頭の片隅にしまいこんだ
どうにか王都にたどり着く頃には、あたりにはすっかり春の陽気が漂っていた。年が明けて8歳になった俺は、街門をくぐりながら大きく背伸びをする。
『マスター、長旅お疲れ様でした』
「うん。関所での足止めが長かったからね……予定より大幅に時間を食ったよ」
アルファに向かってぼやきながら、ここまでの旅を振り返る。
街道を進むのは割とスムーズだったんだけど、北の関所から中央府に入るまではずいぶんと待たされたんだ。というのも、犯罪者を領外に逃さないための措置で、辺境からの情報が伝達されてくるまでの期間分は足止めされる決まりなんだとか。
貴族の名前を使って事前手続きをしておけば面倒はないんだけど、今は身分を隠して旅してるからね。こういう手続きの煩雑さはどうにかならないものかと思う。
「久しぶりの王都か。なんか懐かしいな」
『およそ1年ぶりでしょうか』
「気持ちとしてはもっと長く感じるけど。まぁ、濃い1年だったからね」
早朝の王都を進んでいくと、やがて貴族街へとたどり着く。門をくぐれば、そこには見慣れた街並みが広がっていた。
ちなみに、下級貴族時代に住んでいた家は既に売りに出されている。新しく建てた屋敷にはまだ行ったことはないけど……どのあたりに建てたんだったかな。
まぁ、新しい屋敷の庭には小さな世界樹を植えてあるから、すぐに見つかるだろうけどね。
そう思いながらあたりを見渡すと、遠くの方に大きな木の生えた家があるのをを見つけた。
……目立つな。
あの場所で間違いないだろうと、俺は巨木へ向かって歩いていったのだった。
「こう見ると、30メートルでもかなり目立つね」
サイズとしては領都マザーメイラのものの10分の1だけど、近づいていくごとにその存在感は大きくなっていった。王都で話題になっているという、話もこの様子だと頷けるものだ。
顔なじみの衛兵に礼をして門を通る。
敷地内に入ると、清浄な空気が肺を満たした。
「そっか、ここにも結界を張って空気を浄化してるんだっけ」
『はい。屋敷の設備は、小さなマザーメイラだと思っていただて良いです』
話しながら庭を眺めと、そこには穏やかな光景が広がっていた。小さな世界樹、木のトンネルに噴水、小川と花畑。日向では楽器を持った甲殻族の面々が庭で練習をしていて、木陰では魔導絵具を使って絵を描く者たちがいた。
彼らの多くは、マール姉さんと同じ病気を患っていた者たちだ。
魔力硬化症という病気は、今では命力硬化症と名前を変えていた。王都付近にいた患者はドルトン家やクロムリード家に集められて治療とリハビリを続けている。
治療道具の販売もしているけど、やっぱり数値データを取りながらの方が治療の効率もいいからね。研究も随分進んでいて、最近では絵画だけでなく彫刻や音楽といった芸術活動でも効果的に命力を消費できるようになっていた。
庭を抜け、屋敷に入る。
すると、ちょうど玄関にグロン兄さんとマール姉さんが立っていた。慌てて体を離していたから、たぶん仲睦まじく抱き合っていたところだったのだろう。邪魔してしまったかもしれない。
「リ、リカルド。久しぶりだな」
「ごめんね邪魔して。これからデート?」
「いや、マールは帰るところだ」
「帰る……? 今、早朝だけど」
しまった、という顔をしたグロン兄さん。その横でマール姉さんも赤い顔をしているから……そういう事なんだろう。
まぁ、今は父さんもドルトンさんもそれぞれの領地の方にいるから、王都にいる若い二人が燃え上がるのはわかるけどさ。
「……あと2年の辛抱だから、ほどほどにね」
そう言うと、グロン兄さんは握り拳で俺の頭をグリグリと攻撃してきた。当然のことを言ったまでなのに……解せない。
一方のマール姉さんは、すっかり茹で蛸のようになって両手で顔を押さえていた。でも口元は緩んでるのを、俺は見逃していない。幸せそうで何よりだ。
痛む頭を押さえながら、俺は兄さんをジト目で見た。
「じゃ、じゃあマール、道中気をつけてな。おいリカルド、その目をやめろ。お前とはこれから、ポイント協会のこととか、リビラーエのこととか、いろいろと相談をしたくてだな……だからその目をやめるんだ。そうだ、聖教都市ホーリーライアーのアンジェラさんからも連絡があって……。あぁもう、そんな風に見るんじゃない。話が進まない」
相変わらず、グロン兄さんはからかうと楽しい反応をするな。
マール姉さんは小さく笑いながら屋敷を去っていく。それを見送った後で、俺たちはさっそく執務室へと向かっていった。話したいことも聞きたいことも、たくさんある。
昼過ぎになると、我が家に来客があった。
しかも珍しいことに、俺への客らしい。
いろいろと考えごとをしがなら応接室で待っていると、扉がノックされる。現れたのは――
「久しぶりだね……リカルドくん」
サーダ・サルソーサスさん。
サルソーサス家の当主で、聖女アンジェラさんの父親だ。おそらく彼女を経由して俺が王都にいることを聞きつけ、話をしに来たのだろう。
彼はダーラ教式の礼を丁寧に行う。
「まずは、君に最大限の感謝を。娘や信者たちを、よく救ってくれた。ありがとう」
「いえ、こちらも別の目的がありましたから」
「聞いているさ。だが、我々の感謝は変わらない」
そう言って彼はニコリと笑う。
確かにこうして礼の仕草を見ると、挨拶の時とはまた少し感じが違うな。気のせいかもしれないけど、なんとなく感謝の念が伝わってくるような気がする。
「それでな。相談なんだが……」
彼はそう呟き、何やら言いづらそうに手を擦り合わせた。俺はひとまずお茶を勧め、話し始めるのをゆっくりと待つ。
「あー……うちの領にダーラ教、じゃなくて、神殿ダーラ派の聖地ができただろう? ダーラ教は神殿の一部として扱われることになったから、王国として問題視されることはなくなったが」
「はぁ……」
「実はね。サルソーサス家は、トータス家からものすごく怒られてしまったんだよ」
まぁ、そりゃそうだろうなぁ。
北のトータス家としては、異教を排除するために人もお金も時間もかけてきたのに、配下のサルソーサス家に裏切られていた形だ。こんな状況では、信頼も何も無くなっているだろう。
「北の異教徒征伐がイマイチ効果を見せなかったのは、お前が情報を横流ししてたからかって、妙な疑いを持たれちゃって……他の中級貴族からも白い目で見られててね」
「え? 横流ししてなかったんですか?」
「いや、してたよ。軍事情報はアンジェラが宗派統合の目的でもガッツリ活用してたし。私も積極的に特別信者──職人や武人なんかを他領から集めてまわってた」
「うわぁ……駄目じゃないですか」
「そうなんだよ。駄目なんだよ。どうしよう。交易止めるって言われててさ、うちの領の食料自給率は──ちょっと数字は忘れちゃったけど、けっこうアレでさ。とにかく食料がヤバい」
そう言って頭を抱えるサルソーサスさん。
あぁ、よくこの人からアンジェラさんみたいな人が生まれてきたなぁ。そう思いつつ、俺はお茶を口に含む。
「おそらく問題ないですよ」
「アンジェラも言ってたけど、なんで?」
「聖教都市ホーリーライアーは農業街をかなり広めにおさえてますから、食料生産能力はまだまだ余剰があるはずです。領内の他都市に配り歩く程度じゃ、ビクともしませんよ」
「え、そーなの?」
世界中の人が逃げ込んできても大丈夫なくらい、巨大な安息の地を作りたい。それがアンジェラさんの望みだから、都市の設計思想にもそれが反映されてるんだ。食料生産については、余力はまだまだあるはずだ。
「そうなんだ……」
「あーでも、北の貴族の方々への謝罪や補償は、何らかの形でした方がいいですよ。名目はなんでも良いと思いますが、先方に利益が出る形で」
「そうだよなぁ……」
「アンジェラさんに話せば、上手いこと調整してくれるはずです」
この先はいろいろと大変だろうけど、信用を取り戻すには時間をかけていくしかないのだろう。
その後もサルソーサスさんと様々な話で盛り上がった。幼い頃のアンジェラさんの話なんかもなかなか面白くて、純粋かと思いきや大胆な行動を取る性格は昔からあまり変わっていないらしい。
「そういえばリカルド君。もう神殿の人には話したんだけど」
思いついたように、サルソーサスさんが語り始めた。
「ダーラ教では常識なんだけど、神殿の歴史書にはポッカリ抜け落ちてる項目がある。君は知っているかな」
「……いえ、そういうのは初耳です」
サルソーサスさんは目を閉じ、何かを考える。そして紙を手に取ると、ペンで何かを書き始めた。
「既に滅んでしまった、8つ目の種族の話だ」
「8つ目……?」
「竜族、人族、獣族、鬼族、甲殻族、冥族、海族。その7つの他にも、かつてもう1つ種族があったんだ」
話しながら、七種族の名前を円状に書く。そして、彼はそこに最後の種族名を書き足した。
「他とは決して共存できない、世に災厄を振りまく邪悪な種族。既に滅んでしまったが、その技術だけは後世に伝えられている」
彼は俺に紙を差し出した。
俺は初めて見るその単語に首を傾げた。
「……魔族?」
「そう、魔族。魔物によく似た特徴を持つ種族さ。圧倒的な魔法の技術を行使して、一時は世界の支配者となっていた。ダーラ教は、そもそも奴らの支配に苦しむ者たちの中で生まれたのだよ。君は東に行くんだろう。魔法には──特に、魔法貴族には気をつけるといい」
この世界にはまだ知らないことがある。
魔族、か。
俺はゆっくり頷くと、その名を頭の片隅にしまいこんだ。





