109 出来心と円の台本2
オッサンの姿を見送りながら、俺は高寺のマンションの下でたたずんでいた。
時計を見ると、時刻は15時になっている。高寺家の部屋番号を押すと数秒後、威勢のいい声がインターホン越しに聞こえてきた。
「若ちゃんいらっしゃい! 入って入って~!!」
その直後、ドアが開く。俺は中に入って、いつも通り最上階へと向かった。
そして、目的の部屋のドアをノックすると、なかから高寺が迎え入れてくれる。
「らっしゃい!」
寿司屋の大将のようなかけ声を聞きつつ、中に入ると、リビングにはすでに中野の姿があった。広く、高級そうな家具に囲まれて見る彼女は、いつも以上にその静謐さが際立っている。
「来てたんだな」
「高寺さんに誘われてね……学校の成績に関係しないのにどうして私まで……」
「まあまあまあ、そんなこと言わずに! 復習するのは悪いことじゃないし、それに今日はイベント仕事入ってなかったでしょ。証拠はあがってるんだぜえ?」
「……マネージャーがバラすなんて」
高寺が差し出したスマホを中野と俺が覗き込むように見る。それは美祐子氏とのLINE画面で、今日の中野の仕事の予定を尋ねていた。不満げに突き出された中野の唇が、悔しげに引っ込められる。そこまで悔しいなら断ればいいだけなのだが、中野は意外と受け身なのだ。とくに対高寺ではそう感じることが最近多い。
それはさておき。
今日は外部模試の勉強会を行なうことになっていた。
発案者は会話からもわかるとおり高寺で、会の趣旨は「クラスでひとりだけ受け損ねた
テストの勉強」というもの。
大学受験をしない中野からすれば、そこまでやる必要はない……と考えたのだろう。実際、それはそうなのだが……やはり心の奥底で、いや結構浅い、すぐに感じ取られてしまうところでさみしい気持ちになってしまう俺がいた。
「……」
「……」
中野がこちらを見て、視線が合う。
そして、内心動揺する俺をよそに、なにも言わずに中野がふいっと逸らす。その横顔には気まずさが滲んでいるように思えた。
と、そんな気まずさを打ち消すように高寺が声をあげる。
「じゃあ、早速だけど始めようか! ……と言いたいとこなんだけど、ちとコンビニにだけ行って来ていいかな? 今、飲み物がなんにもなくてさ」
「俺はべつにいいけど」
「なら私も行くわ。密室に男の子とふたりでいるのは……ちょっとあれだし」
「おい、べつに何も起きないけど?」
不本意かつ安易な誹謗中傷だと思う。
それに、むしろ俺たちは初めてまともな会話をしたのが密室なのだ。あの日、俺は中野に指一本触れず、極めて紳士かつ真摯な態度で接した。そういう前例があるんだから、もっと信用してくれていいはずである。
しかし、そんな反論は受け流し、中野は高寺と連れだって外へと出て行った。
○○○
というワケで、部屋はすっかり静かになった。
改めて見渡すと、一人暮らしには十分すぎる広さだった。低めのテーブル、ソファーのおかげで感覚的にも広く思える。ここに来るのは久しぶりだったが、部屋は引っ越し当時と変わらずキレイ。キッチンも清潔で、洗っていない食器が溜まっているワケでもなく、高寺の意外な生活力の高さを感じさせられる。
そして。
見回すだけで時間を消費するワケではないので、俺は勉強の準備を始めることにする。
と言ってもやることは少なく、文房具、教科書、問題集、ノート、タブレットをテーブルのうえに並べるだけ。中野、高寺のカバンも側に置いてあるが、もちろん勝手に並べるワケにはいかない。
と、自分の教科書を置いた直後、テーブルの反対側から落下音が聞こえてくる。視線を向けると、そこには台本が広がった状態であった。おそらく高寺が出演するもので、読んだことはなかったがたしか少年誌で連載中のラブコメ作品だ。押し出す形で落としてしまったらしい。
(台本か……)
思えば、手に取るのは初めてだった。話の中にその言葉が出てくることはたくさんあったが、情報機密の観点から、中野も高寺も見せたりはしなかったのだろう。もちろん、俺からも見せてほしいとも言わなかったし。自分で言うのもなんだが、俺はその辺はきちんと配慮する男なのだ。
(でも、普通にめっちゃ興味あるもんな……)
きちんと配慮する男ではあるのだが、同時に出来心を捨てきれない男でもあった。
いや、出来心というか、普通に好奇心。
あれこれ自分に言い訳したけど、正直、プロのアニメ現場で使われる台本がどんなモノか、めちゃくちゃ興味があった。自分自身をオタクとは思わない、作り手になれるとかそんな大それたことは思えない俺だが、それとこれはまた別だし、好奇心はあるのだ。
実際、モノ作りの現場がどんな感じなのか知りたいと思うことくらいは、許されてもいいはずだし……。
そんなことを思いつつ、両手でしっかり持って、中を見てみる。
まず、最初に感じたのが、その形式の独特さ。横線が引かれ、上下3段に分かれているのだ。昔、中学生のときにシェイクスピアやチェーホフなどの戯曲を読んだことはあったが、たしかそれは上下に分けられてはいなかった。
一番上の段はシーンを管理する番号のようで、「120」とか「121」などの数字が記載されている。
真ん中の段は一言で言うと、映像面の説明。キャラの表情や動き、転換のための風景カットなどが書かれている。説明は意外とシンプルで、小説などのように詳細に描写されているワケではなく、むしろ最低限のことしか書かれていない。
そして、一番下の段が音に関する説明。キャラのセリフやSE(効果音)などが記載されている。思ったよりもセリフのひとつひとつが短く、そして何気ないセリフが多いと思った。視聴者としてはついつい凝ったセリフや名言に注目してしまいがちだが、実際の会話は「うん」とか「そうだね」とか「わかった」とか、そういうちょっとしたセリフが圧倒的に多いようだ。
……などと言えば、なんとなくアニメ台本の全体像が伝わるだろうか?
ここで戯曲の説明に戻ると、この形式は通常「柱・ト書き・セリフ」の3種類から構成されている。柱はシチュエーションのことで「城」とか「応接間」とかそういうの。ト書きはシーンの説明で、どのキャラがここで入ってくるとか、誰々が誰々の胸ぐらを掴むとか、そういう目に見えるモノが描写される。で、セリフはセリフだ。そのまんま。
つまり、アニメ台本はこの3つの要素を上下3段にした感じだった。なぜこういう形式になったのかは不明だが、声優が声をあてるうえで都合がいいとか、監督や音響監督が見やすいとか、きっとそういう理由とかがあるんだろう。
だが、素人である俺の感想はこうだった。
(これ……正直、めっちゃ読みにくいな……)
そう、正直、とても読みにくいと感じたのだ。
小説の形式に慣れてる人間としては、まず視線を上下に動かさないといけない時点でわかりにくいし、地の文がなくてセリフだけってのも読みにくい。
……いや、違う。
それだとちょっと違うな。
読みにくいのは読みにくいんだけど、この違和感はもっと他のなにかで……
(わかった……読みにくいんじゃなくて。イメージが湧かないんだ)
ひとり、胸のなかでつぶやく。




