第10話 王都アポロ
遅くなりましたが、あけましておめでとうございます!
何の因果か公爵家次期当主と奥方の馬車に揺られること二日。車輪を鳴らす音が、土を噛む鈍い響きから、規則正しく敷き詰められた石畳を叩く乾いた音へと変わる。
馬車窓から顔を覗かせると、外に広がる景色は王都の喉元を支える広大な農業地区。初夏の陽光を一身に浴びた金色に輝く穂麦は、実りの重さに深く垂れ下がっている。今年は豊年なのか、風がさっと吹くたびに黄金の海が波打ち、豊かな芳香が馬車まで届くかのようだ。道すがら我に懐いたフランソワも膝の上から初めて目にする畑地に興奮気味である。
余談だが。抱っこしようと腕を伸ばしたサンチェンスをフランソワは露骨に嫌がった。
父親としての威厳、公爵令息の威風もこの時に限って何の役にも立たない。宙に取り残された腕を中途半端に伸ばしたまま、サンチェンスは呆然とした表情を露わにした。
対照的に、我の膝の上に収まったフランソワは小さな手で衣の裾をぎゅっと握りしめている。父の切ない懇願などどこ吹く風。彼女は我の胸元に顔を埋めて、ご満悦と言わんばかりに「あぅー!」「きゃはっ!」と、鈴を転がすような愛らしい声を上げていた。
「な、なんだと…ッ‼」
サンチェンスの口から漏れた生命エネルギが抜け落ちたような掠れ声。やがて、その絶望はふつふつとした、どす黒い感情へと変質していった。我に向けられる彼の瞳には凄まじい嫉妬と殺意が入り混じっていた。もはや我を恩人としてではなく、最愛の天使を誑かした不倶戴天の宿敵――もしくは、父から娘を奪い去った天敵を見るそれだった。
「アキト殿…いやアキトと呼ばせてもらうよ。君は剣術や調合術のみならず、赤子の心まで籠絡する術を心得ているのか? ええい、お前の膝はそんなに居心地が良いのかッ!」
「某に申されても…じっとしているだけなのですが」
「余計に腹立たしい!」
「ふふ…あらあらぁ」
ぼそりと零された恨み言に、とうとう堪えきれなかったシェヘラザードが扇で口元を隠しながら、どこか楽しげに微笑んだ。
「無念…」
サンチェンスは深々と座席にもたれ天井を仰いだ。それっきり我の膝をフランソワが占領しても恨み言は言わなくなった…かに思えた。
だが逃げ場が無くなったのは食事の合間、すなわち野営の刻であった。
日が傾き馬車が道脇に停められると、食事の時間となる。万が一の事態に備え、食事時は男性全員が外で食事を取る決まりとなっていた。男性にはサンチェンスも含まれる。その頃、乳をたっぷり飲んだフランソワは深い眠りに落ち、馬車内に設置した揺り籠で休んでいた。
こうして道を外れた平地に陣取った簡易野営地では、焚き火を中心に円を描くように人が集まる。合掌型に重ねた薪がパチパチと弾け、傍では魔導調理器の鍋から煮込んだ香草と肉の匂いが立ち昇る。騎士たちは兜を外し、武器を手の届く位置に置いたまま、黙々と食事を進めている。
問題は…座る位置だった。何の偶然か、あるいは必然か。
我が腰を下ろした真横に、サンチェンスが無言のままどっかりと座った。上座に床几が置かれているのにわざわざ拳一つ分離れた我の隣。当然、和気あいあいとした親密ムードのかけらも見られない。
「(近い…)」
彼は何も言わず、淡々と銀皿に盛られた料理を口に運ぶ。周囲では騎士たちが気まずそうに視線を逸らし、彼らを纏める老騎士は我を一瞥して老獪に笑うだけ。
咀嚼するたび、ちらち、ちらりと向けられる横目。まるで隙あらば刺すと言わんばかりの威圧感。
「…某、何かご無礼を働きましたでしょうか」
ついに耐えかねて小声で尋ねると、サンチェンスはゆっくりとこちらを向く。
「いや?何も」
焚き火に照らされた彼の笑みが絶妙に深い。その後は何も起きなかったが、高位貴族のイメージを猛烈に考え直す羽目になったのは言うまでもない。
――と、ある意味で刺客と対峙するより疲弊した昨晩の出来事を回想しつつ、現実の景色へと意識を戻す。
なだらかな道を進んでいると突然、巨大な影が馬車を飲み込む。
「王都アポロへようこそ、アキト」
サンチェンスの声に誘われ視線を上げれば、灰白色の石材で築かれた巨壁が聳え立つ。
道すがら聞いた話によると、壁面には魔法反射防御用の魔導ルーン文字が刻まれ、敵国による侵入をこれまで許したことがない沈まぬ太陽の象徴らしい。
都内に入るための外門の手前には長蛇の列を成している。騎兵の一人が公爵家の紋章が入ったバナーを掲げて進むと、一般門とは異なる王侯貴族専用の門が開かれた。
王都に足を踏み入れた直後、馬車の速度が意図的に落とされる。それほどに人の往来が凄まじいものだった。敵を拒むための堅牢な外壁とは裏腹に内側は人の熱と息遣いに満ちている。石畳の大通りには人が溢れ、馬車。行商、旅装の冒険者までが行き交い、幾層もの生活音が渦を巻いていた。
馬車の窓から王都の光景を一つ一つ目に焼き付ける。田舎者丸出しでキョロキョロに見渡す我を見て「クスッ」と笑ったサンチェンスの説明によれば、この大都市は同心円状に広がる三つの主要区域によって構成されているという。
まず目に入るのは、外縁部に広がる住宅区域。所狭しと並ぶレンガ造りの家々が隙間なく並び、窓辺に干された洗濯物が揺れ、路地裏を駆け回る子供たちの笑い声。平民出身の生活体温がダイレクトに伝わって来る。不思議とフランソワも人々の活気に呼応するかのように目を輝かせ、膝の上から小さな手足をばたつかせる。
馬車が進むと街並みは様相をガラリと変える。軒先に色とりどりの看板が掲げられ、大陸全土から素材と富が集まる商業区域。道の両側には露店と店舗が立ち並び、金貨と情報が最も激しく行き交う混沌の場所。金色の装飾が施された豪奢な商店を仕切る視線の鋭い商人たちが、馬車の紋章を見かける度に頭を下げる。
行き交う人々は皆、洗練された装いに身を包み、活気に満ちた商談の声が途切れることはない。
さらに進むとやがて喧騒は遠のき、静謐な空気が辺りを支配し始める。白石の並木道が続く貴族区域へと入ったのだ。
一つひとつが整然と区画された庭園付きの屋敷群。美しく整えられた庭園からは初夏のバラの香りが漂う。警備の密度も明らかに高く、通りを歩く者の装い一つで身分の差が見て取れた。
遂にすべての視線の先、王都の中心部に鎮座する王城が姿を現す。まるで太陽の光を一点に集めたかのように輝く外観。…少なくとも外観は美しい。
「(美しい城の下にはどれほどの毒牙が隠されているのやら)」
見新しい物ばかりに興奮して影響で眠りに落ちたフランソワの頭をそっと撫で、静かに揺り籠に戻した。
馬車は貴族区域の奥深くへと進んで一際広大な敷地を囲う白亜の外壁の前で静かに速度を落とした。重厚な鉄門にはヴァニシア公爵家の紋章が堂々と刻まれている。門前に立つ規律が取れた門番たちは馬車の接近を認めるや否や一斉に直立、迷いのない動作で門を開いた。
内側に広がる屋敷はもはや邸宅では収まりきれぬ光景だった。見る限りに整え尽くされた広大な前庭。左右対称に配された噴水と並木。遠目にも分かるほど分厚い結界魔術の気配が、敷地全体を覆っている。
「歓迎しようアキト、ようこそヴァニシア邸へ。私は父上に状況報告をつたえてくるから君は客間で待機してくれ。では、また会おう」
「っは、ご親切に感謝申し上げます」
馬車から出た我は執事らしき人に客間へ案内され待機することになった。上質な香りのする茶を啜りながら、これも又上手そうな焼き菓子を口に入れて暇を潰していると。妙に殺気を纏う老執事の来訪が――。
……そこに待ち受けていた光景は、サンチェンスから聞いていた「数名の精鋭との模擬戦」という言葉を遥かに超越していた。
我は気付けばヴァニシア邸の敷地内に設けられた広大な訓練場の中央に立っていた。足元には踏み固められた白砂。周囲を囲む観覧席には家臣や使用人の気配で満ちている。
目の前に整列する公爵家が誇る主力騎士団。全身を白銀の重装甲で包み、一人一人が一騎当千の威圧を放つ精鋭たちが総勢百名。彼らの中央に、一振りの巨大な魔剣を杖代わりに突き立てて王座のような豪勢な椅子にどっしり腰を下ろす50代位の男性がいた。
彼こそがヴァニシア公爵家現当主。サンチェンスの父であり、威厳という言葉をそのまま人の形に押し込めたような人物。長年にわたり領地と政争を生き抜いてきた猛禽の眼光が宿っている。
しかし、その眼光は「客人を値踏みする」ような生易しいものではなかった。燃え盛る業火のような激情、そしてサンチェンスが昨晩見せたものとは比較にならないほどの重圧な殺意が渦巻いていた。
「貴様が大天使を誑かした小僧か」
地を這うような低い声が訓練場に響き渡る。 彼は手にした魔剣を無造作に引き抜くと、切っ先を真っ直ぐに我へと向けた。
その一言で理解した。サンチェンスは彼に色々と報告したらしい。
「どうやら我が孫娘、フランソワは大層貴様の腕の中でご満悦だったとな…。この際だ、形式など問わぬ。ただ一つ…孫娘を誘惑したその罪業、後悔する暇も与えずあの世に送ってやる。ヴァニシアの騎士たちよ、抜剣!!」
「「「っは!」」」
号令が一つ。
百の剣が一斉に鞘を鳴らして解き放たれる。金属音が重なり合い、訓練場の空気を切り裂いた。
この時、我が思ったのは――
「(血は争えぬ。という言葉があるが…これほどまでとは)」
であった。




