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97 食いっぱぐれない声優

「先生……?」


 美祐子氏の言葉に、中野が首をかしげる。


「そう、先生だ。声優専門学校のな」


 それに対し、美祐子氏は口の端をゆるめながら言う。満足げかつ、自信満々に見える。


「先生か……」

「えっ、りんりんが先生っ!? す、すごいっ!!」


 美祐子氏から告げられた情報に、中野は口元に手をあて、なにやら考え込んだ姿勢になった。後部座席にいる高寺もひとり興奮した様子を見せている。


 しかし、俺と本天沼さんはその意味がわからずに顔を見合わせた。予想通りと言っていいのだろうか、本天沼さんは口をポカンと開け、キョトンとした表情を浮かべている。きっと、俺も同じような表情なのだろう。


 すると、俺たちのそんな様子に気づいたらしい、美祐子氏が解説を始める。


「ひより、円は知ってるだろうが、うちの事務所は『東京ナレーション学院』という専門学校とつながりがあるんだ。代々木にある学校なんだが、そこでうちの所属声優が定期的に特別講座を行なっているのだよ」


 その言葉を聞き、高寺さんが早速スマホをポチポチし始める。


 なので、俺が身を乗り出し、会話を続ける。


「アイアムプロモーションが運営してる養成所とは別のとこ、ってことですか?」

「お、若宮くん、知ってるのかね」

「あ、いや詳しくは知らないですけど、高寺がそこに通ってたって聞いたことあって」

「そういうことか」


 美祐子氏が納得したように言う。高寺がなぜか胸を張っているが、全然自慢げになるポイントではない。


 そんなことはさておき美祐子氏の解説である。


「声優志望者以外に説明するのはちょっとややこしいんだが、養成所と専門学校はまったく違う場所なんだ。養成所は声優事務所が持ってる養成機関で、専門学校はそこに入るために勉強する場所って感じかな。今ほど声優が職業として注目されていなかった時代は専門学校なんかなかったんだが、ここ最近は専門学校で何年か勉強して養成所に入って、そこでさらに2年くらい研鑽を積んで、やっとのことで事務所の所属になるってケースが一般的だ」

「厳しい世界なんですね」

「どんなことでも長い訓練は必要だよ」


 美祐子氏はあっけらかんとした言い方だ。


「で、その専門学校に今度、小学生向けのクラスができることになったんだ」

「小学生……ってはやくない、ですか?」


 我ながら素人っぽい感想だが、美祐子氏は否定せず、うなずく。


「はやいな。だが、はやいからこそコースを開設するとも言える。最近は声優の低年齢化が進んでいるし、歌って踊れるアイドル声優も増えてるから若い人でもチャンスを得られるようになってきているんだ」


 その瞬間、ミラー越しに美祐子氏が高寺をチラリと見た気がする。高寺はそれに気付いていない様子だが……なるほど、美祐子さん的に彼女はそういうポジションなのか。でも実際、もうユニットのオーディションに受かったりしてるって言ってたもんな。


「そういう理由で小学生向け講座を作ることになったと」

「そういうことだ」

「その辺りはわかるのだけど、なぜ私に修羅場の矢が立ったのかしら。講師ならすでに生業としてやってる先輩方がたくさんいらっしゃると思うのだけど」


 俺と美祐子氏の会話に、満を持して中野が入ってくる。責めるでもなじるでもなく、ただ純粋に疑問をぶつける口調だった。だが、言い間違いについては疑問は持っていない様子である。


「修羅場じゃなく、白羽の矢な」 


 指摘すると、明確な敵意が表情ににじむ。


「知ってるわ。知っててあえて間違えたの」

「なぜウソをつく。わざと間違えるメリットとかないだろ」

「ウソじゃないわ」

「それもウソだろ。そんな日本語力で講師とか大丈夫なのか? ただでさえ慣れない教師役なのに」

「大丈夫よ私、滅多なことでは動じないから。これまで顔が真っ白になったり頭の中が真っ青になるような場面にたくさん遭遇してきてるけど、全部すり抜けて来てるから」

「真っ白になるとこと真っ青になるとこが逆だし、すり抜けるって言うとズルしてる感じだから『切り抜ける』がたぶん正しいと思うぞ」


 とかツッコミを入れつつ、小学校低学年なら言い間違いしてることに気づかないかもな……という気持ちにもなった。


 そして美祐子氏が、中野に白羽の矢が立った理由を述べ始める。


「なぜ、ひよりにお願いしようと考えているかだが理由はシンプルだ。まず、生徒の年齢を考えたとき、近いほうが都合がいいということ。小学生も緊張しにくいだろう」

「なるほど、一理あるわね」

「ひよりは最近の人気作品に出てるから、スゴさを実感しやすいというものある。たとえ歴が長く実績豊かな声優であっても、小さな子供たちは昔の作品を観ていないことが多いからな。言ってしまえば、ひよりは客寄せパンダにちょうどいいんだ。ネットで注目を集めることもできる」

「なるほど、それも一理あるわね。認めたくないけど」

「そして最後。これは全然、本当にひよりのためを思って言うんだが……」

「なにかしら」


 その頬に、珍しく恥じらいの朱を浮かべながら、美祐子氏が言う。


「もし、ひよりが講師を引き受けてくれたら、専門学校の担当者に恩が売れる、私が」

「めちゃめちゃ個人的な都合じゃないすか。しかも、倒置法使って強調しちゃってるし」

「お、大人の汚さだ!!!」


 俺と高寺がそれぞれが美祐子氏への呆れの言葉を述べる。だが、美祐子氏は少しも悪びれていない。


「そうプリプリするなよ。お肌に悪いぞ」

「ちなみに、講座をするとしたらいつかしら? あと私の取り分は?」


 そして、俺と高寺がそんな反応をする一方で、素早く切り替えた中野が尋ねる。


 スケジュールだけでなく、取り分まで聞いているところが彼女って感じだ。同じ車内にクラスメートが3人もいるの、忘れている可能性が高い。


「予定では3週間後の今日だ。何人入れるか、何部やるかはまだ未定だが、授業料はそうだな……2000円程度に収めたい」

「3週間ってもうすぐだし、1人2000円ってことは私の取り分はほどんどない……労力に見合っているとは到底言えないわね」

「と、ひよりなら言うと思ったから、専門学校の担当者に話をつけて、とりあえず10万円出させることになった」

「なるほど」


 不満を感じさせる声から、少しばかり真剣味を帯びた中野の声。


「あの人気声優の鷺ノ宮ひよりが講師をすると考えると、宣伝料としては十分見合ってるだろう。そのうえで授業料は全部こっちのものだ。授業料込みで15万円くらいかな」

「ってことは私の取り分は10万円強ってところかしら」


 早い早すぎる金の計算が……。


 しかし、それでも中野の表情は硬いままだった。


「でも、肝心のスケジュールがね。時間もないし……やるとしたら、絶対修羅場になるわね、これ」

「んぬー、白羽の矢じゃなく、ほんとに修羅場の矢だったみたいな?」

「……そう、そういう意味でさっき修羅場の矢って言ったの」

「絶対ウソだろ」


 中野が言い間違いの伏線を回収し、俺がツッコミを入れる。


 と、そんなふうに悩む中野だったが、美祐子氏はまだ余裕の表情だった。片手でハンドルを握ったまま、片手で優雅に髪をかき上げるとこう続ける。


「勘違いしないでほしい。これは無茶ぶりではあるが、優しさでもあるんだ」

「優しさ?」

「私としては、ひよりには教える側を一度経験しておいてほしいのだよ。誰かに教えることで、自分の知識や経験を言語化でき、それが自分の役に立つ。役者として、きっと成長できることだろう」

「まあ、たしかにそれはそうだけど」

「それに、自分からイベントの企画を立てられるというのもポイントだ」

「……ってことは、授業の内容も私が考える、ということなのね」

「もちろん過去の講義で使った教材を流してもらうようにするし、担当者には私が企画書を送りはするが、ま、そういう認識で問題ない」

「……たしかに、声優は自分で仕事を生み出せない仕事よ。作品を自分で作れるワケじゃないし、イベントの企画に関わることもない。声がかからないと呼ばれない。だからこそ、企画からなにかに携われることは貴重」

「そのとおりだ」

「でも美祐子は私の忙しさを、一番よくわかっているでしょう?」

「もちろんだ」

「アニメ、ゲーム、イベント、ナレーション、ラジオ、たまの外画、そして学生生活。この上に、さらに小学生向けの声優体験講座を企画して開催しろと言っているのね?」

「そうだ」

「美祐子は私に死ねと言っているのかしら」


 声優の体調管理もマネージャーの仕事でしょう、という感じの顔。斜め後ろの席から見るその表情は、とても大人びている。


「大丈夫だ。たしかジョブズも『死ぬ気でやれ、死なないから』って言ってただろ」

「ジョブズがそんな脳筋なこと言ってたらアップルはとっくの昔に倒産してたわ。あと、実際に『死ぬ気でやれ、死なないから』って言った人は46歳で死んでるから。平均寿命マイナス35歳ってところね」

「大丈夫だ。ひよりならやれる」

「そう言われても、物理的に厳しいものは厳しいし……」


 そう話す中野は、どこか申し訳なさげに見えつつも、気持ちは決まっているように思えた。美祐子氏の打診自体を魅力的には思いつつも、やはり多忙さゆえ、現実的に考えて難しいと判断している……という感じだ。

 

(まあでも、無理して講師やって声優業に支障きたしたらダメだもんな……)


 プロ意識の高い中野のことだ。体調を崩すことは絶対にダメだと判断したのだろう。


 と同時に、俺は彼女の忙しさを改めて感じていた。アニメ、ゲーム、イベント、ナレーション、ラジオ、外画、そして学生生活……俺はそのうちのひとつしかしていないが、それで普通に毎日忙しい(と自分では思っている)。なので、中野の多忙さは正直、想像を絶するレベルなのではないかと思える。


 本人が疲れとかを普段全然見せないので、意識することがないだけで。


 早退、遅刻の多さはさておき。


「そうか……なら仕方ないな」


 中野の言葉に、美祐子氏は残念そうにつぶやく。粘り強い彼女もさすがに諦めたのか……と思いきや。


「ひより、言い忘れてたんだが……ここだけの話、講師ができるようになると食いっぱぐれなくなるぞ。一生な」

「やるわ、私」

「やんのかよっ!!!」

「やるんだ……」

「心変わりはやっ!! いてっ!!!」


 先程までの拒否っぷりはどこへやら、中野は秒速で提案を承諾。


 その迅速すぎる方向転換に俺がツッコミを入れたのは言うまでもなく、美祐子氏に対して萎縮していたのかずっと黙っていた本天沼さんも反応、そして一番後ろの座席にいた高寺は驚きのあまり伸び上がり、後頭部を窓ガラスにゴチーンと強打した。


 だが、涙目になっている高寺のことを気にする美祐子氏と中野ではなく、視線をそちらに向けることもなかった。


 なので、俺が口を挟む。


「どうせ、最初からそうやって説得するつもりだったんでしょう?」

「そうだ。よくわかったな、若宮くん」

「じゃあ、なんでわざわざ専門学校の話とか声優業界の事情とかしたんです? 中野相手なら、最初から今後食いっぱぐれなくなるって言えばすぐじゃないですか」

「若宮くん、人を金の亡者みたいに言うのはやめてもらえるかしら」


 中野がぴしゃりと口を挟んでくる。


「みたい、じゃなくてそうなんだよ」

「金の亡者だなんて、まるで私が死んでるみたいな言い方じゃない」

「いや引っかかったのそこかよっ。金の生者とか言わないだろ」

「金の生者というか、金の聖者というか」

「金に固執してる時点で聖者じゃないから……ってのはさておき。話を戻すと」


 中野のツッコミをいなしながら、俺は美祐子氏をミラー越しに見る。


 そして、企みしか感じさせないその瞳を覗き込んだ結果、彼女の真の目論見を察した。


「……あ、もしかして」

「ふふ、気づいたか若宮くん」


 美祐子氏が、このうえなく悪い顔をする。


 そして、彼女は俺と本天沼さんを交互に見て、こう言った。


「もし、君たちが興味あるのなら、バイト代は出ないが諸々の作業を手伝ってもらうことも可能なのだが……」

「いや俺たちそんな暇……」

「やりますっ!!! お金なんかいらないですっ!!!」


 本天沼さんの威勢のいい声に、当然ながら俺の声はかき消された。


 こうして本天沼さんは、美祐子氏に見事に買収されたのであった。俺という、巻き添えを含めて。

声優に限らず、俳優も監督も演出家も脚本家も、専門学校や大学などで授業を持っている人は一定数います。ですが、正直そこへの熱意は人それぞれで、有名だから授業に人が集まるけど、中身はすごいテキトー……みたいなことも普通にあります。本作で今後出てくる授業シーン(これくらいならネタバレにはならないはず)は、実在する授業をモデルにした内容にしてあるんですが、声優やクリエイター志望の中高生の方とかは参考になるかなと思います!


そして、連載もう1本、10日くらい前から始めてます。

『社畜リーマン、お隣のJKが凄腕マッサージ師で即落ちしてしまった件…』

こちらは会話の楽しさ残しつつ、よりライトに楽しめる内容です。ぜひブクマお願いします!

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