昔の恋バナ
白髪の紳士、ボーデンさんは、南のポルト村にある別荘をリフォームするために、こちらに旅をしてこられたそうだ。
「そう、お母さんは帰られたんですか。久しぶりにアネーロの顔が見たかったのですが、病気なら仕方ない」
病気とはいっても、あのおばさんの予想が正しければ、つわりが落ち着いた頃には会えるかもしれない。
「ボーデンさんはどのくらいポルトにいるんですか? リフォームが完成するまで滞在されているのなら、母の体調が戻り次第、会いに行けると思うんですが」
「いや、ポルトは南の山越えがあるからなぁ。山を何とか越えてもあそこは小さな漁村だから、細い崖路を下りていかなくてはならないんだよ。病みあがりの人にそんなところまで来てもらうのは申し訳ない。また私が王都に帰る時にでも、こちらの店に寄らせてもらうよ」
「そうですか、なんかタイミングが悪くてすみません」
遠い所からわざわざ訪ねて来た人にとって、会いたかった人に会えないということはとても残念なことだろう。
特に歳を取ってからこういう機会を失すると、なかなかこたえるものがある。先行きの時間に限りがあるということを、肌で感じているもんねぇ。
ジェシーが同情していることがわかったのか、ボーデンさんは何かを思いついたように手を叩いた。
「そうだ、ジェシーちゃんはどうだい? 今夜はこの町の宿屋を予約してるから、店が終わったら宿まで来てくれないか? 大叔父さんがなにか美味しいものでもご馳走するよ」
おおー、ごちそうですか。
それは心惹かれるお誘いですね~
「行きます!」
ここは即答でしょう。
現金なジェシーの笑顔を見て、ボーデンも顔をほころばせた。
「いい返事だ。じゃあ待ってるよ」
ボーデンは宿屋の名前をジェシーに告げると、軽い足取りで店を出ていった。
「ようしっ、じゃあ残業にならないように、ちゃっちゃと伝票を片付けますか」
ジェシーは事務室に戻ると、残りのパンを口に押し込みながら、店の仕事に取り組み始めた。
夕方、店の営業旗を下ろしたジェシーは、猛スピードで走って帰り、行く先を家にいた祖母に告げると、商業ギルドの近くにある銀寿荘にやってきた。
よくここの前を通っていたが、中に入るのは初めてだ。
「こんにちは~」
「いらっしゃいませ。お食事ですか? お泊りですか?」
カウンターの向こうに立っていた女の人が、丁寧に迎えてくれた。
「あの、ボーデンさんという人と食事の約束をしてるんですが……」
「ああ、閣下のお客様ですね。お聞きしてます、こちらにどうぞ」
閣下って、何ぞ?
ジェシーはちょっと戸惑ったが、女の人がズンズン奥へ歩いて行くので、仕方なく後をついていった。
案内されたのは、上等な個室だった。
おー、うちの町にもこんな世界があったのねぇ。
ジェシーが部屋の中をキョロキョロ見回しながら席につくと、カクテルを飲んでいたボーデンが楽しそうに笑った。
「いらっしゃい、よく来てくれたね。そうやって君が周りを見回していると、ジョイのことを思い出すよ。似てないと思っていたけれど、やはり血が繋がっているんだねぇ。そういう所作はよく似ている」
「ジョイって、大叔母さんですよね」
「ああ、王都には彼女の名前を覚えている人も少なくなった。若くして亡くなったから、仕方がないといえば仕方がないんだが。寂しいことだ」
ボーデンはため息をつきながら、カクテルが入ったガラスのコップを手に取ったのだが、ジェシーはその右手を見て驚いた。
ボーデンの右手が真っ白に光っているのだ。
店に来た時には手袋をしてたから気がつかなかったけど、この人は魔力持ちなんだ……
でも片手の、それも手首から先だけが光っている人って、初めて見たよ。
「あの、ボーデンさんは何の仕事をされてるんですか? さっき、案内の女の人が『閣下』って言ってたんですが」
「そうかジェシーちゃんは聞いてないんだね。無理もないか、ファベルは私たちの結婚に反対だった」
「ボーデンさんたちも祖父に結婚を反対されたんですか? うちの両親も結婚する時にいろいろあったそうです。祖母も詳しくは教えてくれませんでしたけど」
「ハッハッハ、そうか、そうだな。ジェシーちゃん、ジョイとアネーロは立場的によく似てるんだよ。二人とも大勢の男兄弟に囲まれて育った紅一点、といったらわかるかな?」
「あーー、わかります。なるほど、祖父は妹のことが大切過ぎて、ボーデンさんのことを受け入れられなかったんですね」
「ふふ、君はなかなか頭が回るようだね。そんなところもジョイを思い出す。彼女は男兄弟の中で育ったからか、勝ち気で竹を割ったようなさっぱりした性格をしていた。頭が良くて、私と堂々と議論したもんだよ。王都のベタベタしたお化粧臭い女に辟易していた私は、それが新鮮でね。たちまち彼女の虜になってしまった」
わおっ、これは恋バナですか?!
おじいちゃん世代の人たちにも、若い時があったんですねぇ。
「私はね、侯爵家の次男坊で王宮で医師をしていたものだから、うちの親族にも結婚を反対されたんだよ」
ええっ?!
「それは……無理もないというか、何というか」
「ジェシーちゃんの歳でもわかることが、若い私にはわかっていなかった。恋は盲目とはいうけれど、困ったもんだね」
ボーデンは、自嘲するような寂しい笑い方をして、また一口お酒を飲んだ。
この後、次々に出てくる高級料理を平らげながら、ジェシーはボーデンがこちらへやって来た理由を教えてもらった。
ボーデンには特に親しくしている甥がいるらしく、その甥が少し前に大怪我をしたらしい。今は治療中だが、ある程度よくなってからの療養場所としてポルトの別荘を勧めたそうだ。
「周りに知っている人が誰もいない静かなところで、潮風に吹かれながらのんびり怪我を治してほしいと思ってね」
「それで別荘のリフォームまでされるんですから、よほど可愛がっている甥ごさんなんですね」
「ジェシーちゃんは何でもお見通しだね。ああ、それもあって、近くに住んでいるアネーロにも、気にかけておいてほしかったんだよ」
「わかりました。私の方から母にそう伝えておきます」
はい、安請け合いをしちゃいました。
でもこういう場合、誰でも同じことを言うと思うんですが……
この甥という人に、これからジェシーは深く関わっていくことになるのだった。




