三十二話め.何度も振りかぶっていた刃を
笑わせてやる。
お前の親が守れなかった物を取り返す。
俺はそう言った。
あの子の話を聞いて。
そう思った。
心からだ。
だが、彼女は死んでいるのだ。
果たして俺に笑わせられるのか?
笑わない偏屈が居る。
だからどうした、笑わせてやる。
病気だという事を聞いた。
だからどうした、笑わせてやる。
心が死んでいるのだと。
だからどうした……どうだと言うのだ。
…………。
勢いで言ってしまった言葉は本心である。
しかし冷静になってから考えてしまう。
もう一度笑わせてやると、取り返すと、言えるだろうか。
俺の涙で濡れたシーツを見つめる。
笑わせる奴が、泣いているんじゃ……救えねぇ……。
視線は彼女が出て行ったドアの方へと変わる。
始まりは自分を幽霊だと言った彼女が気に食わなくて、認めたくなくて。
笑わせるつもりだった。
彼女の心の闇は、ずっとずっと……大きくて。
認めないと言っていた俺が、心の中で、認めてしまっているのだ。
彼女が。
死んでいると……。
そんな俺の考えなぞ知らずに、見つめていたドアが開いた。
ビクッと体を揺らしてしまう。
戻ってきたかと思ったじゃん。
じいちゃん先生がそこに居た。
優しく俺に笑い掛ける。
結構いつも爆笑しているイメージしか無かったのだが。
そんな優しい笑い方も出来るらしい。
「話は聞けたいのかい?」
先程までアゲハが座っていた椅子に腰掛けると、爺ちゃん先生は優しくそう語り掛ける。
俺は無言で頷く。
じいちゃん先生は小さく、「そうかい……」と言うと、頭の包帯に手を掛けて来た。
ゆっくりと外すと、新しい包帯を取り出す。
新しい包帯を巻きながら爺ちゃん先生は語り掛けるように喋りだす。
「彼女のご両親は私の友達でね、お母さんの方は私の患者さんでもあったんだよ」
へぇ……そうだったんだ。
じゃぁ先生はずっと知ってたんだな、彼女の事も、全て。
それを知っていて俺の馬鹿みたいな行動にも一切触れずにいた。
爺ちゃん先生に、ついムスッとした表情を向けてしまう。
そんな俺を見て、困ったような、少し申し訳ないような笑顔を向けてくる。
「彼女が喋ったのなら、私も喋らなければ行けない事があるんだ……だからそんな不満そうな表情は止めなさい」
「喋らないと行けない事?」
爺ちゃん先生は、俺の頭の包帯を巻き終わると、椅子に深く座った。
「彼女が君に話したのならば私も君に話さなければならなだろうと思ってね」
爺ちゃん先生の優しい瞳が俺を見据える。
「偉く俺の事信頼してるけど、そんな信頼されるような事した覚えないっすけどねぇ」
爺ちゃん先生の優しい瞳に合判して睨み返す。
そんな俺の事も気にせず、爺ちゃん先生の優しい瞳は変わらない。
「いいや? 過去のあの子を知っている私だから言えるよ、君のお陰で彼女は前進している」
そうなのだろうか? 過去のアイツを知らないから俺には何も言えないが。
「病室で笑わずに、朝から晩までずっと外を見ていた人形のようだった彼女が……君と居る時は意思を持って君と対話し、少なからず動作を見せる……病院から退院してからの彼女は知らないけれどね、久しぶりに会った彼女には少し驚いたよ」
俺の知っているアイツは一人で椅子に座っていて。
窓の外を見ているか本を読んでいるか……ん? だったら今と変わら無くないか?
他はええと。
結構毒舌で。
笑わない。
あれ?それだけ?
過去の彼女はもっと違ったのだろうか?
人形……という風に思った事は無いけれど。
「お母さんのお見舞いに来た時は良く笑う可愛い女の子だったけどね、事故でここに運びこまれた時には既に感情は失っていたよ……運ばれてきた親の死を見ても、ジッと見つめるだけで感情が動く事は無かったよ」
簡単に想像出来てしまう。
何も喋らない二人を見つめる一人の少女は無表情で。
唯、見つめるだけ。
その姿は。
きっとあまりにも惨めだ。
「その後に診断して無心病が発覚したんだけどね、感情に関しては精神的なショックの方が大きいと私は思っている。彼女は謎の多い無心病に、感情、遺伝性、ハッキリとしたキーワードが出た事は珍しい例で、学会でかなり注目されていて……」
「爺ちゃん先生それが俺に言いたかった事かよ?」
長くなりそうなのでつい間に入ってしまった。
そんな話されても解んないって俺馬鹿だし。
先生的に少しでもアゲハの事を教えようとしてくれているのかもしれないけれど、正直話は右から左です。
確か解明されてない病気だって事は聞いているけど、それが俺に話したい事?
爺ちゃん先生は少し間を置いて困ったような顔をする。
「あぁそうだねすまなかったね? でもこれは伝えたい事に関係しているんだ」
その言葉に俺は再び口を噤む。
爺ちゃん先生が伝えたいって言うのなら取り合えず、聞く。
俺頭悪いから、あんま理解出来ないかもしれないけど。
「そうだね、簡単に言うとだね……つまり彼女のお陰で無心病への対応は着実に進んでいるんだよ。感情の上下で心臓とリンクするように発作を起こし、強い感情が続けばそのまま即死へと繋がる可能性も有る、その為に感情が無意識的に薄くなり心臓の負担を減らしているのでは、という風に心臓病は言われているんだ」
十分難しいよ爺ちゃん先生……。
何となく要約すると、病気で感情が完全に無くなっているわけではないって事か?
根本は心臓の病気で、感情が薄まるのは二次被害みたいな物?
最初に聞いた時は感情が無くなる病気だと思っていたのだけれど。
そして、話の最後の部分を聞いてふと思い出す。
「……そういえばココに連れて来た時は苦しそうにしてたな」
一度、俺の目の前でアゲハが苦しみだした事がある。
じゃあ、あの時は感情が強く動いたって事か?
あまり、そんな感じはしなかったけれど。
「彼女の場合は他の無心病の人より感情が動く事が無いから、ある意味では安全な筈だったんだけどね、君が運んで来た時は本当に驚いたよ。あの彼女の心を揺れ動かす程の事を、君が何を言って何をしたか気になるところだけどね」
爺ちゃん先生は小さく微笑む。
その笑みが少し気に食わずに目線を逸らしてしまう。
そういえばあの時、俺は何を言ったっけ?
……多分恥ずかしい事言ったんだろうなァ。
そんな気がする。
慌てて話を変えようと俺は口を開く。
「つ、つまり感情が動かなくなるってのはいい事って事だろ?」
俺の言葉に爺ちゃん先生の笑みは消え、神妙な顔つきに変わる。
「……そういうわけでは無い。病状は、最終的には心臓は停止してしまうし、感情が動かないというのはつまり意欲すら沸かないし興味すら持たない。詰まる所、生きるという意味すら無くなってしまう。病気とは言え、それは人とは言い難い……だからこそ依然の彼女は見ていられなかった……今の彼女を見て少しほっとしたけどね」
「今?」
「……彼女は変わろうとしているのかもしれないね」
爺ちゃん先生の言葉の意図は良く読めないけれど。
爺ちゃん先生は、凄く嬉しそうだ。
この人の過去は知らない。
でも親御さんを知っているのなら、その親御さんが死んでいるのなら。
娘であるアゲハに思う所があるのは当然なのかもしれない。
だが聞いている限り確かに驚く部分は多いが話さなくては行けない、という程の物だろうか?
彼女が昔と違うという事。
病気の事が詳しく解ったという事。
それが隠していた事になるのか?
この言葉の何処かに意味があるのだろうか?
爺ちゃん先生はきっと頭のいい人だ。
意味がきっと……。
…………待て。
そして、自分で言った言葉。
先程自分の言った言葉に気づく。
『感情が動かなる事は良い事』
それは感情が強く動くと状態が悪化するからで……。
依然に彼女が苦しんでいるのは見ていた。
苦しそうだった。
本当に苦しそうだった。
『死にそうな程に』
聞いている限り無心病という物と感情は切っても切れない関係。
感情一つで命が落ちる程の関係上……!
つまり……つまり!
理解してしまう。
頭が悪い癖に、解ってしまう。
俺が、俺がアイツを、幽霊娘を。
今まで殺そうとしていた。
震える声を爺ちゃん先生に向ける。
「ねぇ……先生」
俺の様子に気づいたのか、先生の表情が変わる。
俺を見る視線が、変わったように感じる。
自身でも確認するように、俺はゆっくりと、続ける。
「俺がやっている事はアイツを殺そうとしてるって事……なんだ?」
救いを求めるように爺ちゃん先生の方を見る。
隠し切れない動揺で目が泳いでしまう。
感情の強い揺れ動きとはそういう事だろう。
思いっきり笑う事も思いっきり泣く事も……。
俺の視線から逃げるように先生は視線を外した。
先程の暖かい笑みは無く、申し訳ないと言うように俺の方を見ようとしない。
先生は小さく零す。
「……そうだね」
確定してしまう。
頭が悪いから勘違いなんだと思いたかった。
爺ちゃん先生の言葉で救われる事は無く、寧ろ現実に打ちのめされただけ。
唯笑わせたくて、無表情な顔が気に食わなくて。
俺は。
俺は……。
揺れていた俺の心は……暗い方へと転がる。
何も考えない馬鹿な俺が考えてしまった。
考えてしまった……。
俺が彼女を殺そうとしていたという。
事実を。




