『私がしたいことを』
帰り道、畦道を一人とぼとぼと歩く。
時刻は四時過ぎ。
〈彼ら〉の世界には朝昼夜とか春夏秋冬とかがないだけで、いる間もきちんと時間は経過している。
目的は達成したはずなのに気分が今一つ晴れない。
それは、結局家のことが何も片付いてないことを思い出したからなのか、それともこれから学校だからなのか。
「……まあ、両方かな」
私は溜息を吐いた。
ネズミ色だった空は段々と白み始め、もうじき朝を迎えようとしている。
そういえば、雲雀はいないかなと思って田圃の上空辺りを眺めていると、
「ココ……?」
不意に声をかけられた。思わず身を固くする。
日傘を差している分視界が狭いから、誰かこっちに来てるだなんて気付かなかった。
恐る恐る声の聞こえた方を見た。
「ささめ……姉さん?」
どうしたの、と続けようとして、確認の意味で時計を見る。うん、やっぱり四時過ぎ。登校にしては早過ぎるし、よく見たらささめ姉さんは制服ですらなかった。
「え、えっと……」
お互いに話を切り出せない。何かきっかけを……ああ、そうだ。
「あ、あのさ、ささめ姉さん」
これ、と私は持っていたスニーカーを差し出した。
ささめ姉さんが──大きく目を見開いた。
それは泥だらけで革もボロボロだった。
でも、それを履いている姿が記憶にあったことと、スニーカーの爪先が妙に擦り切れていたことから、私にはこれの持ち主が誰なのかわかっていた。
「姉さんが持ってるのが、一番いいかなって思って」
それは、つくしちゃんの遺品。
私はそれをささめ姉さんに手渡した。
受け取ったささめ姉さんの表情は固まっている。無表情じゃなくて驚いた顔のまま固まっている。
そして──
「ひっ」
唐突だった。本当に予想もしていなかった。
「ひっ、ひっ、ひっぐ……」
ささめ姉さんの眼から、大粒の涙が零れ出した。
私はぎょっとして、つい後退ってしまった。
ぺたん、とささめ姉さんの膝が地面に着く。
そしてスニーカーを胸に抱き締めたまま、甲高い悲鳴みたいな声で泣き出した。
あのささめ姉さんが、泣いている。
いつも皆に気配りしつつ、気丈に振る舞っていた。
義姉妹の中で誰よりも大人びていた。
つくしちゃんのお葬式の日ですら泣かなかった。
あのささめ姉さんが──私の前で泣いている。
ぎゅう、と。日傘の持ち手を握る力が、強くなる。
どうしよう。慰めないと。でも、どうやって。頭の中がめちゃくちゃに散らかっている。自分でも何でここまで動揺してるのかわからない。思い出す。似たような状況を思い出そう。確か私がこの家の義娘になって初めて泣いた日。私を抱きしめてくれたのは、晶だった。だったら私も──ささめ姉さんを抱きしめればいいのだろうか?そうすれば、少しは楽になってくれるだろうか?私に……何ができるんだろう。
──ココは無理せずしたいことをすればいいの。
鏡花さんの、その言葉を思い出した途端、すとん、と気持ちが落ち着いた。
……ああ、自惚れてた。
今のささめ姉さんに必要なのは、心の支えであって私じゃないんだ。
私にしかできないことなんて、ない。
そうだよ。もっと簡単で、単純でいいんだ。
私はささめ姉さんの、すぐ傍にしゃがんだ。
そして、日傘の下に──ささめ姉さんを招き入れるように、そっと引き寄せた。
いつも皆のまとめ役でしっかりしている姉さんだから、誰かに泣き顔を見られるのは、あまりいい気持がしないだろうと思ったのだ。
ささめ姉さんの指が、私の袖を摘んだ。ぎゅっ、と私の腕ごと握り締めたりしないあたり、泣きながらも遠慮しているのだろう。
……それが、可愛いと思った。
ささめ姉さんが、子どものように泣いている。
──思えばこれが、ささめ姉さんと初めてした相合傘だった。




