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第二十四話「死因」


「一年ぶりっていうけどさあ、実は結構前からあるかもしれないって知ってた? ルカヤちゃん」

「……怪人の話ですか?」

「そうだぜー」


 ガエタノはメスを手際よく滑らせ、青ざめた少女の身体を切り開く。

ぱっくりひらいた切り傷からは、赤みを宿した内臓がぬめった光沢を見せている。

 新鮮な遺体だった。


「黒髪の女性を狙った誘拐殺人事件。オマエさんが一年生の時にも話題になったっけ」

「カピリジナだけじゃなくって、南イタリア全般で起きてたやつですよね。当時は都市伝説扱いでしたけれど」

「連続事件は一時的で、すぐ収まったからさ。今は違う。カピリジナ限定で、しかも頻度が高くなってる。遠いどこかのあるかもわからんおとぎ話じゃあない。みんな『現実の脅威』として認識してるよ」


 はかりに脳みそを乗せる。

 検死(ガエタノ曰く『解剖』)というのはとにかくくまなく調べ尽くす。

 非合法の医者となれば手抜きにヤブも多かろう。ガエタノは存外真面目だった。

 臓器の重みに水分量と、思いつく限り徹底的に調べる。

 はたまた単純に作業が好きなのかもしれない。

 手袋をした手で恭しく次の内臓を取り出す目は、公園の石をひっくり返して虫を探す少年のようだ。


「でも黒髪女性の誘拐事件自体は、探してみればチラホラあったんだよなあ。一番古いので、多分四年前」

「そんなに!?」


 ルカヤは大きな声をだして驚いてしまった。

 すぐに咳払いをし、ガエタノに指示された器具を手渡す。


「す、すみません。でもどうしてわかるんですか? 黒髪女性は多いですよ。前から在る連続事件だと思うということは、髪の色以外の共通点があるんでしょうか」

「あるぜ。遺体を直接見たわけじゃあないが、資料を見る限り、こういう死に方をした女子が他にもいた。髪はよくある色だが、この死に方は珍しかろう」


 黒いボールペンで、手元に置いてあったバインダーにサラサラとメモをかきこむ。

 それはこの二ヶ月で持ち込まれた女性の遺体達とすんぷん違わぬ死因であった。


「感電死、だ」

「……その資料はどこで?」

「秘密♡」


 チャーミングなウィンクに、ルカヤは引きつった笑みを返す。


「愛想笑い下手だね。そういうとこ可愛いと思うけどな」

「い、いえ。すみません。でもそんな前から続いてたらもっと騒ぎになりませんか?」

「全ての事件が真摯に報道されるわきゃないでしょ。それにちょっと変なんだよなあ」

「変?」

「誘拐って大抵、身代金か暴行目的だろ? それがどの女性も、暴力で死に至っていても強姦の形跡がないんだよなあ。金品も無事。家族への要求もなし」

「家族は探すでしょう」

「んーん。被害者が孤立無援だったり娼婦やホームレスだったりで、身代金が期待できず、同時に世間から放置されやすいってあたり。誘拐と殺人の期間が長く、次の犯行までのスパンも緩やかなのも見ると、なかなか計画性のある犯人だ」


 あくまでガエタノのコメントは淡泊だった。

 正義感から過去の資料を遡ったのかと思いきや、知的好奇心が由来だったらしい。


「本当にどれがそいつの仕業で、どの子が最初なのかはわからん。ただ、全体を眺めてみると、多分これが最初だろうなっていうのが四年前。

 最初から凶悪な犯罪者ってのは稀だ。算数が足し算から始まって物理に進化するように、悪性だって段階を踏む。

 一番最初は13歳の女の子。綺麗な服を着せられて、森に放置されていた。きちんと胸の上で手を組んだ状態で発見されたそうな。

 しかし遺体を持ち帰ったら、あらびっくり。背中の肉が()げていたんだってよ。どうにも鞭で打たれたらしいね」

「現代に鞭? ていうか、感電死じゃあないんですね」


 ガエタノに担当を振られている部位の記録をつけて、先生に質問を飛ばす。

 幼い命が無残に手折られたショックを抑え、すぐそんな感想が出てくるのは、ルカヤもだいぶ毒されている証拠だろうか。


「段階を踏むっていっただろう。オレはこれが感電に結びつくきっかけになったと思ってる」

「鞭打ちから感電に?」

「ここで重要なのが、前述した『身代金要求なし・強姦の形跡なし』ってとこ。全員、最後の死因以外は綺麗な身体(・・・・・)してるんだぜ。びっくりだよな」


 ガエタノの手が冷たくなった肉の内壁に潜り込む。

 明かり(ライト)を調整し、手元を照らす。

 水分をたたえた肉と心臓による循環を失った粘液が、ガエタノの指によってにちゃにちゃと絡み合う。

 見える光景は、これまでに続いた例と代わり映えしなかった。

 ルカヤが見る限り、感電以外の具体的な新事実は出てきそうにない。


「不思議ですね」

「なかには誘拐前より健康状態が改善した薬物常習者までいる。どう思う?」

「ええっと。総合すると、先輩がこれが前々から続いていると思ったのは、『黒髪女性』『金銭目的でない』『死因に至る暴力以外は大切に扱われている』という点で事件をさらってみた結果、同じ被害者が前々から何人もいたのを発見した……ということですか?」

「正解!」


 肯定とともに、ガエタノは全ての器具を置いた。

 作業終了らしい。

 ライトを消し、「お疲れ様でした」とねぎらう。


「これだけ重なりゃ、じゅうぶん同じ犯人って可能性はあるんじゃあねえかな。期間は四年前にバラバラーっと。時間をおいて、一年前にも南イタリアで。そして現在。しかも今は急に頻繁になってる。この一年で、新たに意識が変わるストレス要因があったのかもな」

「警察にいうんですか?」

「いうかよ。オレが楽しいから調べただけだもん。どうせ一笑にふされるし?」


 ガエタノは悪びれず茶化した。

 ルカヤは肩をすくめ、片付けを始める。

 彼の言うとおりだ。どころか、闇医者として捕まる可能性のほうがずっと高い。

 若干の罪悪感は無視する必要がある。せめて一刻も早い事件の解決を願い、公的機関のちからを信じるのみだ。


「ああ、ルカヤちゃん。片付けが終わったら今日は帰っていいよ。お兄さんに連絡しちゃいな」

「わかりました。ありがとうございます」


 ルカヤは素直に従った。

 「この国、ひいては町に連続殺人鬼がいるかもしれないよ」と生々しい考察とともに語られて、逆らえようか。

 いや、逆らえない。


◆◇ ◆


 ルールを守れば、エヴァンは頼れる優しい兄のままだ。

 今日はカルボナーラだ。リビングにいても、キッチンからとろけたチーズの濃厚な匂いが漂ってくる。


「おう、できたぞ」


 一言かけて、黒いエプロンをかけた兄が食事を並べ出す。

 ぼうっとクッションを抱きしめてソファに寝転んでいたルカヤも、のそりと起き上がり、食器棚からフォークとコップを運んだ。


「おいルカヤ。お前、疲れてそうじゃねえか。もう寝間着に着替えてこい」

「お風呂あがったらにするよ」

「服に汚れがついたら洗濯の手間が増えるだろうが。ぱぱっと着替えろ。で、冷める前に食え」


 しっしっと犬を追い払うみたいに煽る。

 口元は笑っていて、あくまで冗談だとわかった。

 ルカヤは兄に背を向け、おし隠した嘆息をこぼす。


(こういうところ、困るんだよね……)


 ルールを破った時の兄は、ルカヤでもわかるほど異常だ。

 だというのに、こうしていまだに暖かな時間をくれるから、嫌いになりきれずにいる。

 いっそもっと酷い人なら、思い切って捨ててしまえるのにとすら思う。


 パジャマに着替えて戻ると、エヴァンがスープカップになみなみ注いだミネストローネに、粉チーズをかけていた。

 花柄の皿にもられた黄色いパスタ麺は、あぶらで艶めいている。

 中心に、半熟とろとろの卵が太陽のように落とされていた。


「……美味しそう」

「はっ、美味いに決まってんだろ」


 いそいそ席についたルカヤを横目に、エヴァンは嬉しそうに鼻で笑った。

 エヴァンのカルボナーラはベーコンを分厚く切る。

 肉はジューシーで噛み応えがあるほうがよいのだとか、なんとか。

 要はエヴァンの好みだ。これがまた美味しい。コショウがたっぷりふってあるのもよい。


 フォークでくるくるとパスタを巻き、舌に乗せる。

 弾力を残したチーズと甘いクリームソースがまろやかなハーモニーを奏でた。

 そのままではすぐに食傷気味になるところを、コショウがパンチを効かせて、ぐっと味覚を引き締める。

 ベーコンをぷりっと噛みちぎる感覚は愉悦極まる。


「兄さんっていつでもいいお嫁さんになれるよね……」

「起きてるうちから寝言を言うな。なるなら夫だろ」

「毎日こんな美味しいご飯を食べられる奥さんは幸せだね」

「…………」

「えっと。そういえば、さ。兄さん、彼女さんとはどうなったの? 大学の時からの……まだ続いてる?」


 ルカヤはこの質問をする時、そわそわせざるを得ない。

 兄は相変わらず、この手を話を自分から切り出さないのだ。

 兄の目はルカヤの手を見つめていた。

 半熟卵をわって、黄身をかき混ぜるのを眺めていたエヴァンは、かったるそうに指を顎にまわして考え込む。


「どうなの?」

「あー……そうだな。今度、指輪を送るつもりだぜ」

「指輪!?」


 衝撃にフォークを取り落とす。

 エヴァンは皿の上に転んでしまったフォークを、わざわざ立ち上がってシンクに運ぶ。

 エヴァンが戻ってきて新しいフォークをさしだしても、まだルカヤは混乱していた。


「え、きゅ、急じゃない? 全然そんな話してなかったよ」

「そいつと結婚するとは言ってねえだろ。贈物ぐらいするっての」

「あ、そ、そっか。ごめん。早とちりした」

「欲しけりゃお前にやるけど」

「いらない……仕事がらもらってもつけられないし……あー、びっくりした」


 ちからが抜けて、ソファにぼすんと背中を預ける。

 兄が結婚。想像もつかなかった。

 いつか兄にそんな人が現われればいいな、とはずっと思っていたけれど。

 だが会話をきく限り、大学時代からずっと同じ女性と付き合っているようだ。「別れた」といって否定されなかった。


「ねえ兄さん。今度、彼女さんと会わせて欲しいな。いいでしょう?」

「ああ。今度な。機会があれば」


 ルカヤのおねだりに、エヴァンはどこでもない宙をみて、生返事する。

 前々から何度も言っているのに、兄は乗り気でないらしかった。

 

 ルカヤが意図せず兄の恋人に会ったのは、その三日後。

 職場での遭遇であった。


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