の響き。低く、重い音は王都を包む雨が降り始めるまで続いた。
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