四十四話め.笑わせないと
ぐしゃ、ぐしゃ。
さっきまで河合君が使ってた小道具が無残に散っていく。
何故、そんな事をするの。
それはきっと酷く残酷な事。
酷く悲惨で辛くて憤りを感じて、悲しくて、悔しくて。
私の為にこの人は全力で戦って。
そう考えても。
思えない私が居る。
思いたいのに、思えない。
思いたい?
思いたいと考えた私が居る? それは、それって。
暴れまわる大人達が居る中。
私はゆっくりと口を開く。
「イヤ……イ……ヤ」
声に出る。
思う事が、感じた事が。止められない。
吐き出す思いが。
突然。
込み上げる、心の底から、一直線に、口に向けて。
思いが。
「お願い!! 踏まないでっ! これは河合君が、私の為に作ってくれたの! わ、私のために! お願…ゴホっ…お願いだから!」
嗚咽を零しながら、濁った咳をしながら。
彼女は始めて感情を爆発させていた。
涙を流し。
医者にすがりついてまで。
力の無い手で医者の胸を押す。
その、仕草に。
そこに居る人間は止まった。
知っている人間も、知らない人間も。
勢いよく感情を爆発している姿に、固まった。
彼女は、感情が動かない。
その彼女が、今。
全力で、叫んでいた。
その仕草に、その声に、その必死さに。
俺の目から涙が零れる。
また泣いてしまう。
また……泣いてしまう。
今度は。
嬉しくて。
アイツが感情を動かしてくれて。
アイツが、俺の為に。
泣いてくれている。
俺とは別に、もう一人感情が動く人間が居た。
それは小さく聞こえた笑い声で気づく。
「ヒヒ……」
医者の口から乾いた声。
すがり付く彼女を、目を強く見開きながら見ている医者。
割れるような不気味な笑みを零していた。
「ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ!!! やはり間違って無かった! 負の感情の爆発こそが、無心病に効果があるんだ! これで証明出来るぞ! 研究のやり直しだ! こういう感情なら動くのかよ!! ほら! 泣け! もっと泣けよォォォ!!」
今度は高笑いを上げながら、小道具を踏み潰す。
小道具の小さな鏡や、ふざけた帽子等は、割れ、破け、拉げて。
さっきよりも強く、強く、強く。
必死で止めているアゲハを、今度は更に悲しませる為に。
怒りでは無く、今度は嬉しそうに。
「ヤダ! ヤダ! お願い! もう傷つけないで! あの人を傷つけないで!」
そんな事等知らずに彼女は叫ぶ。
ひたすらに必死に。
押しても止まらないと思ったのか、医者の足元に転がっているガラクタを守る様に覆い被さる。
今迄の彼女では想像しない行動は、更に医者を喜ばせる。
「退げェェェ!!」
彼女の横腹を蹴り上げた。
鈍い音に合せる様に唸り声が漏れる。
勢いでアゲハは弾ける様に体が飛ばされていた。
「グ…ううぅ…やめて…やめてェ!」
それでも、アゲハは小道具を踏み潰す医者の足に縋り付く。
必死に、涙を流しながら。
プレハブには狂ったような笑い声をあげる医者の声と必死で泣き叫ぶアゲハの声が響き渡る。
周りは状況が理解出来ずに放心したままになっていた。
俺を除いて。
俺の涙が出たのは一瞬。
今度は別の感情が生まれる。
先程の嬉しい感情よりも、更に強い強い感情。
これは寧ろ、俺の習性みたいな物なのかもしれない。
お前何やってんだよ。
そういう汚れ役は俺のもんだろが。
お前は唯、笑えば良いんだよ。
何で泣いてんだよ。
泣いたって面白くネーだろ。
何よりもお前が。
何で。
泣いてんだよ!!
「どけ! どけよ!」
全力で力いっぱい体を動かす。
縫い付けられていようと、体が動かなかろうと知った事では無い。
俺の近くで誰かが泣いてるんだ。
アイツが泣いちゃったんだよ!!
放心していた大人達は俺を慌てて抑えようとする。
更に取り押さえる大人達を殴る、蹴る、噛む。
必死でその場から這い出る。
先程まで揺れていた筈の頭はハッキリとしていた。
もつれながらもアゲハに向かって転がる。
彼女に少しでも近づく為に。
勢いに任せてクソ医者に思いっきり体当たりをぶつけた。
病人の腹を蹴るような畜生に手加減なんざ無用。
全力で勢いを込めた体当たりは、間抜けな声と共に、ひょろい医者を吹っ飛ばす。
そんな医者の事等、どうでもいい!
嗚咽を零しながら泣く彼女の肩をがっしと掴む。
「泣いてんじゃねーよ! 馬鹿幽霊娘!!」
俺の第一声にも彼女は動じずにわんわんと泣く。
彼女の泣き顔と、ご対面。
鼻水まで流しながら彼女はぐしゃぐしゃに泣いていた。
泣いていたのだ。
俺は固まる、それ以上何も言えなくなる。
完全無欠の無表情娘が。
な、泣いている。
あのアゲハが、泣いている。
予想出来ないその表情に、俺は何も言えなくなってしまう。
焦る俺の脳裏に浮かんだのは一つだけ。
女の子が目の前で泣いているんだ。
だから。
笑わせないと。
でもどうしたらいいんだ!?
普段バカな事してるのにこんな時だけ何も思いつかない!
笑わせないと! 笑わせないと!
一瞬俺の目に映ったのは。
医者が踏んで割れたであろう鏡。
割れた鏡を一枚手に取る。
焦ってしまい、強く鏡を握り締めてしまう。
手が切れているの何て気にならず。
俺の頭の中は只彼女を笑わせる。
それしか無くて。
必死で。
泣いている彼女の顔に、鏡を掲げた。
「お、お前の顔今こんなんだぜオイ……お、おっかしいよなぁ!」
その一言を言った瞬間。
俺まで泣きそうになる。
こんなに面白くもデリカシーの無い言葉を言ったのは初めてだ……
自分でも全力で面白くないと思う。
こ、こんな時に俺は……。
それでもやってしまった事は止められず、鏡を向けたまま俺は泣きたくなるのを堪える。
確かに泣き顔では無くなった。
というより、アゲハはきょとんとした表情のまま、暫く鏡を見つめたまま。
ああ、折角感情が動いたのに。
嫌われる。
怖くてぎゅっと目を瞑る。
一瞬の間の後。
聞こえた。
「ふふ」
小さな、声が聞こえた。
耳を疑うような。
それでも、絶対に聞き逃さない声。
目を開けた先に、涙を流しながら。
笑っている彼女が居た。
小さく微笑む程度だけど。
それでも彼女は、ハッキリと笑っていた。
求め続けた笑顔が。
そこにあった。
「全然面白く……無いよ」
その後に、付け足した様にアゲハは零す。
「フフ……でも、今の私、こんな顔して、るん……だ」
そう言いながら、小さく、小さく笑う。
「そっちだって……凄い顔してる癖に……フフフ……最低……」
俺はどんな顔をしてんだ?
取り敢えず、鼻血流しながらさっきまで涙流してグシャグシャで口をあけたままでアホ面なんだろうな、とは思う。
正直俺の顔何てどうでもいいんだ。
だって、だってさ。
確かに、笑ったんだ。
彼女は笑っていた。
笑ってる。
笑ってる!
幽霊娘が。
無表情で無愛想な。
アゲハが!!
その笑顔は。
優しく。
とても綺麗で。
俺の心が脈打つ。
顔が、赤くなるのが解る。
俺が? こ、こんな幽霊娘に。
照れてる?
凄く恥ずかしいけれど、それでも俺は彼女の目から視線を背けない。
本当に、凄く。
恥ずかしいけれど。
綺麗で。
もっと笑っている彼女の顔が、見たいから。




