75 桜木町のババア1
「2負1分けかあ。悔しい……あと少しで1勝できたのに」
「1勝できていたとしても、トータルで見れば私の勝ちなのは変わらないでしょう」
「そうだけど」
「私に勝負事で勝とうとしていた、自分の浅はかさを責めることね」
中華街を歩きながら、本天沼さんと中野が会話している。
中野の秘密を知ることができないことが確定した本天沼さんは、うーっと唸りながらも、反論の言葉が出てこないようだった。
なので、俺は空気を変える意味でべつの話を振ってみることにする。
「てかまだ集合まで2時間近く残ってるけど、何する?」
「はいはい!」
「はい高寺」
「あたし、桜木町のババアのとこ行きたいですっ!」
「……え、それまだ諦めてなかったの? てっきりもう忘れてたのかと」
朝ぶりに聞いた桜木町のババアの名前。すっかり忘れていた俺が呆れつつ言うと、高寺は頬をぷくーっとさせて、うらめしげに見上げてくる。
「へっ、忘れてなんかないね。むしろ今日一日、ババアのことを1秒も忘れないないまでアルね」
「それは気持ち悪いな……遠足で占いって、いいのかよそんなの」
「べつにいいでしょ? 先生から禁止されたわけでもないし」
「まあそれはそうだけど」
「若ちゃん、おやつは300円までって言われてた頃とは違うんだよ、今は」
そんなふうに言い合っていると、黙っていた石神井が腕時計に目をやったうえで、会話に入ってくる。
「まあでもいいんじゃないか。時間は余ってるワケだし」
思わぬ助太刀に、高寺の瞳が一気に輝く。たしかに石神井の言うとおり、このままだと時間が余ってしまうのも事実だった。
俺は中野と本天沼さんに視線を向ける。すると中野は「仕方ないわね」というふうにため息をつき、本天沼さんは困ったように笑ってうなづいた。
○○○
「桜木町のババア」の店は、桜木町駅からみなとみらい駅に向かって、5分ほど歩いた雑居ビルにあった。5階建てのこの建物は、1階から5階まですべてが占いのフロアで、
HPによるとババアの店は最上階らしい。
『明朗会計』『少しの時間でも歓迎!』などの文字が書かれた看板を横目に、蛍光灯がちかちか点滅するエレベーターで5階に乗り込む。5人一緒に乗れば狭く感じられる大きさであり、女子3人のことを考えて俺は壁にへばりつくようにして立った。
目的階で降りると、そこは意外にもさっぱりした内観だった。
明るい蛍光灯のもと、左4つ、右に5つ、合計9つの部屋が並んでいて、それぞれ違った色のカーテンで仕切られている。カーテンをひとつひとつ見ていくと、『タロット』『数秘術』『姓名判断』『風水』などの文字がそれぞれ書かれている。そのなかからは、占い師と客が話す声が聞こえているが、なんの話か判別できるほどではなく、結果的にプライバシーは守られている様子だ。
壁に貼られたマップを見ると、ババアはどうやら一番奥の右側の部屋にいるようだ。
「ババア、最上階の一番奥か」
「なんていうか、ラスボス感あるな」
「どうする? 魔女みたいなの出てきたら」
「実際ありそうだから怖い」
俺と石神井がそんなふうに話していると、高寺がむーっとふくれて見上げてくる。
「こら、そこのふたり! 笑うでないぞ!」
「ごめんごめん」
「いやー、でもやっぱ桜木町のババアって面白いよ」
「すっごい有名な占い師さんなんだからね?」
素直に謝った俺と違い、ニヤニヤし続けている石神井に、高寺は軽く怒っている様子。そして、腰に手を当て、こう続ける。
「バカにしてたらバチ当たるんだからねっ!!」
「……」
「……」
占いに興味満々なわりに、高寺は占い師を魔女的な存在だと勘違いしているようだ。
「いや、占い師ってそういう存在じゃねーだろ」
「えっ、違うの?」
「違うだろ」
「てっきりあたし、悪いことしたら呪いを与えたり、霊とか体に乗り移らせたりするのかと思ってた……」
「魔女とかイタコとか色々混ざってんぞ。本当に占い好きなのかよ」
俺が高寺の知識を訂正していると、中野が呆れたようにはあとため息をつく。
「はやく行かない? どうせ当たらないんだし、はやく済ませて帰りましょうよ」
○○○
「次の方どうぞー」
10分ほど待ったところで、俺たちの順番になった。この部屋のカーテンは水晶のような水色で、大きな文字で『ババア』と書かれている。隣では本天沼さんがあんぐり口を開けていた。
「ババアって……」
「さっき、タロットとか風水とか書いてたよね? ババアって、占いのジャンルなの?」
「本天沼さん奇遇だね。俺も同じ疑問抱いてたとこ」
しかし、そんな謎なものに好奇心を刺激されてしまう因果なやつも世の中にはいて、
「ババア占いか……なんか面白くなってきた」
そうつぶやくと、石神井はさらに目を輝かせ始めていた……うん、さっさとなかに入るのが良さそうだな。
勇気を出して中に入っていくと、中には身長140センチくらいの、小柄なおばあちゃんがいた。白髪をてっぺんで結い、左右をふわっと浮かせた特徴的な髪型をしている。水色のジャケットとグレーのスラックスを合わせており、紫色の妖しいサングラスの奥に見える瞳は鋭い。首元には真珠の豪奢なネックレスが光っており、指には何色もの指輪が輝いている。
要するに、とてもうさんくさい風貌だ。
俺たちを見上げると、その小さな瞳が大きく開く。
「ほお、5人とな。しかも制服……高校生かっ??」
「はい、高校生です!」
ババアの問いかけに代表して答えたのは高寺だった。
「あの、占ってもらいに来たんですけど」
さすがの積極性。ニコニコ笑顔でいいぞその調子だ高寺……と思いきや、桜木町のババアはサングラスの奥の瞳を鋭くする。
「占いだからね~、そりゃ占うよ!! 逆にあんたらが占ってもらう以外の目的で来てたら、何しに来たって話だね!! 追い返すよっ!?」
「あ、で、ですよね~」
「まあ、占わないでいいなら占わないけどね!! 金は置いていってもらうけど。ババア的には楽して金儲けるに越したことはないからね!!」
「い、いやそこは占ってくださいよ~」
のっけから飛ばすババアに、高寺もついていけないように冷や汗を浮かべている。中野は顔を引き攣らせ、本天沼さんは呆気にとられ、石神井はニヨニヨ笑っていた。表情は全員違うが、心のなかでは同じことを思っていたに違いない。
(このババア、めっちゃキャラ濃いじゃねーか!)
ということを。
だって客に対して追い返すとか言っちゃってるし、占い師なのに「占わなくていいなら占わない」とか言っちゃってるし、なにより一人称が『ババア』。ラスボスに相応しいキャラの濃さだ。
「え、えーっと……」
そんな意味不明な桜木町のババアに圧倒されたのか、高寺はしどろもどろになっていた。コミュ力強者な彼女だが、さすがに出会ったことのないタイプだったらしい。
「高寺さん」
すると、中野が高寺の肩をポンポンと叩いた。代わるよ、ということらしい。スッと前に出ると、ババアと対峙し、話をする……と思いきや、そのままイスに腰をおろした。非常に滑らかな動きだった。
「じゃ、5人を代表して私を占ってもらえますか?」
「えっ、りんりんっ?」
てっきり自分が占ってもらうと思っていたらしい、高寺が愕然とする。まあ、一番乗り気だったワケだし、普通はそう考えるよな……。
しかし、中野は気にせず、ババアを挑戦的な目で見返す。
「お願いします。占い、初めてなんで楽しみです」
「……ここに名前と生年月日」
するとババアは中野の前に一枚の紙を出し、そこに名前と生年月日を書くように示す。中野が書くと、ババアはそれぞれの文字の画数を数え、足したりした。
しかし、計算し終わると、その紙にマッチで火をつけて燃やしてしまう。
そして、ババアは中野に手を出すように言うと、左右の手相を分厚いレンズで見始めた。沈黙のまま、1分近くが経過し……
「えっと、これってなんて占いですかね」
しんとした空気に耐えきれなかった高寺が尋ねたそのときだった。
「うるさいねっ!! 人が見てる最中に余計なこと聞くなっ!!!」
ババアはそうと叫ぶと、いきなり立ち上がって、手元に置いてあった易占い用の木の棒を高寺に向かって投げつけたのだ。
その多くは高寺のおでこや顔面に綺麗に直撃し、外れた数本が俺や石神井、本天沼さんにも命中。ひとり前で座っていた中野だけが被害をまぬがれた感じだったが、愕然とした表情で背後にいる俺たちをキョロキョロと見る。
「いたっ!!! な、投げたっ!!??」
「投げたよ。そんで当たったんだから痛いに決まってるだろ?? ババアは投げ慣れてるからね。こうやって、スナップ利かせてんだよ、スナップをっ!!」
涙目になっている高寺に対し、なぜか黒い笑みを浮かべているババア。しかも、手首をくいっとさせて、俺たちにスナップの技巧ぶりを自慢げに見せつける。なんだこのヤバいキ○ガイは……。
「面白いけど、占い師としては外れかもしれないな」
さすがの石神井もそう思ったようで、小声で俺たちに耳打ちしてくる。
「桜木町のババアとか言うから楽しみにしてたのに、本当にただのババアだったじゃん」
「たしかに」
「やー、当たるってネットに書いてたんだけどなあ」
「高寺さんのせいじゃないよ。中野さん見てもらったら帰ろうか」
たははと困ったように頭を掻いている高寺を、本天沼さんが優しくフォロー。すると、高寺はコクンとうなずく。占いではなく、占い用の棒が当たったおでこは、見事に赤くなっていた。
「そうだよ。当たるも八卦当たらぬも八卦って言うし」
俺も諦めて、高寺をフォローする。初めての占いで正直ちょっとテンションも上がっていたけど、まあ現実はこんなものなのだろう……と、そんなふうにして、諦めの空気が俺たちを包み始めた頃、ババアが唐突に話し始めた。
「なるほど、わかったぞ」
「なにがわかったんですか」
「あんた、若いのにえらい苦労しとるじゃないかっ??」
「苦労ですか?」
困惑の表情で、中野が尋ね返す。誰にでも当てはまることでしょう、とでも言いたげな感じだ。
「そうよ。あんた、親が両方ともいないんだろ?」




