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飛鳥  作者: 石燈 梓(Azurite)
最終部 大いなる翼
179/219

第二章 自由の戦士(5)

*R15レベルの殺人、暴力の描写があります。苦手な方はご注意下さい。


            6―2―(5)


 ファルス達は、雷鳴にかくれて密林を(はし)った。

 太陽はあつい雲に(おお)われ、森は宵のように薄暗い。時折、白い稲妻が、彼等の姿を影絵にした。ぬかるんだ大地が、素足を捕らえようとする。ぬれて垂れ下がった木の枝が、頬を叩く。

 岩場を出発してからは、男達は無言だった。

 ファルスはデオのすぐ後ろにいた。彼がそうしろと言ったのだ。盗賊行為に不慣れな少年に、気を遣ってくれているらしい。

 どれくらい駆けただろうか。デオが急に立ち止まったので、ファルスは危うくぶつかりそうになった。

 男達は、羊歯の茂みに片膝をつき、目配せをした。


「あれだ。見えるか?」


 デオが、息をととのえる少年の背に片手をあて、囁いた。

 ファルスは、灰色の雨の幕の向こうに大きな黒い塊がうずくまっているのを見つけた。海に沈んだ舟のようだ。

 ――と。塊が、赤い点を吐き出した。

 ファルスは眼をこすり、瞳を凝らした。だんだん視界がはっきりしてくる。

 土塀で囲まれた屋敷の門から、松明を手にした男が出て、辺りを窺っていた。赤い点に見えたのは炎だ。風にあおられ、今にも消えそうに揺れている。

 男は片手を額にかざし、天を仰いで雲の行方を確かめると、門の中に消えた。男の肩の向こうに、小さな明りが幾つか瞬いているのが見えた。

 扉の閉じる音が、やけにはっきりと辺りに響く。


 ファルスは、ごくんと唾を飲んだ。

 雨が羊歯の葉を打ち、水溜りに落ちて泥を跳ねあげる。汗と雨水がまざって頬を伝い、首筋から胸元へと流れ込む。お世辞にも快い感触とは言えないが、誰も不平は言わなかった。

 ファルスは、一度大きく息を吸った。鼓動が速くなる。


「行くぞ」


 デオが短く言って駆け出した。ファルスと数人の男達が後につづく。木立を抜け、屋敷前の道に出てかえりみると、まだ数十人の仲間が茂みにうずくまっていた。

 獲物に忍び寄る(ワーグ)さながらするすると門に近付いた彼等は、ある者は土塀に背中を押しあて、ある者は扉に耳をあてて、中の様子を窺った。

 大きな門だ。――悠長に、ファルスは思った。砦のようだ、と。

 扉に貼り着いて聞き耳を立てていた男が、ふいに拳を振り上げたので、ファルスは思考を止めた。


 一度、二度、三度。少し休んで、また一度、二度、三度。


 歯を食いしばり、拳も割れよとばかりに、全身の力をこめて扉を叩く。鉛色の雨のなか、男の歯が白く浮かびあがって見えた。デオは腰を低く落とし、扉を睨み据えている。

 九打目の後、内側から声がした。


「何だ。……何者だ?」


 叩いていた男は、ぴたりと動作を止めた。


「この雨で難儀をしている旅の者です。どうかお助けを」


 険しい表情とは裏腹な本当に心細そうな声音で、デオが言った。ファルスは眼をみひらいて彼の横顔をみた。

 扉の向こうは迷っているようだった。

 ファルス達は、息を殺して待った。

 やがて――

 ごとり、と掛け金を外す音がして、木製の厚い扉の正中に光の線が走った。みる間に横へ広がり、内と外の空間をつなぐ。松明を掲げてこちらを窺う男が現れた。


「何だ? 旅人だと――」


 不機嫌な門番は、しかし、最後まで言えなかった。どすっという鈍い音とともに、彼の時は口を開けたまま停止した。デオが山刀を胸に突き入れたのだ。生温かい血が、少年の頬に降りかかる。

 一瞬のことだった。ファルスは咄嗟に判らなかった――デオが、何をやったのか。

 殺した番人から松明をうばうデオの唇に、苦痛をふくむ嗤笑(ししょう)が閃いた。


盗賊(タグー)だ!」


 門の内側で、悲鳴に近い叫びがあがった。

 デオ達は雄叫びをあげて突入した。かざした刃が松明を反射し、ぎらりと光る。呆然と立ち尽くしていたファルスは、デオに腕を掴まれた。


「来い!」


 考えている暇などない。

 内庭には、多数の篝火(かがりび)が焚かれていた。(ごう)ともえる炎の熱に、ファルスは(ひる)んだ。デオが乱暴に彼を引き寄せ、斬りかかって来た護衛の顔を松明で殴ると、相手は(わめ)きながら跳びさがった。剣を落とし、両手で顔をおおう。驚愕と憤怒にみひらかれた蒼い眼と、少年の眼が出会った。


「持ってろ!」


 デオが松明を押しつける。ファルスが受け取る前に手を離したので、それは地に落ちた。ファルスは慌てて拾ったが、濡れた土に触れた火は、ジュッと音を立てて消えてしまった。

 デオが舌打ちする。


「こっちだ!」


 頬を焼かれた護衛が、改めて斬りかかる。デオは山刀で殺意を受け流し、少年の腕を引いて駆け出した。怒鳴り声が追って来る。

 誰が味方で誰が敵なのか、ファルスには判らなかった。どこを走っているのかも。だが、デオには判っているようだった。

 屋敷内に明かりはなく、駆け込んだファルスは、いっとき何も見えなくなった。闇の中で、男達の喚声と女達の悲鳴、刀がぶつかる音、何かが割れ、倒れる音が入り乱れ、混乱を助長する。

 デオの指が腕にくい込む。その痛みが頼りだった。

 突然、少年は彼に突きとばされた。

 ファルスは壁に肩をぶつけ、抗議をこめて振り向いた。鼻先を、唸り声を立てて刃がかすめる。


「…………!」


 ファルスは眼を瞠ったまま、はたり、と坐りこんだ。


「そこに居ろ!」


 暗闇に順れてきた目に、敵の刀を受けとめて歯をくいしばっているデオの白眼が見えた。相手は斬り伏せられ、少年の足元に(くずお)れる。血の臭いが鼻を突いた。女達が逃げ惑う。


『……知っている(・・・・・)。俺は、怒りを知っている……』


 湿った土壁に背中を押しあて、ファルスは口の中で呟いた。眼を閉じてしまいたくなる衝動を(こら)える。


「こっちだ! 来い!」


 デオは仲間を手招いた。彼等を屋敷へ入れ、自分は入り口に留まっている。護衛と斬り結び、斬り捨て、荒い息を吐く。黄色い帯が夜目にも鮮やかだ。

 ファルスの歯が、寒くもないのにガチガチと鳴った。


『オレは、憎しみを知っている』


 血の臭いが()せ返るように濃くなった。闇が身体にのしかかる。少年は立つことが出来なかった。

 呪文さながら繰り返す。


『オレは、憎み方(・・・)を知っている……』


 母を縄で縛りあげ、炎に突きこんだ村人達。その、うすい水色の瞳。

 熱の壁を超えたとき、全身を貫いた激痛……。


「…………!」


 疲れてきたのだろう。肩で息をするデオに、大柄な男がとびかかり、後ろから首を絞めあげた。デオは手負いの虎のように吼え、必死に男を振り払おうとしたが果たせず、よろめいて片膝を着いた。

 その様子を、ファルスは凝然と眺めていた。ふと、くすぶる松明を握っていることに気づく。

 ガチガチと煩い音を立てている奥歯を噛み締めると、ファルスは壁にもたれて立ち上がり、両腕を振りあげた。眼を閉じ、力任せに振り下ろす。硬い手ごたえがして、何かがどさりと倒れた。足の上に落ちて来たそれを、ファルスは急いで避けた。立ち竦む彼の肩を誰かが掴んだ。息を呑む。


「よくやった! 来い!」


 デオだった。暗がりの中で、灰青色の瞳が輝いた。黄色い帯がひるがえる。

 ファルスは松明を投げ棄て、彼の後を追いかけた。外へ出る。

 背後では、人々の叫び声が続いていた。



               **



 大岩の麓に帰り着いた頃には、雨はやんでいた。雷が鳴っていたのが嘘のように、紺青の空に星が瞬いている。涼やかな銀色の光を、ファルスは観賞している余裕がなかった。

 どこをどう戻って来たのか判らない。足元がふわふわしておぼつかない。それでいて、身体は砂を詰めたように重かった。頭の中で何かが爆発したらしく、ぼうっとして考えがまとまらない。ぎらぎらした刃の輝きと、男達の喚声と、血の臭いが、周囲で渦を巻いている。

 ファルスは何度か頭を振った。濁った意識は晴れない。項垂れる彼の肩を、デオがぽんと叩いた。


「休んでいろ。後で、ダルを持って行く」


 皓歯を見せる彼を、ファルスは見上げた。デオの口調も眼差しも、普段の彼に戻っている。あの獰猛な瞳の輝きは、今はない。

 ファルスは口を開け、何事かを言おうとしたが、言えなかった。


『口ほどにもない……』 己を責める声が、内裡(うち)から響く。自分は震えているだけで、役に立たなかった。守ってもらうだけで、足手纏いにしかならなかった。

 デオは失望したのではなかろうか。

 否、そういう問題ではない……。


「何だ?」


 少年が黙っているので、デオは軽く首を傾げた。濡れた首筋を、星明かりが照らす。磨いたターコイズのような瞳に、軽蔑や落胆は微塵もない。――少なくとも、そう思っているようには見えない。

 ファルスは、彼の(かお)をしげしげと眺めた。穏やかな表情に、あの、半分嘲るようで半分苦しんでいるような嗤いが重なる。飢えた虎の眼光が。

 ……初めて、彼等の襲撃を目の当たりにした。デオが人を斬るところを。改めて、彼等は盗賊(タゴイット)なのだと理解する。

 神を畏れぬ人殺しだ。

 だが――


 ファルスは、自分の腰帯を見下ろした。泥と汗に汚れ、だらりと重く垂れ下がっている。


「何でもない……」


 デオは、瞼を伏せる少年を観ていた。それから無言で彼の肩に手を置くと、慰めをこめて軽く揺すり、踵を返した。

 ファルスが視線を上げると、デオは肩越しに手を振っていた。


「行ってやれ。心配しているだろう」


 消えかけた焚き火へ向かうデオの腰で、帯と、むきだしの山刀が揺れていた。衣にも帯にも、泥と煤が散っている。

 ファルスは気づいた。『あれは、泥じゃない。返り血だ……』


 一人、また一人と、盗賊達が戻って来た。無事を確認する声が交わされる。

 ファルスは母の待つ岩陰へ向かった。髪の先から爪先まで疲労が沁み、今にも倒れそうに感じた。時々足を止めて休み、のろのろと進む。

 途中で顔をあげたファルスは、一人の男がこちらへやって来るのに気づいた。背格好と特徴的な歩き方で、母の世話を頼んだ男だと判る。その向こうに、母が横たわっている。

 ファルスは、腹部に冷たい恐怖を感じて立ち止まった。

 自分はここを出る時、母に何も言わなかった。それだけのことが、強い不安となって彼の胃を締めつけた。

『もしも、留守の間に、母の身に何かが起きていたら。あそこで、デオ達が殺した者の代わりに……』


 男は少年とすれ違いざま、彼の肩に触れた。青い瞳が、じろりとねめつける。ファルスは体を強張らせた。


「虫は取ってやった」


 男は何でもないことのように言うと、片脚を曳きずりながら少年から離れた。裸の大地に転がる倒木と石をまたぎ越え、仲間の許へ向かう。ファルスは彼の背を見送り、溜息を呑んだ。

 母の傍らには、小さな焚き火が熾されていた。ファルスは、あの男が真新しい布で彼女をおおい、たかっていた虫と蛆を取り除いてくれていたことを知った。デオの指示だろう。

 母は眼を閉じている。優しい炎に照らされ、胸が静かに上下している。彼女は数日ぶりに、安らかな眠りを手に入れていた。


 ファルスは、地底に吸い込まれるような疲労を感じ、跪いた。






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