27話
街中でノクスと出会った。
あ、と私の口から思わず声が漏れ出る。
ノクスは目を見開いて固まっていた。
その目は隣に立つリリスへと向けられている。
「どうしたの?」
急に声を上げて立ち止まった私を心配そうにリリスが覗き込んでくる。
そして私の頬に手を触れようとして……
「おい」
ノクスの冷やかな声が響いた。
顔を上げると、冷たい目をしたノクスが私とリリスの目の前に立っていた。
ノクスはリリスを冷たく一瞥すると、私の腕を掴む。
そして無言で、腕を引っ張った。
「きゃっ」
いつもは優しく接してくれるノクスから、急にそんな強引に引っ張られて、私は思わず声を上げる。
しかしノクスは止まらず、私の腕をそのまま引っ張ってリリスから引き離した。
ノクスの腕の中にすっぽりと収まる。
「ついてこい」
ノクスが耳元でそう囁いた。
有無を言わせない声色だった。
そしてノクスは私の腕を掴みながら、あっという間に人気の少ない路地裏まで連れてきてしまった。
どうやらリリスは人混みに紛れて私とノクスを見失ってしまったようだ。
路地裏を少し進んだところでノクスは立ち止まる。
そして振り返ると、冷たい瞳のまま無言で私を見つめていた。
「あの……ノクス様?」
私は恐る恐るノクスに尋ねる。
次の瞬間。
ノクスが私を壁へと押し付けた。
同時に左手を壁へと突いて、私の逃げ場をなくす。
ノクスと私は近づいて、顔が至近距離にある。
アイスブルーの美しい瞳が、私の瞳を捉えている。
「あれは誰だ」
ノクスが耳元で私にそう質問した。
私の耳にノクスの息がかかって、私は体をすくめる。
耳から流れ込んでくる声はとても甘く、脳が痺れるような感覚を覚えた。
「その……あの人は……」
「まさか、今日の予定はアイツと出かけることだったのか」
きちんと理由を話して断ったものの、どうしても罪悪感は覚えてしまう。
「それは……そうなんですけど……」
「…………そうか」
ノクスは残念そうな顔で私から離れる。
声色からノクスは何かに怒っているらしいが、私は何に怒っているのかが分からない。
ただ、ノクスが少し不機嫌であることは確かだ。
私はノクスに質問した。
「あの、ノクス様。いったいどうされたのですか?」
「どうしたって……それは……」
ノクスは言葉を詰まらせて、そして深呼吸しながら首を振った。
それは自分を納得させるような一連の儀式のように見えた。
「いや、そもそもそういう話だったな。お互いに好きな奴ができたらこの関係は終わり。俺が責める筋合いはない。すまなかった、セレナ」
ノクスはそう言って私に謝ってきた。
「え?」
ここで私はノクスに勘違いされていることに気がついた。
今のリリスの格好はどこからどうみても男性であり、そんな美少年になったリリスと私は腕を組んで街中を歩いていたのだ。
まさに側から見ればカップルに見えただろう。
「あ、あの、ノクス様……」
「大丈夫だ。俺は約束を守る。きちんと今週中には婚約解消の手続きを取ろう。俺が国王に掛け合えば、この婚約をそもそも白紙に戻して、経歴に傷をつかないようにすることも出来るだろう」
「そうじゃなくて、聞いてください!」
ノクスの腕を掴みながら叫ぶ。
ノクスがびっくりしたような顔で私を見つめている。
この隙にきちんと真実を伝えなければならない。
「あの人は、男性じゃないんです!」
「…………ん?」
ノクスは眉を寄せて首を傾げた。
私もおかしなことを言っている自覚はあるが、それ以外に説明しようがないのだ。
「ああもう、ちょっとこっちへ来てください!」
私はノクスの腕を掴むと、強引に路地裏から抜け出して人通りの多い道へと出てきた。
そして私はリリスの姿を探す。
リリスはすぐに見つかった。
女性が遠巻きにリリスを見ているせいで、道の真ん中にぽっかりと穴が空いたようになっていた。
リリスはキョロキョロと心配そうに辺りを見渡して、私がどこにいるのかを探しているようだ。
「レオン!」
リリスの男装時の別名を呼ぶと、リリスがこちらを向いた。
「セレナ……!」
リリスは安心したような顔で私に駆け寄ってくる。
「ちょっとこっちにきて!」
「え? ちょっ」
私はリリスの腕を掴むと、また強引に引っ張ってさっきの路地裏までやってきた。
私はリリスに事情を説明する。
するとリリスは納得したような表情になった。
「なるほど、それなら事情を説明しても大丈夫」
「いいの?」
私はリリスに本当に男装をしていることを明かしてもいいのかと尋ねる。
「いいのよ。別にノクス様なら私のことを下手に吹聴しないでしょうし」
私はリリスから了承が得られたので、ノクスに説明する。
「あの、……実は、この人は男性じゃなくて、女性なんです」
「え?」
「私ですよ、ノクス様」
「まさか……お前、リリスか?」
ノクスは男装しているリリスが誰か分かったようだ。
「お前……男装していたのか。どうりでどこかで見た顔だと……」
ノクスは目を見開いてリリスを見ている。
「もしかして、私が他の男性と一緒にいると思って嫉妬しましたか?」
私はイタズラめかしてノクスに質問する。
「…………さあな」
ノクスは目を逸らしてそう言ったが、答えは一目瞭然だった。
「ノクス様はリリスが男装していることを知らなかったんですか?」
私が質問するとノクスは首を横に振った。
「いや……俺は知らなかった」
「あなたに話すわけないでしょう」
ノクスとリリスが仲良くしているところを見て、私は少しモヤッとした気持ちになった。
もしかして、ノクスも同じような気持ちになっていたのだろうか。
そして、私は少しモヤモヤしていると、とあることを思いついた。
「あれ? そういえば」
「なんだ?」
私はある疑問をノクスに尋ねてみた。
「どうして一目見て私だと分かったんですか? 今日は別人に見えるようにしてきたのですが……もしかして、変装が失敗してましたか?」
私は正体を隠すためのメイクをしていた筈なのだ。
それなのにノクスは前回も今回も私の正体をひと目見ただけで見破った。
まさか、メイクが失敗しているのだうろか。
そう思って尋ねたが、ノクスは首を横に振る。
「いや、それは大丈夫。しっかりと正体は隠せていた。俺が保証しよう」
「では、どうしてノクス様は私のことを……」
「…………好きなやつの顔くらい、どんなに変装しても分かる」
「……へっ?」
思わず私は顔を上げてノクスを見た。
しかしノクスは明後日の方向を向いている。
「ではな」
ノクスはそれだけ言い残すと去っていった。
「……あらら」
リリスがポツリと呟いた。
私はぽかんとして、その場に立ち尽くしていた。




