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不法な侵入は普通ならば許されない。

　豊穣の儀を終え、魔術師の男は頃合いを見て宴の会場を後にした。その場に居る価値を見出せなかったからだ。

　それに、『薬術の魔女の監視』という重要な仕事をしている合間は他の仕事も殆ど入らないので、他人を引っ掛けて情報収集を行う必要もない。

　外に目を向けると、空は闇に包まれていた。

　既に遅い時間で、きっともう薬術の魔女は眠っているのだろう。

　移動の術式でさっさと屋敷に戻りたかったが、それはできない。

　なぜなら、移動の魔術式は、本(・)来(・)な(・)ら(・)ば(・)宮廷では使えない仕様になっているからだ。

　王族や高貴な人物達、宮廷での機密情報を守るために、宮廷の敷地内には移動の魔術式を無効化する結界がそこかしこに仕込まれていた。

　だが、魔術師の男はその結界の内部でも移動の術式が使える。

　魔術師の男が使用する術式は、呪(・)術(・)を利用したものだからだ。魔術への対応はしているものの、魔力を使わない呪術へは対応していない。機能の抜け穴を突いた移動方法だった。

　それはともかく。

　宮廷へ出入りする際、特に宴から退席する場合には気を付けている。徒歩以外で出入はできないはずなので、わざわざ会場を後にする姿を見せないといけない。

　だから、帰る時間が更に遅れる。

　それを面倒に思いながらも、魔術師の男は気配を少し薄くし、宮廷の廊下を歩いた。着飾った貴族や同僚達、忙しなく働く下男や下女がすれ違って行くが、誰も魔術師の男に気付くことはない。

「(……其処の術式が解け掛けている)」

　帰りながら、懐から帳面を取り出し問題の箇所を記しておく。

「(確か3年程前に掛けた処……成らば)」

同年に守りの術式を掛けた箇所も、同様に危ういかもしれない。その旨もついでに記した。

　どうにか、日付けが変わる前に魔術師の男は屋敷に着く。夜中なので、気配を薄くしたままで家に入った。

　屋敷に入るなり、屋敷内の気配を探る。ついでに、余計な魔術が仕込まれていないかの確認も行った。

　今や、この屋敷には『宮廷魔術師』と『薬術の魔女』という、金の種になる存在が二人もいる。監視員以外の、強盗や色々の刺客に命を狙われる可能性もあるのだ。

「(……まあ、認めた者以外は入れない様にはしておりますが)」

　小さく息を吐き、薬術の魔女が生きてその場に居ることにも安堵する。

　移動しながら式神達に荷物を預け、ようやく、彼は身軽になった。

　そのまま、薬術の魔女に充てがった部屋へ向かう。

　当然の話だが、彼女に充てがった部屋には鍵がかかっていた。

「……」

　徐(おもむろ)に、魔術師の男は鍵の在る箇所へ薄い手袋に覆われた左手の指先を充てる。

　途端に、カチャリ、と解錠の小さな音が鳴る。戸を開け、そっと部屋に入る。

「すぴー」

　当然、部屋の持ち主は部屋にある寝台の上にいた。大きな猫のぬいぐるみを抱(だ)き抱(かか)え、眠っている。

　魔術師の男は音を立てずに側まで近付いた。

　眠る薬術の魔女を見下ろし、明日以降の事柄を思う。

　明日から、彼女は仕事を始めるのだと言う。

　そのために、様々な準備をしていたこと、たくさんの薬を作っていたことを知っている。

　売れなかったからと言って、落ち込まないだろうか。

　そっと、魔術師の男はしゃがみ、視線を近くする。

「すぴー」

　かなり近付いても、眠っている彼女は全く気付かない。儀式の為に魔力を塗っていた際も、起こさない様気を付けていたとはいえ転がしても、肌に触れても全く起きなかった。

「……何とも、無防備な方だ」

　呟き、僅かに開いた口元から垂れている涎を拭う。

　彼女が店を構えることは多少気になるが、占いで視た限りではそれなりに問題は無かった。

　だから、彼女自身のこれからは大丈夫だろう。

「ふにゅ……」

柔い頬に触れると、蜜柑色の睫毛が少し震えた。指先で頬を撫でながらその様子を眺める。

「(……然(しか)し。私との先は如何(どう)成るのだろうか)」

　一月後に相性結婚を始めるとは言ったものの、実はもうそろそろ制度は撤廃される。

　『撤廃されそう』と言われ続けてから3年程。随分としぶとい。

　3ヶ月後、だっただろうか。とにかく、来年度の冬に終わるのだ。

　もう少し待てば相性を確かめずとも、この関係を終わらせることはできる。

「(とは言え、貴女の監視が無くなる事は無い)」

　相性結婚の制度が終わって、仮に別れるとしても魔術師の男自身は、『薬術の魔女』との関係は終わらない。

　だが。

「(……欲を言えば、貴女と共に歩きたい)」

　あの時に彼女が告げた『好き』が、どの感情由来のものなのか、自身の持った『好意』が、本当にその感情なのかは、未だに分からなかった。

　だけれど、相性結婚が終わっても彼女はきっと、自身を選ぶだろう。何となく、そんな気がする。

　お気に入りの物を手元に置くような、それに良く似た何か。

　それだけだと、何かが物足りない。

　恐らくだが、彼女の感じているであろう『好き』の感情は魔術師の男でなくても、似た条件が揃えば同じように抱く愛着に近いものだ。

　つまり、無くしたら変わりのものに挿げ替えれば良いと、思っているようなもの。

　魔術師の男は、『他に変わりがいない』『きみじゃなきゃだめ』だと、相性結婚の相手としてではなく、『自身』を求めて欲しかった。

　彼自身、同じ様な状態であるにも関わらず。

　相変わらず、彼女は目を閉じて寝息を立てている。

　何かが変わる事も無いだろうが、魔術師の男は特別な言葉を掛けようと思い至った。

　魔力の多い者は、言葉にも力が宿る。呪猫では言霊と言われているものだ。

　口に出せば言葉の指し示すものが近付く、言葉を掛ければその影響を受ける。だから。

　年度が変わる直前に、彼女の頬を撫で彼は呟いた。

「……貴女を、お慕いしておりますよ。……愛おしい人」