47 絵里子との朝1
俺の一日は、寝室で眠っている母親の布団を引きはがすことから始まる。
「おはよう」
「んー」
「朝だぞー起きろー」
こんもりとした布団の山に向かってそう言うと、物を消すマジックでマジシャンが布を引くように、布団をガッと一気に引っ張る。布団をベッドから引きはがすと、そこにはもちろん小さくくるまった母こと絵里子がいる。マジックじゃないんだから、いて当たり前なんだけど。
「あと5分だけ……」
「ダメだ」
「じゃあ、あと10分……」
「なんで伸びてんだよ」
「……」
「そういうときは普通、最初に『あと10分』って言ってから『じゃあ5分だけ』って言うもんだろ」
「なるほろ」
「よく言うだろ、交渉事は最初に無理めな条件提示して、一旦断らせたうえで譲歩風に見せかけた本当に飲ませたい条件を提示するって」
そこまで言うと、絵里子がやっと顔だけ俺に向ける。
「そうちゃんってもしかして……前世、営業マン?」
「前世予想された人史上、最高につまんない前世だな。せめて『中世ヨーロッパの貴族の庭に生えてた草』くらいにしろよ」
「草のほうがマシなんだwww ワロタァァwww」
「冗談だし、草生やすなよ。朝からそのテンション出せてなぜ起きれない。あと、俺は普通にサラリーマンになるから」
「……そうちゃん、この世界には適材適所という言葉があって、たとえ好きなことで生きていけなくても悲しむことでは」
「いや慰めなくていいから。むしろ慰められたら余計哀しくなるから」
「ううう……」
「わざとらしく泣かなくていいから」
だいたい、そもそもユーチューバーって何なんだよ。あいつら、好きなことで生きていく方法は教えてくれるけど、好きなことの見つけ方は教えてくれないじゃないか。特技や才能もない大半の人間は、まずそこから悩んでんだよ、うーむ……ってな。
「いいんだよ。どうせ俺は普通に大学卒業して、普通にサラリーマンになる人生だから」
「普通かあ。まあ、普通に生きるって結構難易度高いけどね?」
絵里子は俺を見上げながら言う。なんというか絵里子が言うと、説得力がスゴい。
「ほんと、子供らしくないんだからさ」
「木の年輪と違って、人の年輪に年齢は関係ないだろ? こうやって毎朝最低5分喋らないと起きてきてくれない母親の相手してたら、誰でも少しは精神的に大人になるって」
「精神的に大人になるっていうより、そうちゃんのはなんか精神的に老けてるというか」
「老けてるは余計だ」
絵里子は朝に弱く、布団がなくなった後でも血圧的にすぐには起きられない。だから、俺は毎朝、こんなふうに5分くらい絵里子の話し相手をする。小学生のときに始めて以来、もう10年近く続いている習慣だ。
やっと体が動かせる状態になってきたのか、絵里子はそこにない布団を手探りし、諦めると、今度は枕を抱き枕にして起床への抵抗を続ける。42歳にして、起きることへの反骨精神だけはすさまじい、ポンコツな母親である。
高校生の息子に毎朝起こしてもらってる母親というのは冷静に考えたら、その辺のマジック以上に不思議な存在かもしれない。切ない気持ちになるので、冷静に考えるのはもうやめることにしよう。
いつもはこの辺で起きるのだが、今日はまだ眠いようなので、俺は一旦リビングに戻ることにする。
「ほんと、仕方ない母親だな。朝メシできたらまた呼びに来るから」
「うー、むにゃりむにゃり……」
そんな擬音を発したのち、絵里子の肩は再び静かに上下を始めた。
自室に戻ると俺は素早く制服に着替え、そのうえにエプロンをつけた。そして、キッチンの横の窓の雨戸を少し開けて光を取り込むと、俺は朝食の準備に取りかかる。
朝イチで日光を浴びると体内時計がリセットされ、目が覚め、睡眠のリズムが良くなることは科学的にも証明されている。睡眠は受験生にとって大切な要素なので、朝食を作る時間に浴びるようにしているのだ。
魚焼き器に鮭を2切れ載せてセット。焼けるのを待つ間、手際よくねぎ、豆腐を切ると、あらかじめとっておいた出汁に入れ、味噌を溶かす。
さらにその間に卵3個を片手で割ると、1分間180回転を誇る(※自称)、自慢の菜箸まわしでそれをとく。ごま油を入れて温めておいたフライパンに3回に分けて注ぎ、卵焼きを作る。
さらにさらにその作業の間にも、前日の夜に作ったサラダの残りをとりわけ、ミニトマトを添えて赤色を追加。そして納豆のパックを冷蔵庫から取り出す。
さらにさらにさらに同時並行で完成したものを弁当箱に入れていく。冷凍食品を使うこともあるが、食費節約のためにこうやって朝食を多めに作るようにしているのだ。
ここまで約5分。
朝食のスピードとして、我ながら無駄がない。寝坊助な母親の相手をしてなければ、朝のうちに昼食分まで作れる手際の良さだ。
あとは昨夜のうちにセットしておいた炊飯器のご飯が炊けるのを待つのみである。計算では、鮭が良い焼き加減になる、ちょうど3分後に炊けるはずだ。
なので、俺は再び絵里子の寝室に向かう。奇しくも、さっき絵里子自身が言った延長時間とぴったりだ。手のかかる母親は、枕にしがみつきながら、すやすやと気持ちよさそうに寝息を立てていた。
「おーい、今度こそはほんとに起きろー。朝メシできたぞ」
「んー、あと10分だけ」
「……」
「じゃあ5分だけ」
「早速営業マンの交渉テクかよ。ビジネス書の力信じてる新入社員ばりの素直さだな」
「は、うるさいし。あと今のツッコミちょっとウザい」
「実の息子にウザいとか言うな立場逆だろ。そしてなぜキレ気味」
「むにゃりむにゃり……」
「本当に寝てる人はそんな擬音出しません」
いくら言い聞かせても起きてこないので、俺は絵里子の腕の中から枕を奪い取る。両手、両足が空いた絵里子は、おぼれる人のようにバタバタしたのち、ぱたっと勢いを失って止まった。
「ぐーぐー……」
「マジでしつこいな。もうすぐご飯炊けんぞ」
「朝はパン、パンパパン」
「明日はパンにするから今日はご飯で我慢してくれ」
「そうちゃん……」
ベッドの上から、上目遣いで絵里子が俺を見る。
「なんだ」
「はやくしないと、学校遅れちゃうよー?」
「私のことは見捨ててって、ことか。まあ別にいいけど。起きてこないと、さすがに俺洗い物する時間なくなるし。そうなるとそっちに任せることになるわけだし」
そう言うと、絵里子は途端にむくっと起き上がり、
「んーっ!」
と背伸び。そして、不満そうな顔で俺の胸元をバシッと叩くと、
「朝はプン、プンププン」
と、その擬音のとおりプンプン、足音はドンドンたてながら部屋を出て行った。
「痛いし……」
思わず軽くむせながら、俺もキッチンに戻ることにした。
○○○
と、そんな寸劇をこなしたのち、である。そこで、俺は初めてリビングの異変に気付いた。
「あれ、おかしいな……」
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