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111 円の似てないパパ1

「この人、あたしのパパなんだ」


 高寺のくぐもった、ほんの少し鼻にかかった声が脳内でリピートされる。


 さっきまで両手で組み合っていた堅物顔のオッサンの顔を、俺は改めて見る。身長は俺より10センチほど高く、白髪こそ混じっているが肌にはツヤがあり若々しい。シャツのボタンが飛びそうなほど張られた胸板は、野生動物が他の生き物に対して「自分のほうが強いぞ」と威嚇しているように見えた。


「私の名前は高寺幸四郎。職業は政治家、県会議員だ。そしてここからが大事だが、県会議員である以前に、円の父だ」

「あ、知ってます。今聞いたばっかなんで」

「大事なことなのでもう一度言うが、私がま」

「ねえパパ! なんで急に来るの!!!」


 2回目を言い切る前に、高寺がオッサンにツッコミを入れる。非難めいた口調だったが、幸四郎氏は泰然自若として、動じていない。


「父親が娘に会いに来てなにが悪い」

「いや悪くないよ? でも、だから悪いってゆーか。それに約束なしに来るのはルール違反じゃない?」

「それを言うなら、約束していたのに来ないのもルール違反じゃないのか?」

「う……」


 そう言うと、幸四郎氏は一歩前に踏み出る。気圧されるかのように、高寺が一歩後ろに引いた。


「3月、横浜で会う約束だったのに来なかっただろ」

「3月……あ、あの日はその、色々あったって言うか」

「色々あったんだろうな。横浜に向かう電車に乗ったってLINEが来たあとに急に連絡が取れなくなり、結果、3時間も放置されたんだから。色々ないと許せないところだ」

「う……」

「学校のテストもその前日に終わると聞いていたからわざわざその日に合わせたのに」

「それはその……」

「まあ終わったことはいい。とにかく、ひとまず中に入るぞ」


 そう言うと、幸四郎氏は中へと入っていく。


 結果、俺は高寺とその場に残された。申し訳なさそうな目がこちらを向く。


「ごめん、事情を10秒で説明するとあれあたしのパパ。と言ってもママとは離婚してて中学から一緒に住んでなくてでも3ヶ月に1回会う決まりでちなみに仕事は議員で冗談が全然通じないあたしと全然似てない性格の人」

「だいたい10秒だな」

「ゆっくり説明してる時間ないからね」


 彼女には珍しいトーンの低い声&早口だったが、なるほど彼女の家庭の事情はそれで伝わった。離婚してて片親だってのは横浜への遠足で、中野に話していたのを通じて知っていたが、5年近く経った今でも交流はあるようだ。


 そして、高寺が部屋のなかへ入っていく。正直、ここで帰りたい、親子水入らずの時間を楽しんでほしいという気持ちもあったが、高寺が視線で圧を送ってきていたので着いていくしかなかった。


 リビングに戻ると、幸四郎氏はカバンを足元に置き、指をボキボキ鳴らしながら部屋のなかを見渡していた。


「ほぅ、こういう部屋か……栄実が好きそうだな」

「ママは選んでない。あたしが自分で決めたから。ママはもっとシックで高そうなのが好きでしょ?」

「……」

「ママのこと全然わかってないんだね。ふんっ、だから捨てられるんだ」

「……それはさておき、なんでこいつも入ってきてるんだ?」

「え、こいつ?」

「なんだ、こいつじゃ不満か?」


 幸四郎氏が睨みつけるようにして見てくるので反射的にそう述べると、彼の眉間のシワが深くなった。


「いや、べつに不満があるとかじゃなく、今のは反射的に反応しちゃったというか」

「不満がないのなら今のままでいいんだな。おい、こいつ」

「『おい、こいつ』っておかしくないですか、日本語的に」

「……」


 再度、反射的にツッコミを入れると、今度は途端に黙ってこちらを凝視。否定も肯定も相槌もなく、ただただ凝視。ひたすらに凝視。結果、俺としては真意が読めず、非常にやりづらい。


 なんでこんなことになってるんだ……と内心思うが、そこで俺はいるべき人がいないことに遅ればせながら気付く。すると、高寺が俺に半分、幸四郎氏に半分説明するかのように語り始めた。


「今日はこの若ちゃんと、もうひとりのお友達の女の子と一緒に勉強会する予定だったの。でもその子、事務所から呼び出……まあ急用が入っていなくなったって感じで」

「なるほど……ってことは私が心配しているようなことは」

「なんの心配か全然わかんないけど」

「貞操の心配だよ」

「う、うるさいっ!! 思春期の娘にそんなこと言うなっ!!」

「なんだ? 思春期が終わったら聞いていいってことか?」

「そんなワケないだろセクハラオヤジ!」

「セクハラだと? 円、セクハラというのは仕事などで上下関係を利用して命令に従わせることであって、私たちのように対等な親子関係では」

「今そういう広辞苑的な話してなくて!」


 高寺が顔を赤くし、幸四郎氏の胸板をポカポカ叩くが、如何せん体格差があるのと、彼の胸板が厚いのとで、びくともしていない。高寺は諦めて、軽く叫ぶように言う。


「と、に、か、く! 若ちゃんとはなにもないから!!」

「若ちゃんとは……? ってことは若ちゃん以外の他の男とはなにかあるのかっ!?」

「若ちゃんとも、なにもないから!! う、うぅ……」


 高寺の顔はさらに真っ赤になっていた。


 俺としても、真横で仲のいい女の子の貞操実態を聞くなんてのは当然初めての経験で、どう振る舞っていいのかわからない。


 と、そんなふたりとは対照的に、いろいろ尋ねたことっで安堵したのか、幸四郎氏の眉間の皺はさっきより少し浅くなってた。


 それを見て、高寺が少しトーンの落ちた声で尋ねる。


「てかパパ、よくこの場所がわかったね。あたしが引っ越したこと、ママから聞いてなかったでしょ?」

「ああ、知らなかったよ。だから、栄実のスマホに聞いたんだ。『Siri、高寺円の現在の住所はどこ?』ってな」

「最低だ……」

「父親に引っ越したことを告げない娘には言われたくないけどな。で、道に迷ってたらこいつが案内してくれた」

「こいつって」

「え?」


 高寺が怪訝な表情を浮かべ、俺のほうを見る。大切な友人が父親にこいつ呼ばわりされているのに違和感を覚えたのではなく、俺が道案内した、の部分が飲み込めていないのだろう。なので説明することにする。


「じつはここで会う前に、マルイの裏辺りで会ってさ。地図持って迷子って感じだったから、声かけて案内しますよって……まさか、高寺のオヤジとは思わなかった」

「あー、なるほど……」


 道案内なんて若ちゃんらしいね、と高寺が苦笑まじりにつぶやく。


「待ち合わせしてるって言うから、連れて来たんだけど……」

「待ち合わせなんかしてなかったんだけど」

「そうか、待ち合わせじゃなく、待ち伏せだったか……」


 高寺の返答に俺がなにげなくつぶやくと、幸四郎氏の眉間の皺がふたたび深くなる。


「あ、待ち伏せとはなんだ待ち伏せとは」

「いやすいません」

「こいつは俺を犯罪者とでも思ってるのか?」

「面と向かってこいつってのはやっぱり慣れない、ってのはさておき、今のは言葉のあやと言いますか……」

「でも、すいませんと謝ってる時点で、自分が暴言を吐いた自覚があるんだろう?」

「いや、今のすいませんはうっかり出たすいませんであって、本当に謝罪の気持ちがあるわけでは……」

「お前は謝る気がないのに謝ったのか? さては私をバカにしてるんだな」

「お父さん、お、おっ、落ち着いてください」

「お前にお父さんと言われる覚えはないっっ!!!」


 幸四郎氏の雷が、大声になって部屋のなかにとどろく。高寺の部屋は完全防音仕様なので他の部屋には聞こえていないと思うが、それでもかなりうるさい。

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