三十六話め.共犯になってくれよ。
今日、先生が私の病室に何やら資料を持って来ていた。
その時に、河合君に私の病気の事を話したと伝えた。
守秘義務を破った事について謝って来たけど。
別に言おうが言うまいが変わらない。
話した時、彼はどんな顔をしていたのか、それとなく聞いて見る。
辛い顔をしていた、と……そう言っていた。
また私の為に傷ついている。
本当に彼は私の、何のつもりなんだろう。
……本当に。
看護婦さん達が話している声を聞いた。
河合君が朝からずっと公園のベンチで座ったままなんだって。
なにやってんだろ。
そんな事してたら警察呼ばれるよ……。
いつもふざけてるのに。
変な所で真面目な事を知っている。
何を考えてずっと座ったままなのかな。
もし……また。
私の事を考えているなら。
また関係ない……と言えばいいのだろうか。
私は彼に私自身の話をした。
そんな私に、私の事を気にしないで、関わらないでと言う権利があるのかな。
誰にも話した事が無い事を話した。
事故の事を。
父の事を。
母の事を。
病気の事を。
何故だろう?
まだ解らない。
私自身の事なのに?
最初は諦めて欲しい理由を、私自身の幽霊である確証のつもりで言おうと思ったのだと考えた。
寧ろそれ位しか浮かばなかった、という感じかな。
話をした後に、別の考えが浮かんだ。
昔の事故の話をするなんて……そんなの。
助けて、と叫んでいるみたい。
そんなつもりは無かったのだけれど。
それもあの河合君に?
それとも幽霊である私が。
誰かに助けて欲しいと思っているのかな。
なんてね。冗談、冗談よ。
きっと。
死んでいる私が助けを求めるなんて。
もう遅い。
もう?
それじゃ助けて欲しかったみたいじゃない。
……私はどうしてしまったんだろう?
「先生……俺決めたよ」
座っている先生に面と向かって俺は決意表明を見せる。
「はい、頭の包帯取りましょうね~」
俺の言葉を聞いているのか聞いていないのか知らないが、先生は俺の頭の包帯に手を掛ける。
「俺、あの子を笑わせるよ……決めたんだ」
「あー大分傷治ってますねーお薬出しときますんで食後に一日三回飲みましょうねー」
……あ、あれ? 聞いてる?
聞こえて無かったのかな?
も、もう一回?
「先生……俺決めたよ」
「はい、お疲れさまでしたー退院でーす」
「え!? ちょ! カッコイイシーンをリテイクしたのにフルシカトですか!?」
俺の言葉に爺ちゃん先生は溜息を零す。
「……君の覚悟は理解しているよ」
何だ、聞こえてんじゃねぇか。
もっかい言うの死ぬ程恥ずかしいんですよ!
「あの話をしたのは君を諦めさせる気もあった筈なんだがね……」
……ん? ど、どういう事だ?
前に話をしてくれていたような優しい感情はそこに無い。
どちらかと言えば、冷たいような……拒否するような感覚さえ感じる。
「ど、どうしたんだよ?」
慌てる俺の事等気にも止めず、先生は冷めた視線を送る。
「……どうもこうも無い、君は退院で以前の通りこの病院には入れない、それだけだよ」
先生は立ち上がり背中を向ける。
サッサと行けと言うように。
その言葉は、俺の決意を踏みにじる。
「……先生」
ショックで、また感情が噴出しそうになるほどショックで。
爺ちゃん先生には強い信頼を寄せていた。
あの馬鹿な幽霊娘の為に戦ってくれた一人の尊敬出来る人物だと。
それなのに。
…………。
俺はギュッと唇を噛んだ。
感情を押し殺すように。
もう覚悟が二度と揺るがないように。
「先生、ちょっとの間に何があったか知ンねーけど」
そこでもう一度唇を噛む。
あの先生の爆発した思いが嘘なわけがない。
だから、俺は優しく、ゆっくりとその背中に語り掛ける。
「俺はアイツを殺しに行くぜ、全力で殺し救いたい……でも俺一人じゃ助けらんねーんだよ、お互い一人じゃ心も体も救えなかったんだ、一緒に殺す事の共犯になってくれよ、あの生意気な無表情をさ、ぶっ壊してやろうぜ先生」
「…………」
俺の言葉に先生は何も言わない。
「……取り合えず。世話になったよ」
背中に向けて一礼して、俺はドアを開ける。
「…・・・…・・・…」
爺ちゃん先生が最後に何か小さく呟いたのが聞こえた気がしたが。
俺には良く聞き取れなかった。
■
私はもう一度零す。
「すまない……」
もう行ってしまったであろう少年に向けて。
誰も答えない。
無機質なドアに言っても意味が無い。
謝罪の意味等、無意味な事は私も理解している。
それでも、言わずにいられなかった。
勝手に利用しようとし、本人が決意したら今度は掌を返したかのように。
勝手に話から外す。
こんな身勝手が許される筈が無い。
大人の身勝手に、付き合わせてしまい本当に申し訳無く思う……。
「フン……あのガキも近づけなければ何も出来ないでしょう」
奥から彼は吐き捨てるように現れる。
あの少年風に言えば鬼畜医者と言われていた彼だ。
彼にも名前はある。
朝倉という名前の彼は大きな大学病院の助教授であり。
亡くなっているが、ある有名な医者のご子息。
そして、無心病における……被害者の一人でもある。
「…………」
彼の言葉に私は何も言えない。
そんな私の様子に朝倉は嫌な笑みを浮かべる。
「最近、私のモルモットの様子もおかしかったですし……貴方も何かしようとしている様に見えましたしねぇ? 原因はあのガキでしょうし……あのガキがいなくなれば、またいつも通り、彼女を治す事に専念出来ますね?」
その言葉に私は睨むように彼を見た。
「よくもぬけぬけと……」
「おやぁ? 彼女の移動の件は私にありますよね? 大学病院に移動するのが一番だという私の提案は上でも理解されていますよ?」
朝倉は懐から小さな錠剤を取り出し口に入れながら嫌らしい笑みを私に向ける。
精神的な物なのか、この男は錠剤を常備持ち歩いている。
最近量が増えたようにも思うが。
大学病院の話が入ったのは昨日の夜だ。
私自身に聞かされて居なかったという事は、秘密で話を進めていたのだろう。
確かに設備が充実している大学病院の方が良いだろう。
だがそこは彼の大学。
彼女を実験動物と言うこの男は、邪魔が入らない様に思い通りにしたいだけなのだ。
解った瞬間に彼を説得する為に話をした。
結果は……少年を退院させれば彼女を連れて行く事は遅らせる、という事だった。
実際手続きもあるだろう。時間も掛かる。
こんなのは取引とは言わない、この性格の悪い男の嫌がらせでしかない。
あの子一人で、彼女も私も突き動かされた。
この男にとっては面白く無いだろう。
それでも、少しでも時間を遅らせる事が出来るなら……私に考える余地は無かった。
彼女を助ける為に河合君を犠牲にしたと言えば聞こえはいいのかもしれない。
……しかし、これはまた私は逃げているだけではないのか?
また彼女が苦しむだけの、生きているのに死んでいるだけの生活に戻すだけ。
守っているように見えて、ゆっくりと彼女の首を絞めているだけ。
いや、このままでは……もっと悪い方向に進む。
河合君の決意を無駄にしたくは無かった。
心は、強く揺れ続けていた。
何度……何度謝っても許されないだろう。
だが私も彼女を救いたい……殺す覚悟を持ってでも。
「まぁ……取り合えずこれで邪魔はいなくなった、ゆっくりと研究が出来るわけだ」
そう言って朝倉は私に背を向ける。
私が約束を守るかどうかを見定めていた彼は満足そうな笑みを浮かべていた。
皮肉を込めた言葉に私は歯を食い縛る。
このままではあのときのままだ。
私は、また何も出来ないのか……。
ドアに手を掛ける背中を憎憎しげに睨む。
そんな私の視線など知らず、ドアを開ける。
…………?
彼は何故かそのまま進む様子は無い。
出て行こうとせず、彼は何故か止まっていた。
私の怒りの視線は疑問に変わる。
彼は足元を見たまま固まっていた。
その視線の先を目で追う。
何か丸まっている物が居た。
それはうずくまったまま。
右手を右耳に当て、解り易い程に聞き耳を立てている姿勢をしていた。
「……貴様何をやっている」
苛立ちに震える声を彼が漏らす。
「標的に見つかった……オーバー……スグに逃走する」
うずくまっていたソレは、訳の解らない言葉を零すと慌てて走り出す。
そんな形で走ろうとしたので、何度か扱けるが、それでも必死に逃げ出す。
その情けない背中を見て、私は小さく笑い声を出してしまう。
「何がおかしい」
彼は私の方に睨む視線を送る。
先程の笑みは消えていた。
その視線に気圧される事なく、私は見返す。
優しく笑い掛けてみせる。
「君も笑って見たらどうだい? 若いのに険しい顔ばかりをしては楽しく無いだろう?」
私の言葉に朝倉は何も言わず強く舌打ちをしてみせ、さっさと出て行ってしまう。
彼の間抜けな姿を見て、必死に悩んでいた自分がバカらしくなってしまう。
彼は、もう諦めないのだろう。
……今回は一人じゃないんだ。
君も戦ってくれると言ってくれていたね。
時間が無い。
あの子は決意を固めた。
私も……いつまでも悩んではいられないか。
次は。
私の番だ。




