五十話め.生きてる
散々遊ばれた後、落ち着いてくると疑問が浮かんでくる。
何で、コイツがここにいるんだ?
その疑問は、先程自分が考えた事と重なる。
妄想だとしか思っていない。
だけど、もし、もしそうなのだとしたら。
アゲハがここに居るという事は……。
「お前死んじゃったのかよ」
自分でも驚くほどに冷静にそう言った。
ここに来てから、変に落ち着いてしまっている気はしている。
まるで全てに諦めてしまったのかのような感覚さえ持ってしまっている。
アゲハは、その場に座り直すと俯く。
何も言わない事が、俺には答えているようにしか受け取れない。
やっぱりそうなのかよ。
薄っすらと解っていた事だが。
自身が死んでいた、というのを理解するのはやはりショックだ。
しかし、それよりも大きなショックがその事を今は少なからず忘れさせる。
俺はガックリと、項垂れる。
そっか。
そっか……。
死んじゃったのかお前。
暴れたくなるほどに辛い筈なのに。
胸が張り裂ける程に悔しい筈なのに。
この白い世界のせいなのか。
俺の心は冷静で、唯深く悲しくて、落ち込む。
俺も死んで。
お前も死んで。
何も……。
残らなかった。
最高に最悪で最低のバッドエンド。
結局、助けられなかった。
殺せても、生き返らせる事はしてやれなかった。
爺ちゃん先生を恨むつもりは無い。
殺したのは俺だ。
でも、本当の幽霊になっちゃって……俺までも幽霊男だ。
そこで俺は苦笑する。
……笑えねぇ。
俯く俺に、小さなアゲハはポツポツと話始める。
「……河合君、ココはね。 三途の川みたいな物だと思うの」
そう言いながらアゲハは、様々な映像が流れる世界を眺める。
「詳しいなお前」
何となしに言った言葉に、アゲハは懐かしむ様に返す。
「ここには昔来た事が、あるの」
昔。
その言葉で少し理解する。
ココがそう言う所であるならば、死に掛けたと聞いたアゲハが小さい頃。
「お父さんとお母さんと一緒にこの階段を上がって……手を繋いで……それで……私は」
小さなアゲハの目からポロポロと涙が零れる。
不覚にもその姿にギョッとする。
彼女の感情が戻っていた事を忘れていた。
前の彼女のイメージが強すぎてどうも慣れない。
「わ、解ったから泣くなって! そんな顔見たくないっつの!」
駄目だ。この顔は嫌だ。妙に胸に刺さる。
「……? 感情って解らない、突然零れる」
アゲハは零れる涙を自分で拭いながら不思議そうにその雫を眺める。
久しぶりに戻った感情は、どうも上手く制御出来ないようで。
さっきも話している時、小さなアゲハは拗ねたり怒ったり喜んだりしてたな。
全く面白い感じになりやがって。
零れる涙を掬う小さな少女。
その姿は妙にやりづらく感じる。
唯でさえ泣き顔が嫌いなのに。
子供の姿だというのは、ズルい。
「っつーか、なんでお前子供なんだよ?」
そうだ。こいつは子供のままだ。
確かに一番下に居た時は俺も体が小さかったようだが。
コイツも階段を上がってきたのなら俺と同い年くらいになっている筈だ。
少女のアゲハは、景色を眺めながら淡々と話す。
「言ったでしょう? 私はやっぱり死人で、あの事故からずっと死人だった私に思い入れ何て無く、一歩一歩刻む走馬灯すら私には無い」
自分の事を冷静に分析して、こういう所は変わらんな。
少女なアゲハは俺の歴史を優しく見つめる。
「私は真っ白だけど、貴方の景色はやっぱり綺麗でキラキラしてる」
その言葉は、嫌味では無く優しく。
羨ましむ様に。
感情が制御出来ないからこその彼女の心からの言葉。
「寂しいかよ……」
そんなアゲハの様子に耐え切れなくなってしまう。
それまでも声に出してしまう。
お前を殺したのは俺だ。
お前のこれからのキラキラをぶっ壊したのは……俺だ。
そんな彼女を。
今の彼女を救う方法が見当たらない。
いや、違う、もう。
救えないんだ……。
せめて感情が動くなら。
思いっきり吐き出せばいい、 感情を爆発させて、俺に罵詈雑言を浴びせれば良いんだ。
それで、少しでも楽になるのであれば。
そうされないと、俺も救われない。
……それは俺の我侭でしかない。
言葉の通りに、彼女は寂しいまま死んだ。
結局助けられなかったのだ。
俺は結局お前を助けられなかったんだな。
本当に殺しちまって。
何がヒーローだ。
助けてやるって、大見得切ったのに。
だから。せめて、少しでも彼女を。
しかし感情が制御出来ない筈の彼女の表情は変わらず。
それは達観している風に見えて、受け入れているような、そんな感じ。
俺が寂しいと言った言葉に、彼女はゆっくりと答える。
「今なら、その感情。解るよ。だけど寂しく何て、無い。」
「強がるなよ。俺を恨んでくれていいんだぜ、お前を寂しいまま殺したのは……この俺だ」
怒れ、罵倒しろ。
それでお前の気持ちが少しでも晴れてくれるなら。
折角感情が動くんだ、丁度良い。
ぶつけたら良い。
そういうの俺、得意だから。
「ううん」
彼女は俺の望んだ言葉とは違う言葉を返す。
「貴方は殺してくれた」
彼女が、血だらけの笑顔で俺に言った言葉。
「死にたかったんだろ……」
自殺願望まである幽霊娘め。
その言葉がどれだけ俺の心を抉ったと思ってやがる。
「ええ、死にたかった」
簡単に言ってくれる。
悲惨な台詞を言ったとは思えない綺麗な瞳だ。
人の気も知らないで何て奴だ。
幽霊娘は続ける。
「本当の幽霊になりたかった。透明になりたかった。生きたくなかった。それで、お父さんとお母さんと……一緒になりたかった」
始めて彼女の本音を聞いた。
生きている彼女の心の言葉を始めて。
心の奥底の言葉までも、どこまでも可哀想な幽霊娘。
そっか……だからって。
俺はその為にお前を殺したいと思ったんじゃない。
生きてるお前に会いたかっただけで。
…………。
「でも」
俯く俺に彼女は付け加えた。
彼女は立ち上がる。
俺の方に向き直ると、暖かい瞳が俺を見る。
こんなに綺麗だったかな、こいつの瞳は。
「貴方は……感情の無い私を殺してくれた。私じゃなくて、幽霊の私を殺してくれた」
そっと一段下に居るアゲハは俺の手を取る。
小さな手は死んでるとは思えない優しい暖かさを感じる
「殺してくれてありがとう」
「え」と間抜けな声が漏れてしまう。
また言った。
今度は、違う意味で聞こえた気がした。
その言葉の意味は、その言葉の意味は……!
少女は、手を持ったまま右側に動く。
釣られて俺も動いてしまう。
ゆっくりと、ゆっくりと俺と少女は動く。
少女は、優しく輝く瞳で俺を見つめる。
感覚的には妙にゆっくり回っているように思えて。
メリーゴーランドのように辺りが優しく光る。
「だから」
回る。
それは必然的に今の居る場所も変わって。
アゲハは一段上に。
俺は一段下に。
小さな子供だった彼女の姿は、舞うように輝く光と共に消えていた。
光の後には、俺の知っているいつもの姿。
服装だけは、白いワンピースに変わっているけど、俺の知っている背丈。
「ほら、私は、今」
笑う。
欲しかったその笑顔は。
自然に、優しく。
「生きてる」
景色が変わる。
大きな白の世界には物足りないけど、少ない景色が、確かに映りだす。
彼女と俺が紡いだ景色が。
感情を爆発させたあの日の彼女の笑顔が景色に、一番大きく広がっていた。
彼女が今、大人になった姿が。
確かに、彼女が生きたと証明する景色。
たった一歩だけ。
彼女は確かにあの瞬間。
幽霊では無く。
生きていたんだ。
こいつが、この女が。
ここまで言ってくれて。笑ってくれて。
俺は救えたのかよ。
俺のせいじゃないと、言ってくれているのかよ。
俺は、お前の無感情を殺してやる事が出来たのかよ。
……生きてると。
言ってくれるのかよ。
これじゃあアベコベだ。
生きていたお前は、死んでると言い続けたじゃねぇか。
なのに、今それを言うのかよ。
死んだのに、死んでしまったのに。
それを今、言うのかよ。
受け入れていた死が、心からの否定へと色を変えていく。
死にたがりだと思っていたお前が。
死んでいると言っていたお前が。
そんな事を言われたら。
生きてると言ってくれるなら。
生きているんだと言ってくれるなら!
俺だって!
諦めきれるかよ!
「ここは三途の川みたいなもんなんだろ、だったら、まだ死んでねーんだよな!」
そうだ。
ここは橋渡し。
まだ死んでない!!
「お前は、前にココに来たんだろ!? だったら帰れるじゃねーか!」
まだ可能性はあるんだ。
それさえ解れば、だから、大丈夫! 大丈夫だ!!
「なぁ、一緒に帰ろう! 折角感情が戻ったんだ! もっともっと一緒に遊ぼうぜ! 映画とか行こうぜ! 笑える奴! 泣ける方がいいかな!」
捲し立てる。
そんな俺を。
アゲハは優しく見つめ、「そうだね」と小さく相槌を打つ。
「感情をいっぱい使おうぜ! 14年分だ! おめー全然笑わなかったからな! いっぱいいっぱい笑おうぜ! 病院に居る時間も長かったんだから学校もこれから満喫だ! お前友達いねーからそっからだけどよ! その間は傍にいてやるからよ! 文化祭とか体育祭とかも面白いからさ! 帰ろうぜ! これから景色を広げるんだ! 思い出をいっぱいにするんだ!」
お前が歩いてきた階段に、何も色が付いていなかった何て言うんなら。
これから広げるんだ。
思い出を、いっぱいにするんだ。
アゲハは達観しているように、優しく相槌を打つだけ。
帰る、と。
その口からは出ない。
折角可能性があると思ったのに、その様子に嫌な予感が消えない。
「だからさ! いっぱい遊ぶんだ! 今度は! 一緒に笑うんだよ! 笑うのが一番だけどさ! 怒ったり! 偶に泣いたり! それでもまた笑って!! だからさ!! だから! だから! だから。」
必死に捲くし立てる言葉は減っていく。
何を言っても、感情が動く筈の彼女は動き様子が見えない。
「……だから」
その表情は、笑顔を作ったまま。
「……だからさ……帰ろう?」
最後は聞くように。
縋る様に。
無理矢理言わせるようでも。
小さな可能性を正解だと言って欲しくて。
俺は一つ上の段に立っている彼女に向けて、手を差し出す。
今迄、何度も彼女に手をさしだして来た。
これからも何度でも手を差し出す。
これからも、ずっと。
だから。
この手を取ってくれると信じて。
今度は、一人じゃないんだ。
一緒に怒って、一緒に泣いて、一緒に笑おう。
その手をアゲハは見つめる。
ぐっと、何かを堪えるような。
辛い表情を一瞬見せると、彼女は俺の差し出した手から目を背ける。
アゲハは首を振るう。
「帰れないよ」
聞きたくなかった言葉。
口に出さなかったから、可能性があるんだと。
何か方法があるんだと。
必死に、妄想する程に、きっと都合良く。
現実はあまりにも残酷で、彼女はやはり最悪な終わりのままの、悲劇のヒロインで。
差し出した手を、俺は下ろす。
その行為までもが悔しくて。
視線を下に向けてしまう。
そんな俺に向けて、優しい声が降りかかる。
「私は迎えに来たの」
その言葉の意味が解らず。
俺は、顔を上げた。
顔が見えたのは一瞬。
それは凄く優しい笑顔。
何故一瞬だったのか、その瞬間ではスグに理解出来ず。
彼女が俺を両手で強く押したのだと解るまで少し時間が必要だった。
傾いた姿勢は、視線を上に向け俺の体をよろけさせる。
体制を立て直そうともう一つ下の段に足が落ち……。
その先に既に段等無かった。
あった筈の床は、まるで元から無かったかのように真っ暗でしか無く。
踏み締める事が出来なかった足は抜けるようにそのまま落ちる。
そのまま体制を崩し、ぞっとする無重力に襲われる。
咄嗟に手を伸ばす。
彼女に向けて。
しかし一度下ろした手は届く筈も無く。
離れていく彼女の顔は笑顔のままで。
彼女は口を開く。
遠いはずの声は耳元で囁かれるようにハッキリと聞こえた。
「お父さんにね? こうやって押されて、私は帰れた。だから、きっと…………きっと戻れるから」
戻ったところで、どうだと言うのだ。
一人で戻って何になる。
お前はそれを知ってるだろう!
14年間、それを噛み締めただろう!
叫ぶ。必死に叫ぶ。気持ちを吐き出すように。
「お前は! 大好きな親に、大好きに思ってくれてる親に置いて行かれて! 辛かったんじゃ無いのかよ!! それを俺にするのかよ!! 俺に同じ思いさせるのかよ!! お前は!! お前はァ!!」
離れていく彼女は優しく微笑みながら零す。
小さく言ったのであろう声は、何故かはっきりと聞こえる。
「そう、思ってくれるんだね」
そう言って、嬉しそうに彼女は笑顔を作った。
涙が入り混じったくしゃくしゃの笑顔。
「やったァ……両思い」
その言葉を最後に、彼女は視界から消えた。
はぐらかして来た言葉。
何度も聞かれた俺の思い。
体は暗闇に吸われていく。
白い世界から、真っ黒い世界へ。
何も見えずに、自身までも黒く。
存在しているのか解らないほどに。
それでも心の思いだけは黒くなることは無く。
気持ちが割れそうになるほどに。
待って、待ってくれよ!
お前を助ける為に。
俺は、ずっと、ずっとやってきたんじゃないか!
なのに俺が助けられてちゃ意味無いだろーがよ!!
嫌だ! 嫌だ!
もっと一緒に居たかった。
一緒に喋りたかった。
俺は。
俺はお前が。




