90 惣太郎の黒歴史1
それから数日後の水曜日。
俺は桜木町駅の改札に来ていた。名前も知らないあの子と別れた駅だ。
今日会うのは、あの日、彼女から提案してきたことだ。自分で言うのもなんだが、なかなかいい雰囲気になっていたと思うので、正直なところ学校を出る頃まではすっかり落ち合う気分でいて、なんならトークテーマまで考えていたのだが(当然オタク系の話だ)、
実際に待ち合わせ時刻が近づいてくると、緊張・不安・心配しかなかった。
はやる気持ちから待ち合わせ時間より15分前に到着したのは当然の結果で、そこからは1分が普段の3分くらいの感覚である。
彼女から、信号待ちの時間だけで年間10冊ラノベが読める的な話を聞いたばかりだけど、正直読
書なんかする気持ちになれない。
(本当に来るのかな……)
そんな言葉を雑踏でつぶやくが、もちろん誰も返事などしてくれない。毎秒ごとにきキリキリと胃が痛み、やがて待ち合わせ時刻になるも、彼女は姿を現さなかった。
(でも、まだ待ち合わせ時間になったばかりだ)
きっと、遅れているのだろう。予想より電車に時間がかかっているんだ。
(……でも、ホントに来る保証なんかないんだもんな……)
心が毎秒ごとに、振り子のように揺れる。自分に言い聞かせて安心させて、自分を不安にさせて、また言い聞かせて安心させて……
そんなことを思いながら待つこと、さらに5分。
改札の向こう側に、一筋の光が見えた気がした……いや、光じゃない。銀色の髪の、制服姿の女の子だ。走りと早足の中間くらいのスピードで、周囲をキョロキョロ見回しながら歩いている。
そして俺の姿を見つけると、最短距離にある改札を通って、駆け寄ってきた。
「よっ、久しぶりっ!」
元気に挨拶してきた彼女は、心なしか以前より顔立ちが幼かった。きっと学校帰りなのでメイクらしいメイクをしていないのだろう。だが、ほぼすっぴんに近い彼女はとてもかわいく、だからこそ顔立ちの良さや肌のキレイさが伝わってくる感じだった。
制服は紺と白の、定番な感じのデザインの冬用セーラー。胸元には深緑色のリボンを合わせており、シンプルさが逆に彼女のビジュアルの良さを引き立てていた。胸元には前にもつけていたアンティークのネックレスがあり、私服時以外にもつけているのだとわかる。いつでもオシャレは忘れない、ということなんだろうか。わかんないけど。
そんな慣れない状況に、体温が急上昇した俺の口から出た返事は。
「よ、よっ」
相手の言葉をオウム返しすることすらできず、完全にコミュ障な返事になってしまった。 すると、彼女はふふっと声を漏らし、嬉しそうに笑う。
「なに今の? めっちゃ言い慣れてない感出てるしっ!」
「よ、余計なお世話だ」
「あはは。ごめんね。でも似合ってなかったからさ……てかホントに来たんだね」
似合ってない自覚はある……的な返事をしようと思っていたら、彼女がそう漏らした。
だが、それは俺にこそ似合うセリフだと思った。
「いや、それ俺のセリフ」
「俺のセリフ?」
「うん。だって、ここに来るメリットとか、とくになかったでしょ」
「メリット? いや、私は君と話してるの楽しかったけど?」
「そ、そうなんだ」
何の気なしなトーンで言われるので困る。
たしかに趣味の話で、初対面とは思えないほど盛り上がったのは事実だけど、彼女がそこまで楽しく感じてくれていたとは思わなかった。年上だし、俺と違って友人も多そうだし、きっととくに深い意味なんてないんだろう……というふうに。
しかし、そんな俺の心の叫びには気づいていないのか、それとも気づいているのか彼女は、イタズラっぽい視線を送り続けるのみ。
「てかその言い方だと、まるで君に今日ここに来るメリットがあったみたいに聞こえちゃうけど?」
「うっ……」
「ふふっ」
息の通りの良い甘い声で、彼女はそう笑う。清楚な笑い声のはずなのに、すっかり弄ばれている感じしかなくて、でも俺には為す術などなかったのだった。
○○○
その後、俺たちは駅前のマックへ移動することにした。せっかく横浜までやって来たとしても、中学生同士なのでチェーン店かファミレスになるのが宿命である。
もっとも、彼女の洗練されたビジュアルのおかげで、おしゃれなカフェに行く可能性もゼロじゃないと思っていたけど、それは杞憂に終わったようだ。
それぞれ飲み物とポテトを注文し、窓際の席に向かい合う。
彼女の学校の制カバンには猫のぬいぐるみがつけられていた。ファンシーなものが好きなのはなんとなく予想がついていたが、どちらかと言うと猫っぽいビジュアルの彼女が猫のキーホルダーをつけていると微笑ましい。猫好きなんだろうな。猫カフェとか行くんだろうか。
「ね。そうちゃんってどういうそうちゃんなの?」
「ん、なに急に。哲学?」
「じゃなくて名前の話。そうた? あそうくん? ハンドルネームではないよね?」
「ああ、そういう意味か。っていきなりその話なんだ」
「だって今日会うのって、お互いの名前を教え合うためでしょ?」
「そうだけど」
「もうすでに自己紹介のタイミングとしては遅すぎるし」
「それもそうだけど」
「いっそのこと、”仲良しくん”みたいな感じで名前伏せたままにする?」
「あー、なんか特定の作品が浮かんでくるな……たしか臓器食べるとか食べないとかのやつだ」
「それで?」
跳ねるような語尾の音。ストローを口に咥えたまま、上目遣いで尋ねる彼女に俺はクラリとなりそうになりながら、なんとか息を整える。
「惣太郎。俺は若宮惣太郎」
「なんかジェームズ・ボンドぽい言い方だね。漢字は?」
「えっと、若いに宮に、惣菜の惣に太郎」
「惣菜の惣って!」
「いやそれが一番わかりやすいから……笑い取りにいったワケじゃないのに笑われるのは癪だな。まあいいけどさ」
「ごめんごめん、って言おうと思ったら先に許されちゃった。ふふっ」
「怒るようなことじゃないからね」
「惣太郎くん、惣太郎くん、そうちゃん、そうちゃん……よし覚えた」
そんなに覚えにくい名前でもないだろうに、何度も目の前で繰り返されるので、照れてしまいそうになる。
「だからあの会でそうちゃんって呼ばれてたんだね」
「まあそれはツイッターの名前というか……あ、で、えっとそっちは」
「かよ」
「えっと」
「可容。許可の可に容認の容で、可容って言うんだ」
「可容……ちゃんか」
思いの外、古風な名前だな……と感じる。
てっきりアリスとかそういう系だと思った。
「それだけ慈悲の心にあふれた女の子になれって意味らしい。私のお父さんはちょっと変わった人でさ」
「だろうね」
「だろうねってなに……『普通の名前ならつける意味がない』って考えで、あんまりにも変な名前考えるから一時は『もはや名前ナシのほうがマシじゃね?』ってお母さんが悩むくらいだったらしいんだけど、可容に落ち着いて。無事名前つけてもらえたんだ」
「それは幸運だったね」
「でも、尊敬できるとこもたくさんあるんだよ? 私がラノベもマンガも映画もドラマも小説も音楽も、みーんな好きになれたのはお父さんのおかげだから。表現に貴賤はない。あるのは表現する方法の違いだけだ、とか言ってさ」
そう語る彼女の顔は優しい。お父さんのことを大切に思っているのが伝わってきた。家族思いな女の子っていいな……と俺は思う。そして、お父さんがオタクなんだな、この子。
「あと、アニメ監督になりたいならなんでも摂取するのが大事って」
「アニメ監督になりたいんだ?」
「うん。小さい頃からの夢でさ」
そう言うと、彼女はどこか気恥ずかしそうにクスッと笑う。
会話の中でさりげなく明かされた秘密だったが、俺は可容ちゃんに対してすっかり知的かつ、コンテンツに詳しく、それでいて変わり者なイメージを持っていたので、その夢はすごく合ってるように思えた。絵を見てない状態で言い切るのもあれだけど。
ありがたいことに昨日4名の方がポイント入れてくださったようで、現代恋愛で日間63位になっていました。本当に嬉しいです! どなたかわかりませんが感謝でいっぱいです…!!
ということでありがとうの気持ちで珍しくお昼更新させていただきました。
夜、仕事の時間がつきそうなので続き2話分も更新させていただきます。可容というキャラについてはまたあとがきで書かせていただきますね。




