535話 聞こえない1日
カミラの深紅の目に見上げられながら、ヒト耳を撫でられる。
ちょっとドキッと、それにくすぐったくて、変な感情が芽生えそうになるのを自制する。
「――――――」
「―、―――――――、―――」
ただそんなときめきも束の間。
カミラは私にかけていた「音が聞こえるようになる探知魔法」を無効化したから。
カミラとマリンが何かを話しているんだけど、その何かの内容は私の耳には入ってこない。
早朝の落ち着いたマリンとカミラの声も、さっきまでちょっと聞こえていた衣擦れも聞こえない。
音という概念が消えただけで、今が朝という時間帯かも分からなくなる。
北極でのあの時以来、私だけこの世界で認識されてないんじゃないかって思えて、誰にも気付かれない存在にでもなったかのように錯覚する。
それは直ぐに心の底から込み上げる恐怖を生み出し、私の思考を蝕む。
冷静に耳が聞こえていないだけっていうのは分かっていても、五感のうち一つが使えない状況は慣れないと悪夢を見てる雰囲気がある。
「―――――」
カミラが見上げたまま、私に何かを言ってくる。
読唇術なんてしたことないけど、無意識に読唇術に頼っちゃう。
「―――――」
「いおえうあ」かな?
さっきと同じ口の動かし方で私に言ってくる。
母音を読むのが精一杯、読唇術を習得してる人ってどのぐらい読めるんだろうね。
それと状況的に、「聞こえるか?」かな?
いや、あれ?
カミラが喋ってるの日本語じゃないよね?
偽神言語のおかげかな?
読唇術ではどういうスキル効果の処理が起こってるか気になるね。
「――――――」
「聞こえないね」って返す。
ただそう言ってるはずなのに、その自分の声が聞こえないから、本当にそう言えてるかは分からない。
難儀だなぁ……
「―、――、――――」
「―――、――――――――――――」
マリンが何かを呟いてから、それに反応するみたいにカミラが話しかける。
あぁ、この私だけ取り残されてる感覚が怖い。
2人は意思疎通を取れてるのに、私だけ聞こえないという恐怖。
他人と比べて技や芸が出来ないのは訳が違う。
「―、―――――、―――、――――――――――――」
「――、――――」
カミラが小さく頷いて私を見てくる。
カミラって音無しで見てると、本当にちっちゃい子でしかないのいいね。
変な喋り方のせいで普段は幼さを感じないけど、顔もいいしちっちゃいし体が幼いままだから柔らかそうだし、冷静に見るとロリで間違いない。
「……」
無言でカミラがこっちを見てくる。
やばっ、顔にニヤニヤ出てた?
カミラの表情が一瞬変わる。
それは間違いなく、呆れからくる表情だった。
「――――――――――。―――――――――――――」
「―、―、――」
カミラはマリンに何かを伝えて、マリンがそのリアクションをし終わる前に部屋に戻っていく。
マリンは困った表情でカミラに何かを言おうとするも、その口をつぐむ。
ちょっと他人より前のめりに話せないマリンだから、強引なカミラに何かを言おうというのは覚悟がいるのかもしれない。
マリンの隠れてない方の片目に薄っすらと涙が浮かび、その顔がかわいいと思えてくる。
そしてもう何日も一緒にいるし見慣れてるはずなのに、視覚情報を頼りにするしかないせいで、顔以上におっぱいに目が行く。
身長はたったの137cm、太っている訳でもなく、アンバランスと黄金比を内包した、禁忌を体現したかのような肉体美。
肉体を変える魔法でもないし食生活も普通なのに、これほどまでに格差社会があるのが理解に苦しむ。
それでも、この犯罪級の肉体がこの世にあることに感謝を。
こんな特大セクハラは言葉にしてはいけないけど、出来るものならマリンに頭を下げながら言いたい。
「―、――(あ、あの)」
マリンが視線に気付いてか、体を私からそらしながら、その泣き顔のまま何かを言ってくる。
ここは読唇術で分かった。
ただ私が女性だとしても、胸を凝視することは許されない、節度とマナーを守らないとね。
それにしても、本当に音が聞こえない。
マリンが作ってくれた薬を飲んだというのに、何も。
これ、単純に聴覚処理能力が失われているよりかは、魔法で妨害を受けてるって感じなのかな?
その妨害をカミラがかけてくれた探知魔法で貫通する理由は分からないけど……
「―――、―――――、――」
マリンが何かを喋っている途中で、思いついたかのようにアイテムボックスに手を入れて、紙とペンを取り出す。
しばらくして、その紙を私に見せてくる。
「すみません。カミラさんが今日は魔法をかけ直さないそうです」
うーん、どうして?
私がカミラをニヤニヤ見てたからかな?
見てたからか。
でもまぁ、術者がそう言うんじゃあ、私達にはどうしようもない。
説得するにも会話出来ないし、むしろ訓練だと開き直って1日を過ごしてみるのも悪くないかも。
「―――、―――――――――――(いいよ、マリンのせいじゃないから)」
「―、―――――(す、すみません)」
簡単な受け答えだと、案外分かりそう。
これだったら実はそこまで困らない?
外出したりとか何もなかったら、普通に丸一日は過ごせそうだね。
そう、外出しなかったら。
この後私は、二度寝する気分にもなれなかったからリビングで時間を潰した。
しばらくして起きてきたスージーに、耳が聞こえないことにビックリされながらも、私はスージーがポストに入っていたと差し出して来た手紙にビックリすることになった。




