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月の仙人、異世界に降り立つ  作者: 名無しの戦士


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第12話 ヴァニシア公爵家当主

 白砂と汗、そして魔力の残滓が漂う訓練場を後にした我が案内されたのは公爵邸の応接室であった。メイドが日々丹念に磨き上げているのであろう大理石造りの廊下を抜けて重厚な扉の先に広がる空間は荒々しい訓練施設の空気とはまるで別世界。


 足を踏み入れた瞬間、最初に意識したのは匂いだ。磨き上げられた木材と香木をベースとした鼻腔を刺激しない落ち着いた芳香。


「座れ。堅苦しい挨拶は抜きだ」


 公爵現当主の促しに従い我は革張りのソファーへ歩み寄る。


 床一面に敷き詰められた深紅のカーペットは足裏を深く受け止め、歩くたび沈んで心地よい抵抗感を持って足を包み込む。織り込まれた金糸は派手さを誇示するのではなく、緻密に計算された位置で控えめに輝いている。どれほど価値ある品だろうと主の威光を引き立てる脇役に過ぎない。そう思わせる光加減。


 背中を預けたソファーもまた、一級の品だ。座った瞬間、身体が過度に沈まない、されど吸い付くような。長時間の談話でも疲労を感じさせない実用美の極致。


「(魔力が流れるトレントの木材を骨組みに使うとは、珍しい趣向だな。世俗の贅を突き詰めた先は、一種の芸術…か)」


 内心でそんな感想を抱きながら部屋を軽く見回した。

 落ち着いた濃紺の壁紙は規則正しい幾何学模様が銀の塗料で描かれている。よく見れば微細な魔導回路を成していた。恐らく防音対策、あるいは逃亡防止する魔道具的な仕掛けだろう。


 飾り棚には装飾剣が並んでいるが、単なる鑑賞物の雰囲気ではない。いつでも無礼者の首を落とせる前提で手入れされている。公爵家の気質が表れていた。


 そんな静謐な空間で我の正面に座すのはヴァニシア公爵家現当主、サンハイド・フォン・ヴァニシア。傍には貴族令息の仮面を被ったサンチェンスが座り、壁際には老執事長が影の如く控えている。扉前では騎士長と数名の側近騎士が直立不動で我を注視していた。


「愛しの大天使を誑かした小僧…名をアキトと言ったな。直答を許す」


「っは、お初にお目にかかります閣下。遠方より参りましたアキトと申します」


 言葉とは裏腹にサンハイド公爵の視線は刃のように鋭く、獲物を値踏みする猛禽のそれで我を射抜いていた。



 その者を一言で表すなら、「鉄血」を体現した人物。


 オールバックに整えた髪と鋭い輪郭を縁取る髭は両方とも鋼を思わせる硬質な銀灰色。顔立ちは深く刻まれた皺に覆われていながら、決して老いを感じさせない。

 纏う衣装は装飾を最小限に抑えつつも、最高級の生地を用いた軍礼装に近い仕立て。首元まで厳格に閉じられた高い襟、肩口や留め具に並ぶ勲章。自ら戦場に向かい、歴戦の勝利を王国に貢献してきた証。


 何より印象的なのが彼の瞳。南極の結氷海を連想される冷徹な青い双眸。組んだ脚の上に肘を置き、ソファーにもたれかかるだけで周囲の温度を数度下げるような威圧感を放っている。

 

 隣で涼やかな顔立ちのまま紅茶を口にする、柔和で貴公子然としたサンチェンスと血を分けた父子とは到底思えぬほど、サンハイド公爵の威風は峻烈を極めていた。


「愚息が貴様を公爵家の客分として迎えたいと耳にした時は、酔狂な冗談かと思うたが。貴様の実力、しかと見定めさせてもらった。魔力に依らぬ正体不明の奇術を以て我が精鋭を圧倒したその剣業、千万愉快であったぞ」


「ははっ!もったいなきお言葉、身に余る光栄にございます」


 サンハイドの言葉は純然たる賞賛というより未知の猛獣を前にした狩人が、いかにしてその頸に鎖を繋ぐかを算段する唸り声に近かった。彼は深くソファーに背を預け、頭の先から爪先まで執拗に検分する。その眼光だけで並みの人間なら喉元を直接掴まれたのも同然の息苦しさを覚える圧迫感。


「騎士長よ、道すがら共に行動したのであろう?退いたといえ騎士団最強の座を持つお主から見て、こ奴はどう映った」


 彼の口が再び開いた。冷徹な問いが扉の前に控えていた騎士長へ飛ぶ。名を呼ばれた老騎士は前へ出て深く頭を垂れた。


「…恥じ入るばかりに御座います。道中、儂は常に当人の背を注視しておりました。しかしこの老骨の眼を似てしても底が見えませんでした。視認できぬ歩法、剣を抜かずして衝撃のみを鎧へ通す技。最早、既存の武芸という枠組みで語ること自体が烏滸がましい、正真正銘の『怪物』にございます。王国広しと言えど、絶技と評する使い手は儂の知る限り一人として存在しませぬ」


「王国だけではない。帝国にも、北のアィテール神聖国、中央のエピステミア魔術連盟国にもおらん。いずれにせよ貴様という個体は、純粋な力において抜きんでている」


 サンハイドは、手元のサイドテーブルに置かれたクリスタル製のデキャンタに手を伸ばした。ワインが注がれる音だけが、静謐な室内に響く。


「サンチェンスから聞いた。賊の襲撃を受けていた我が家の者を助けたと。献身的な働き、まずはその功績に相応の恩賞を取らす」


 目の前の人物はワインを一口含み、その芳醇な香りを愉しむように一度目を閉じた。だが、再び開かれた双眸は、極北の海のような冷徹さを取り戻していた。


「しかし、だ。しかしだよアキト。貴様は儂の尊い『至宝』…孫娘フランソワに手で触り、剰え抱き上げるという暴挙に及んだ。幾ら…貴様が気に入られようと、本来ならば一族郎党根切りさせても足らぬ大罪。貴様の首一つで贖えるものではない」


 冷酷な断罪の言葉に、室内の温度が目に見えて下がった。フランソワの名前が出た途端、騎士たちの殺気が我に集中する。サンチェンスさえ冷たい視線で我を見ている。


「…だが賊より我が一族を守り抜いた功績に免じ、フランソワに触れたその不敬。此度の演武を持って全て相殺にしてやる。これ以降、我が家が貴様の過去の粗相を問うことは二度とない」


 それは実質的な無罪放免の宣言だ。張り詰めていた空気が少しだけ弛緩する。


「(むしろここから本番)」


 我は内心で警戒を強める。公爵ともなるといかなる場面、政情なども絡んでくる。


「貴様は公爵家剣客として一族に仕える許可を与える。その腕に見合うだけの相応な地位と、衣食住を保証しよう。ヴァニシアの剣となり敵影を斬れ」


「ははーッ!」


 下界に降り立ってから色々あったが、我は就職先を得た。同時に公爵家の庇護下に置くという名目の監視であり、逃走を許さぬ鎖を掛けた瞬間であった。


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