第13話 親子の会話
思いがけず公爵家の剣客として就職先をゲットしてしまったアキトは公爵家現当主サンハイドと念入りに交わした雇用条件、「フランソワの身の安全を最優先」「部下の騎士に剣術指導」「公爵家の名誉を傷つけた相手の処理判断」といった条項を書面に書き記した。一介の風来坊には破格すぎる給与も提示して。
サンハイドも近日中の国葬で忙しい身。詳しい内容は後日改めるとして、騎士長に寝床の案内役を命した。騎士長に伴われ、アキトが応接室を後にする。
重厚な扉がカチリと音を立てて閉まり、廊下を遠ざかる二人分の足音がやがて途絶える。その瞬間、室内に満ちていた空気が形を変える。余興から公爵家の中枢のみ共有する殺伐とした政略の香りに塗り替わる。
サンハイド公爵はワイングラスをサイドテーブルへ置くと、背後に控える老人に声をかけた。
「ロンスタリオン、どう見た」
声をかけられた老執事長は、静かに一歩前へ出る。丁寧に整えられた銀髪と、年齢に応じた深い皺が刻まれた顔立ち。深夜の海を思わせるほど深い黒の燕尾服は、塵一つ、皺一つとして許されない。糊のきいた立ち襟は雪のように白く、完璧な結び目を作った銀灰色のネクタイが差し込んでくる光を受ける。
彼の一族は四世代に渡りヴァニシア家の家宰として当主の影に寄り添ってきた、ヴァニシア家の生き字引と呼べる家系。血脈から伝承されてきた審美眼と忠誠は屋敷の誰よりも鋭く、同時に重い。
「左様でございますな、あの御仁…武芸の練達というお言葉では足りませぬ。万人共通の魔法による身体強化能力を一切使わず、摩訶不思議な技術と身のこなしのみで理をねじ伏せる。完成された武人の極致。あの若さであれほどの怪物が、なぜ今まで野に埋もれていたのか。それこそ最大の謎にございますな」
老執事の言葉には、長い年月を生き抜いてきた者特有の重みがあった。すると、その言葉を待っていたかのように、一言も発さず紅茶を啜っていたサンチェンスが、ふっと口角を上げた。紅茶に反射した瞳には先程までの「親馬鹿な令息」という仮面が剥がれ落ち、鋭利な知略家の顔が覗く。
「アキトは本当に良い拾い者だったよ。父上も同感でしょう?」
その声は、王都までの馬車の旅でアキトと陽気に話していた青年のものではない。相手の喉元に冷たい刃を突き立てるような、研ぎ澄まされた策士の響き。
「諜報員から知らされた奇襲の全容と転移魔法と思しき技術で現れた奴の人物像を聞いた時は、とんだマッチポンプだと思ったがな」
「…まぁ私も状況が状況でしたから当初は警戒しましたよ。でも彼は善人だった。潜り人で裏を取りましたが、実際ヴァルグレン丘の海岸沿いで野営の痕跡も発見しました」
「フン、それにしては随分と盛りが過ぎた報告だったではないか。サンチェンスよ」
サンハイドはジロリと息子を睨み据えた。優雅に足を組み替えたサンチェンスはティーカップの縁を指でなぞった。
「はて、何のことでしょう?」
「白々しい小童め。当初の目論見は適当に精鋭五人もぶつければ儂の納得を得られると踏んでおったはず。それがどうだ、報告の締めに余計な私情を挟んで儂を焚きつけたのは貴様だろう?」
サンハイドの言葉に、テーブルを挟んで座るサンチェンスが反射的に微笑む。まるで青い陰質の花のように美しい笑み。
事の真相はこうだ。
魔獣賊混合相手に鎧袖一触の働きを披露したアキトの実力を見抜いたサンチェンスは、当初から彼を公爵家の剣客として雇う腹積もりだった。圧倒的な剣術に、彼が魅せた謎の能力。命に関わる重傷者を瞬時に回復した霊薬。
正しくアキトの存在は黄金の卵を産む孔雀。
だが娘のフランソワのなつき具合は、子煩悩なサンチェンスの心に猛烈な嫉妬の火を灯す発端として十分。
「『あれは神話の再来だ』の『一人で竜魔を滅ぼせる』だのと、奴の実力を盛りに盛って語るからだぞ。命の危機を救った恩人相手に儂を利用して奴を叩き潰そうとしたのではないか」
「父上も人聞きが悪い。私は一心な思いでアキトがいかに凄まじいか、より鮮明に…わずかばかりの脚色を交えてお伝えしたまでですよ」
サンチェンスはそう言って嘯いたが、その瞳には冷徹な計算が宿っている。嫉妬という極めて個人的な感情をきっかけにしながらも、結果としてアキトに「公爵家最強」という確かな格付けを与え、口煩い家臣に存在を骨の髄まで認めさせた。誰も無視できないサンチェンスの功績。もしも分家の人間が御家騒動を企んでいても最高戦力が居る限り大人しくするだろう。
同時に旅人だったアキトを公爵家の後ろ盾という名の鎖を最良の形で繋ぎ止めることに成功したのだ。
「それに――」とサンチェンスは続ける。
「父上もノリノリで百人の包囲網を敷いたではありませんか。単なる法螺話で終わらせるおつもりでしたら、あそこまで騎士の闘気を上げる真似をしなかったはず」
優秀な息子から向けられる挑戦的な視線に、サンハイドは鼻を鳴らしワインを飲み干した。
「ついに念願の初孫と初顔合わせを楽しみにしていた儂の慶福を、横からかっさらう下郎に落とし前をつけさせるのは至極当然だろう。無粋に横取りされた祖父の怨嗟、同じ痛みを分かつ貴様なら理解できるはずだ」
「それは勿論ッ」
即座に頷くサンチェンス、応接室の空気がわずかに軋む。詰まるところ、二人ともフランソワが愛しくて仕方ないのだ。
「勢力図は書き換わるな」
ポツリ、呟くサンハイドの脳裏には百人の精鋭騎士を前にしてもなお、凪のような静寂を保っていたアキトの姿が焼き付いている。剣を握る多くの強者たちは力を誇示し、周囲を威圧することで己の優位を示す傾向がある。しかし当のアキトにはそれが一切なかった。百の敵意を前にしてなお、水面のように澄み切った精神。
サンハイドは戦場で数え切れぬほどの強者を見てきたが、あの質を持つ者は見たこともない。
「太陽王が崩御した今、この国は骨身を晒した獣も同然だ」
高位貴族の当主はそう低く告げた。
「国葬を境に、王家の威光は王太子が決まるまで落ちる。悲嘆に暮れる民の裏で、嗅覚の利く連中が一斉に動き出す。血の匂いを嗅ぎつけたハイエナどもがな」
天を仰ぐ王城の尖塔からその足元まで、彼は射抜くような一瞥でその全容をなぞった。サンチェンスに向き直ると、有無を言わさぬ重圧を以て言葉を継いだ。
「お前は国葬が終わり次第、アキトを伴って即座に領地へ戻れ」
「随分と急な話ですね。もう少し王都でゆっくりする予定でしたが」
唐突な指示にサンチェンスが眉を寄せると、サンハイドは鼻を鳴らした。
「甘い。観戦室にいた顔ぶれを思い出せ、家臣だけではない。使用人、警備の騎士、新参者、王城から派遣された目付。口の軽い鼠はどこにでもおる。魔力も使わず公爵家精鋭百人を圧倒した男の情報が、既に他派閥の耳に流れ始めている可能性は極めて高いと断言できる」
公爵はサイドテーブルを指先で叩き、警告するように声を低める。
「派閥に属さない。他国の駒でもあらず、神聖国の者でもない。それでいて百の精鋭を単独で制圧する武。これほど都合の良い存在を、連中が放っておくと思うか?」
分かり切った答え。
引き抜き、脅迫、ハニートラップ、あるいは抹殺。
いずれにせよ、王都に留まらせる理由は一つもない。
静かに佇んていた執事長も口を開く。
「本領であれば間諜の心配も御座いません。表向きは剣客としての研鑽、裏ではその身を固めさせる上策ですな」
サンハイドの提案は命令に等しい。深くソファーに背を預けたサンチェンスは一瞬だけ考え込み、やがて小さく笑った。
「承知いたしました。フランソワの安全を考えれば、賢明な判断でしょう。友人と久々に会いたがっていたシェヘラザードには、私から言っておきましょう」
「決まりだな。なに、継承権問題が落ち着けば儂の方から訪れる。明日は王都全体が喪に沈む。些末な感情は切り捨て、当主の子として恥のない振る舞いをせよ。今夜は早めに英気を養い、万全の態勢で臨むがいい」
「っは!」
こうしてアキトの与り知らぬところで、公爵家親子の密談は終わりを告げた。
理外の仙人を懐に収めたヴァニシア公爵家を余所に、王都の夜は静かに更けていく。その裏で、力を巡る歯車が、確かに音を立てて噛み合い始めていた。




