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126 声優講座本番4

 午後15時から始まった、4~6年生向けの講座は、午前とは一風違ったものとなった。「今日は私たちの授業に来てくれて、本当にありがとう」


 中野を皮切りに、3人が行なった挨拶は午前と同じだった。だが、それを受け止める、子供たちの雰囲気が少し違った。


 午前はどちらかと言うとただ笑顔で、これから始まろうとしている面白いことに胸をときめかせている感じだった。 


 だからこそ面白くなかったときに、一瞬で興味を失ってしまいそうな危うさをも同時にはらんでいたワケだが、今いる子供たちはかなり真剣な表情で中野たちの話を聞いていた。 おそらく、中にはすでに真剣に声優を志していたり、はっきりとアニメ好きを自覚している子もいるのだろう。


 中野たちもそれを感じたのか、壇上で目を合わせ、うなずき合う。


 そして、中野は生徒たちの顔をぐるっと見回しながら、こう問いかけた。


「突然ですが、皆さんのなかに本気で声優になりたいと思っている人はいますか?」


 その言葉に、子供たちは周りをうかがうようにした。


 やがて一部の子供が手をあげ、それを見て別の一部が手をあげる。声優に憧れつつも、声に出す勇気はまだ胸のなかで固まっていない……そんな心の揺れを感じさせる、リアルな反応だ。


 すると、中野は優しい声で続ける。


「手をあげていなくても大丈夫ですよ。声優のなかには、もともと声優になる気はなかったのに声優になってる人もいますから。なにを隠そう、先生もそのひとりです」


 その言葉に、子供たちが息を飲んで驚く。


「先生はもともと児童劇団に入っていました。べつにお芝居が好きだったワケじゃなくて、メイキングってわかるかな? そう、映画の撮影風景をおさめた舞台裏映像みたいなのが好きだったんです。で、それを見た両親が『ああ、この子は芝居に興味があるんだな』って思って児童劇団を勧めてくれて。つまり、先生のキャリアは両親の勘違いから始まったんです」


 一部とは明らかに違う、掴みのトークだった。声優に憧れている子供が含まれていることを踏まえ、台本を一部変更したのだろう。


 しかし、高寺と陽向さんを見ると、ふたりは落ち着いて中野を見守っていた。もしかするとこの変更ですら、可能性として想定されていたものなのかもしれない。


 そして、中野の話は本題へと入っていく。


「さて皆さん、声優ってどんなお仕事だと思いますか?」


 中野が右手をあげて挙手をうながすと、ひとり、またひとりと手をあげていく。


「アニメでキャラの声をしている人」

「映画の吹き替えとか」

「歌うたったりも!」


 その声を聞きながら、中野はひとつひとつに笑みを浮かべていく。


「どれも正解です。今の声優さんってほんとなんでもやりますよね。ラジオしたり歌ったり踊ったりテレビに出たり……って先生も声優なんですけど」


 中野の珍しいセルフボケツッコミに、子供たちは笑い声をあげる。


「それでも先生は、声優のお仕事の基本はキャラに声をあてることだと思ってます。そうすることで、キャラに命を吹き込み、みんなの元に届く」


 子供たちがコクンとうなずく。


「当たり前ですがほとんどの場合、ひとつのキャラを演じるのはひとりの声優です。でも、じつはキャラって、演じる声優さんによって大きく変わるものなんです」


 なんのことを言っているのかイマイチわからなかったのだろう。子供たちの瞳は好奇心を宿しつつも、その表情には「?」が浮かんでいる。


「今日は最初にそのことをみんなに伝えて、演技の面白さ、奥深さを知ってほしいと思います。では高寺さんと上荻くん、台本を配ってもらえるかな?」


 中野が目配せすると、高寺と陽向さんが笑顔でうなずき、あらかじめ席数に合わせて用意していた台本を子供たちに配っていく。台本と言ってもプリント数枚をホチキスで綴じただけの簡易的なものなのだが、それでも子供たちは嬉しそうに見ていた。


 そして、俺の手元にもその台本が回ってくる。枚数そのものは少ないが、キャラ分のセリフが1~2行ずつだっただけの午前の台本と違い、ずっと本格的な感じだった。


「すごいなこれ……もしかしてオリジナル?」


 尋ねると、香澄が首を横に振る。


「いや、桃太郎だからオリジナルではないです」

「あ、ホントだ桃太郎だ」

「でも、中野さんの工夫が出てると思います」


 ということで詳しく中身を見てみると、1、2ページ目に桃太郎のワンシーンが書かれていた。成長した桃太郎がおじいさんとおばあさんの家を出て、鬼退治に出発するところである。


   ------------


桃太郎  おじいさん、おばあさん、今までありがとう。僕はみんなのために、鬼ヶ島に

     行ってきます。鬼ヶ島で、悪い鬼を退治してきます。

おじい  桃太郎、本当に行ってしまうのか。

おばあ  しかも、たったひとりで。

桃太郎  おじいさん、おばあさん、どうして泣くのですか。鬼を倒せば村の人たちがみ

     んな幸せになる、おじいさん、おばあさんも今より豊かな暮らしができる。な

     にも悲しむことはないじゃないですか。

おばあ  私たちはもう先も短い。豊かな暮らしなど……。

桃太郎  それに私は、私の意思で鬼ヶ島に行くんです。村の人たちに言われなくても、

     いつかこうして、ひとりの大人として自分の務めをまっとうすることになって

     いたでしょう。私はそういう男なのです。

おじい  もし、私がもう少し若ければ、一緒に行ったのだが……。

桃太郎  おじいさん、私なら大丈夫です。必ずすぐに戻ってきます。だから、今日はさ

     よならは言いません。おじいさん、おばあさんもそうしてください。ね?


   ------------


 高学年相手の授業で桃太郎というのは、若干子供っぽい気がしないでもないが、それでも題材としては悪くないだろう。世の中には三人の太郎を起用したCMなんかもあるし、相手が知っていることを用いるのは、コミュニケーションにおいてはよくある手法だ。


 だが、この短い文章のなかにどんな意味が込められているのか、俺にはさっぱりわからなかった。


 子供たちも同じなようで、怪訝な表情を壇上のお姉さん、お兄さんに向けている。


 気づけば、3人は並んで壇上に立っていた。高寺はさほど緊張していないのか、こっちが驚くほどの笑顔で、目が合うとさらにニコッと笑った。陽向さんは緊張しつつも、爽やかな笑顔を浮かべている。


 そして、中野が解説を再開する。


「皆さんご存じ、桃太郎です。桃から生まれた桃太郎が、大きくなって鬼ヶ島に鬼退治に行って宝物を奪って、地元に戻ってめでたしめでたし、と乱暴に説明するとそういうお話ですけど、みんな、疑問を持ったことはない? 『桃太郎って、本当に鬼ヶ島に行きたかったのかな?』って」


 その言葉に、子供たちは「たしかに」という顔になる。


「どの絵本を読んでも、桃太郎って大きくなるとそれがごく自然なことであるかのように鬼ヶ島に行くんです。私たちにとって学校に行くのが当たり前なように鬼ヶ島に行ってしまう。けど、桃太郎がどう思っていたかはなぜか書かれていない」


 中野の例え話に、子供たちがクスッとする。


「声優はキャラの感情を演技で表現するお仕事ですよね。だから、モヤッとした状態のままだと演じられない。『桃太郎はどんな気分で鬼ヶ島に行くのかな?』って考えます」


 わかりやすい例え話に、子供たちもコクコクとうなずく。


 その反応を見て、中野は自信を深めたようで、嬉しそうに笑みをもらす。今やもう、授業をすっかり楽しんでいる様子だ。


「そこで今から、2つのパターンで私たちが実演してみます。1つは桃太郎がまだ少年で、自分から望んで鬼退治に行くパターン。そしてもう1つは、桃太郎がちょっとだけ大人んなってて、じつは鬼ヶ島に行きたくないんだけど、周りの村人たちに期待されて行くしかなかったというパターン」


 中野がそう述べると、なごやかな教室の雰囲気が一気に引き締まったのを感じる。普段の中野を見ていると、なんにも感じないレベルだが、小学生には急に毒の部分が出たように感じたらしい。


「まず1つめのパターン。桃太郎を高寺さん、おじいさんを上荻くん、そしておばあさんを私が演じます」


 中野が目配せすると、高寺が真剣な目つきでコクンとうなずき、中野と立ち位置を入れ替わった。桃太郎は本作の主役なので、立ち位置も変更、ということなのだろう。おそらく今、隣の教室にいる幸四郎氏が、背筋を伸ばして座り直しているに違いない。


 そして、意を決したように空気を吸い込むと、高寺が朗々とした声を出す。


「おじいさん、おばあさん、今までありがとうっ! 僕はみんなのために、鬼ヶ島に行ってきます。鬼ヶ島で、悪い鬼を退治してきます!!!」


 高寺のくぐもった、独特な温もりのある声で演じられる桃太郎に、教室の空気が変わったのを感じる。向こう見ずな雰囲気と自分への揺るぎない自信が感じられ、桃太郎少年がそこに現れたように思えた。


「桃太郎、本当に行ってしまうのか」

「しかも、たったひとりで」


 陽向さんと中野が演じるおじいさん、おばあさんは、それぞれ桃太郎への深い心配を感じさせた。ふたりとも、まだ老人を演じられる年ではないはずだが、お年寄り特有のリズム感、声のかすれなどが表現されており、正直目をつむれば本当に老人だと思ってしまいそうな出来だ。 


 それは高寺が演じる桃太郎少年よりインパクトが大きかったようで、子供たちの驚きが空気を伝って俺のもとにまで届く。


「おじいさん、おばあさん、どうして泣くのですか。鬼を倒せば村の人たちがみんな幸せになる、おじいさん、おばあさんも今より豊かな暮らしができる。なにも悲しむことはないじゃないですか」

「私たちはもう先も短い。豊かな暮らしなど……」

「それに私は、私の意思で鬼ヶ島に行くんです。村の人たちに言われなくても、いつかこうして、ひとりの大人として自分の務めをまっとうすることになっていたでしょう。私はそういう男なのです!」


 水を得た魚のように、高寺はいきいきと少年役を演じていた。


 以前、雑談の最中に中野が少年の声を出すのを聞いたことがある。そのとき、普段の声とのあまりの違いに内心驚いたが、高寺も遜色なく感じられる出来だった。


「もし、私がもう少し若ければ、一緒に行ったのだが……」

「おじいさん、私なら大丈夫です。必ずすぐに戻ってきます。だから、今日はさよならは言いません。おじいさん、おばあさんもそうしてください。ね?」


 明るい桃太郎は、さよならも言わずに去る。自分がすぐに戻ってくることを1ミリも疑っておらず、「ね?」という言葉にも、有無を言わせない強引さがあった。


 静まりかえった教室で、小さく拍手が広がる。手を叩きたいが、授業なので叩いていいのか迷った結果、という感じだ。すると、中野はそれを笑顔で受け入れる。


「これが1つめのパターンです。では次に、もう少し桃太郎が年齢を重ねていて、村人たちに期待されて鬼ヶ島に行かざるを得なくなったというパターン」


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