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37.枢機卿 その一

「トルンスタ領との国境砦に大型の魔瘴獣が発生しました!」


 マフラスの兵士に連れられ、教会に飛び込んできた騎士はそう叫んだ。

 ざわりと、教会内に動揺が走る。


「それで被害状況は?」

「それが魔瘴獣は発生場所から動かず、何故か沈黙を保っています。警戒し周囲を囲んではいますが、被害はまだ出ていません」


 マフラスの教会司祭ノイモス様が騎士の報告にほっと頷く。

 だが安心していられる状況ではなかった。今は大人しくとも、いつ動き出し牙を奮いだすかわからないのだ。


「聖都にはすでに伝令を飛ばしてあるそうです。万が一を考えて、こちらも兵士を集めさせましょう」


 マフラスの領主ストル卿の言葉に、傍に居た兵士は頷いて外に向かった。


「怪我人が出た場合、国境砦に近いこの町に運び込まれるでしょう。その準備もしませんと」

「そうですね、あの砦は古く本来の用途として使われなくなって久しいです。聖都から応援は来ると思いますが間に合わない可能性もあります。今から救護エリアを作りましょう」


 アンブロシア様の言葉にノイモス様は頷き、クピリナ様はじめ他の信徒達へと促した。


「今日はもうできる事はありません、貴女達は屋敷へ戻って休みなさい」


 ノイモス様は、俺達に向かって優しく笑った。

 どうしようと、オーシャは戸惑うが、マリガはさっさときびすを返した。


「ここに来たばかりで物の場所もわからない私達は確かに邪魔になるだけよ。お言葉通り、今日はもう戻りましょ」


 オーシャは何かを言いかけたが、言葉が見つからなかったのかそのまま飲み込んだ。

 俺も何も言わず、マリガの後を追った。

 ルバートが三人を屋敷まで送り届けてくれる様だった。


「不安かと思いますが、この命に代えても決して魔瘴獣を貴女達に近付けさせはしません」


 暗い顔のオーシャに声をかける。オーシャは少し頬を染め、はいと小さく返事をした。

 マリガがポンポンと、励ますようにオーシャの背を叩く。ふと、ルバートへと顔を向けた。


「レノー様達クピリナ小隊はどうなさるのかしら」

「我々も国境へ応援に行きます。少なくとも私は、大型の魔瘴獣は経験ありますから」


 ルバートは俺を見つめた。

 北の森で、ルバートは魔瘴獣と戦い、瀕死の傷を負った。

 怖くは無いのだろうか。思うが、そんな事では騎士団は務まらないのかもしれない。

 聖都の騎士団は実力主義と言われているから、流石と言うべきなのだろう。


「でも無理はなさらないで下さいね、みんな心配しますから」


 俺の言葉に、ルバートは微笑んだ。


「貴女に心配していただけるとは、騎士冥利につきます」


 マリガがにやにやしている。……だから違うってば!



 翌日、早馬が着き聖都から応援が出発した事を伝えた。

 領主とボリエヌ嬢は町の人達の避難を行っている。

 観光客へは、帰国ができない者達へ南マフラスにある集会場を開放した。


 その日も、大型の魔瘴獣に動きは無かった。

 近隣にいた第二騎士団も集められ、監視体制を強めた。

 俺達は、集会場で宿泊ができるよう手伝いをした。


 オーシャとボリエヌ嬢は絶えず不安そうな顔をしていた。

 マリガは平然として見えたが、


「現実感がなくてそこまでじゃないけど、やっぱりちょっと怖いわね」


 そう言って苦笑した。



 更に翌日、聖都からの応援が着いた。騎士団の大半は直接国境砦へと向かっている。

 先に応援に来ていた第二騎士団が宿営地の準備を進めているとの事だった。


「まさか貴方がこのような場に来られるとは……」

「事は有事です。若い私が足を動かす事は、不思議ではないでしょう」


 ストル卿が驚きながらも聖都からの応援を迎い受けている。

 ストル卿だけじゃなく、その場に居る者全てが目を見開いていた。勿論俺もだ。


 何と枢機卿であるヴラ様がお越しになったのだ。

 枢機卿である。『再来の聖女』様を覗けば教会の現トップである。

 ボリエヌ嬢が言うには、枢機卿の中でも支持者が多い凄い人らしい。


「それにあのお顔でしょう?教会外でも人気でいらっしゃるのよ」


 ヴラ枢機卿は確かに超エリートながら若く、端正な顔をした美丈夫だった。

 こんな時だというのに、教会内にいる女性陣が熱いまなざしを向けている。


「当面ここを作戦本部、医療所とさせていただく事になります。申し訳ありませんが、ご了承ください」

「砦に近いこの町だって危険にはかわりないのです。寧ろ教会の方々の来訪に感謝しております」


 ストル卿の返しに、ノイモス様も必死に頷いている。


「不謹慎だけど、ヴラ枢機卿様が見れるなんてラッキーだわ」

「また貴女、そういう事を言って……」


 枢機卿と領主、司祭達が話し合う中、マリガとオーシャがひそひそ声で話す。


「でもほんとに、まさか枢機卿が来るとは誰も思わないじゃない、仕方ないわよお」


 悪びれなく笑うマリガに、オーシャがまた怒る。

 そんな二人に、アンブロシア様が、しーっと口に指を立てた。


 級友二人に苦笑しながらも、俺も枢機卿が来ることに疑問だった。

 大型の魔瘴獣が出たといっても、たった一体だ。

 北の森の時の様に、騎士団がいればなんとかなるだろう。


 前は俺が横槍をいれたが、多分いれなくても時間をかければライアールが倒しただろう。

 あの少人数でできたのだから、今回の一個小隊か一個中隊かわからないが、そのくらいの規模が来ているなら余裕だろう。

 遠征中の第二騎士団まで呼び寄せたのだったら、過剰戦力まであるかもしれない。


 それとも、大型といってもピンキリで、巨大怪獣くらいあるとか……?

 俺の頭に、国境の砦を踏み潰し炎を吐く、怪獣のような魔瘴獣が浮かんだ。



 枢機卿や領主達が別室へ引き上げると、俺達は伸ばしていた背筋を弛緩させた。

 おえらいさん達の前だから仕方ないが、ずっとこの姿勢は辛かった。

 謁見の時とは違って、自分が何か喋るわけじゃないからまだましか。


 同じ様に緊張から解き放たれた横の二人が、ほっと息をついている。

 マリガは枢機卿が消えた奥を覗くように首を伸ばしているから、案外平気だったのかもしれない。


「さ、今日は皆さんにもお手伝いして貰いますからね。オーシャは避難者の食事の手伝いね。残る二人は私について来てください」


 アンブロシア様が俺とマリガを伴って歩き出す。そこにクピリナ様が声をかけた。


「私はオーシャについていくわ」

「貴女料理なんてできたっけ……」


 それには返答せず、えへへと笑い返した。

 ……つまみ食いする気だ。


 アンブロシア様は呆れたようだが何も言わなかった。

 俺達は教会内の集会場へと連れて行かれた。入ると、机などの調度品は片付けられており、すでにベッドが並べられていた。

 何人かの修道女が、シーツやかけ布をもって所狭しと歩き回っている。


「そこにあるシーツとかけ布、枕を各自持ってお願いね」


 入り口には大量に畳まれたシーツ類が重ねられている。

 なるほどベッドメイクがお仕事ね。

 言われた通り、ワンセット腕に抱え、ベッドへと向かう。

 見ると脚を後からはめ込む組み立て式の簡易ベッドだった。



 その後は台所へ行き、予備の食器を拭いたり、事務室の掃除をしたりと雑用をこなしていった。

 オーシャも南マフラスで料理の手伝いを頑張っているだろうか。



「はー、疲れたわねえ。もうこんな時間よお」


 隣でマリガが水をぐいっと飲み込んだ。

 窓の外は、どっぷりと暗くなっていた。

 俺も水差しからどぼどぼと水をカップに注ぎ、ゴクゴクとあおった。


 幸い、というのか、今日も魔瘴獣に動きは無かった。

 一体何を考えているのだろう。いや、そもそも魔瘴獣に意思なんてあるのだろうか。

 それにずっとこのままというのも、気力が消耗するだけだと思う。

 定期的に交代して監視してるとはいえ、いつ爆発するかわからない不発弾の傍にいる様なものだし。

 いっそこちらから手を出す事はしないのだろうか。

 しかし枢機卿は、それをよしとはしなかった。


「国境に居る人達は大丈夫なのかな?まだ怪我人が出たとは聞かないけど」

「そおねえ、私達が見たあのちっこい魔瘴獣とは桁違いの大きさなのよね?そんなものの相手させられるなんて、たまらないでしょうねえ」

「私が見たものと同じ大きさかはわからないけど、少なくとも森の木よりは大きかったかなあ」

「あらいやだ、何て恐ろしいの……。そんなの太刀打ちできるのかしら」

「戦いになったら、確実に怪我人はでるだろうね」


 そんな事は考えたくないけど。用意した医務室が無駄になる事を祈る。


「……心配?」

「うん?そりゃ心配だよ。騎士団は見知った人もいるし、そうでなくても心配はするんじゃない?」


 第一騎士団にはライアールやザーグルのおっさんがいたはずだ。来ているかはわからないが、第二騎士団にはピルドアが。

 クピリナ隊で一緒だった、レノー隊長達だって砦へと向かっている。


 だが彼女は、俺の思惑とは別の事を考えている様だ。何か企んでいる様な顔をしている。これは嫌な予感がするぞ。

 俺はカップを置くと、そっと席を立とうとした。


「言葉が足りなかったわね、ルバート様が、心配?」


 嬉しそうに目を細めている。やっぱりこうなるのか!


「だから、そんなんじゃないって。ルバート様にも迷惑でしょう?」

「絶対迷惑に思わないと思うわよ。むしろ喜んじゃうかも」

「そんなわけないって……。恩義と恋愛一緒にしちゃ駄目だと思うよ」

「それくらい私だってわかってるわよ。でもね、あの方の貴女を見る視線は後者よ絶対」


 ああもう、何を言っても駄目そうだ。

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