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愛しき日々

第七話。ピクシブとブログからの転載。

箱館での平和な日々。

「丁サに詰めるのも久しぶりだな」

 野村が勇の横に座って刀の手入れをしながら独り言を言う。

「そうですね。ここのところ野村さん五稜郭に行くこと多かったから」

 勇が広げていた教習本を閉じながら答える。

「久しぶりだから外に行きませんか。買い物もしたいし」

「居留区か?たまには屯所にも顔出してやってくれ。寂しがってる奴もいるぜ」

「じゃ、その後称名寺に行きます」

 野村は答える代わりに刀を音を立てて納めて立ち上がった。

 箱館の街にもなれた。

 雪道にも何とか慣れた。まだよく転けるが……それでも前よりはましになった。

 歩いていると通りで遊んでいた子供が勇を見つけて駆けてきた。

「勇おねーちゃん遊ぼー」

「小雪ちゃん。今用事があるから後でね」

「妙ちゃん達も一緒でいい?」

「いいよ」

 そんなやりとりを野村は微笑んでみている。精悍で鋭い眼光、一睨みなどすれば怖いくらいの顔だが、わずかにたれ気味の目のせいか勇と一緒だとあまり子供に怖がられない。

「野村のおじちゃんも後で来るの?」

 ちょっと嫌そうに言う小雪に

「おじちゃんたぁなんだ。お兄さんと言え」 真顔でくってかかるのを見て勇が笑った。

 歩き出したが、ふと振り返った野村が

「お前といるとガキどもが怖がらずに寄ってくるな」

「野村さんも好かれてますよ。利三郎おじちゃんですから」

「新撰組を怖がらねえ奴はいねえだろうが。好かれちゃいないはずなのにな」

 どうも勇自身は気がついていないようだ。 自分たちが少なからずの町の人に馴染みとなっていられるのは勇のおかげだと言うことに。

 新選組が行っている市中取締り。箱館政府は重税を課したりしてるために民にはあまり好意をもたれていない。その、不満分子達を務取り締まるのだから好かれるわけはなかったのだが。

野村はフッと笑うとそのことは胸にしまい込んだ。

 暫く歩くと外国人居留区である。外国商館などが建ち並んでいる。日本とは思えない風情だ。

 その中で英国商館に立ち寄るといくらかの買い物を済ませた。勇は必ず菓子を買う。子供にやることが多い。

「お前は子供が好きだな」

「人が好きなのかな。ただ全ての人ってわけにはいきませんよ。好き嫌いの激しい奴だって言われたこともありますし」

 笑いながら言った。手には買い込んだ屯所への差し入れの菓子がある。

「お前はそうやって笑ってる方がいい」

 真面目な顔で野村が言った。

「お前には戦場は似合わねえ」

 勇はその言葉に驚いたように振り向いた。「勇。戻れる方法がわかった時は、迷うことはねぇ、さっさと帰るんだ」 

 野村のその言葉に勇も真顔になる。

 海から吹いた一陣の風が二人の髪をゆらした。降っている雪が、風に舞いあげられた雪が一瞬視界を白く遮る。

「おっと、こんなとこにいると風邪ひくな。さっさと行こうか」

「はい」

二人は足早に新撰組の屯所、称名寺へと向かって走っていった。


そろそろ年の瀬も近くなったある日。

 勇は万屋前の雪かきをしていた。

 万屋の人たちには宿屋でもないのに寝食のお世話になっているのだ。こんな事ぐらいでもしないと申しわけない気がする。

「ふうっ」

 腰を伸ばしたときだった。

「精がでておるな。元気でなによりだ」

 いきなり後から声をかけられ驚いて振り返る。

「永井様」

 箱館奉行、永井尚志だった。

 この時代ではそろそろ初老と言う歳にもかかわらず箱館まで戦い続けている人で、勇をにこやかに見つめながら二人の供を連れ馬上にあった。

「お久しぶりです。永井様。今日はいかがされたのですか」

 勇は馬の側まで歩み寄ると見上げながら声をかける。

「いや、仕事でな。この後称名寺に行こうかと思うておる」

 永井と新撰組のつきあいは長い。

 京町奉行として幕末の京にあり、京市中取締りの任に就いていた新撰組と浅からぬ縁があったのだ。

「土方殿はおられるか」

「はい。とりあえずここは寒いですから中へお入りください。熱いお茶でもいかがですか。暖まりますよ」

とりあえず三人を中に誘い、勇は土方の部屋へと急ぐ。

「土方さん。永井様がお見えです」

 部屋の外から声をかけると、

「とおしてくれ」

と、返事があった。

 永井を土方の部屋へと案内し、供の二人は自分の部屋へと通す。

「なにもありませんが火があるので暖かいですから。今皆さんにもお茶をお出ししますね」

 部屋の中にある火鉢にかかる鉄瓶をとるとお茶の支度を始める。

 とりあえず二人に茶を勧めた後、永井へ出す茶の支度を始めた。

 熱めの茶を用意すると、土方の部屋へと運ぶ。

 中にはいると二人難しい顔をして向かい合っている。勇も黙ったままそっと茶を二人の前に置いた。

 そのままさがろうとしたときだった。

「まったく、ここまで話がこじれてしまうとな。あの時坂本さんが亡くならなければもう少しやりようもあったのだが」

 ふっとため息をつきながら永井がこぼした。

「坂本と言えばうちの原田が斬ったといわれてましたが。まったく身に覚えのないことで濡れ衣もいいところです。永井様からの命でうちでは手など出してないというのに」

「まったくだ。いったい誰が斬ったのやら」

 どうも坂本龍馬の暗殺の話をしていたようだ。

「あれ?坂本龍馬を斬ったのは見廻り組の佐々木只三郎さんだったと思うんだけどな。あ、実行犯は桂さんだったっけ?今井さんだったかな」

 勇が思わず小声で呟いたときだった。

 永井は茶にむせかえるし、土方は茶碗に伸ばしかけた手を止め、目を見張った。

「?」

 二人の反応に意外な思いを抱いた瞬間、

「おいっ、勇。その話どこで聞いた」

 土方が怒鳴る。

「えっ?だって……」

 言いかけてはっとする。今の時点ではまだ佐々木が坂本暗殺について関係していたとわかっていないはずだった。

 そもそも、鳥羽伏見の戦で戦死した佐々木が、見廻組が関係していたことをまだ、誰も告げていない。

 あわてて両手で口を塞いだがもう遅い。

「ごめんなさいっ」

 あわてて部屋から出ようとするが、土方に足首を押さえられ床に倒れ込む。

 身を起こしたときには目の前に目をつり上げた土方の顔があった。

「てめぇ、吐け。知ってること全部、洗いざらい吐きやがれっ」

 土方のすぐ横には険しい顔の永井までいる。

 あの京の荒波の中にいた二人の男が睨んでいるのだ。抵抗する方法なんてない。勇はこくこくと頷くと知ってること全て話すことになった。

「なるほど、黒幕は薩摩の西郷か」

「坂本の御仁は徳川家養護の立場だったからの。薩摩にしては面白くなかったか」

 土方と永井は思い思いの考えを口にする。「通説です。でも、坂本さんが寺田屋で手を怪我してて刀もピストルも持てないの知ってるのは少なかったとされてるから。湯治に行った薩摩の人なら知っていると……」

「そりゃ俺も初耳だったな。そうか、ピストルが使えなかったのか」 

 土方の目が遠くを見る。 

 永井の顔は穏やかなものに戻っていた。

「いや、今となってはどうなるものでもないのだが、まぁ、胸のつかえはとれた気がするのぉ。そうか、そう言うことか。それならつじつまも合うというものだ」

 ふと、土方が永井に向き直った。  

「永井殿、ひとつお願いが……」

「勇君の身上か。分かっておるよ。わしとて勇君の身を危うくするようなことはしたくないゆえな」

 土方はホッとした顔をした。勇はすまない思いで一杯だ。うっかり言ったことが大事になってしまった。

「まったくお前は……。おもわねぇとこでおもわねぇ事言いやがるから。はらはらさせやがる」

「ところで、勇君のことを知ってるのは誰と誰だね」

 永井が訊ねた。

「今のところは……うちの古参の隊士と榎本殿。あと、私の古いなじみの伊庭、というところですかね」

「そうか。勇君も安心しなさい。困ったことがあれば来るといい。力になろう」

 永井はそう言うと、勇の頭を撫でた。


 雪も小康状態の日の五稜郭。

 幹部クラスの会議があった後である。

「ふう」

 勇は一つため息を付いた。

 榎本総裁の執務室の前だ。

 五稜郭に来るたび榎本に会うことになる。 その度、色々聞かれては未来のことや北海道、つまり蝦夷について知る知識を伝えている。

「近藤です」

 声を掛けると戸が開いた。にこやかに榎本が迎える。

 さきほどまで幹部達がいたせいか、何となく男臭い。その中に、ふっと樹の香りがある。なぜか安心する香りだ。

「……ここらの山では石炭が採掘されます。燃える石、ですね。イギリスの工業、産業革命を支えているのはこの石炭というものです。強力な火力と扱いが容易いんです。掘るのには大変なんですが。かなり長い間採掘されていました」

 勇と榎本の前には蝦夷地の地図が広げられている。勇の書いた白地図も横に並べられていた。そこには色々書き込みがある。 

勇が地図の場所を指し示していた。ふと、手が止まる。

「私が……こんなことしても意味があるんでしょうか……」

 うつむいて顔を背けた。

「榎本さん、私が言ったからわかってますよね。この政府は……長くは続かない」

「ああ、知っている。江差で聞いたね」

「なら……」

「未来がたとえ自分の望まぬものであっても、今をないがしろにすべきではないと、私は思うんだよ。まぁ、私も色々流されたからね。時の流れや状況、そして、人の思惑って奴に。大坂じゃ自分の船を上様に乗り逃げされたくらいさ」

 榎本はくすくすと笑う。

「でも、あたしには何もできません。知ってる知識を伝えてもそれが役には立たないことを知っている……」

「だが、未来は今の積み重ねの先にあるんだよ。君の知る未来が今の我々が足掻いた先にあるのならそれはそれで良くないかい?もし、我々が投げ出してしまったら、もっと悪い状態になっているのかも知れない。そうは考えないか?」

「未来のための礎、いえ、捨て石になると?」

「そうは言わないがね。新政府に盾突いてる訳ではないのだが認められなければこの命でもの申すだけさ。勇君、心配は無用だ。君の身の安全は保証する」

「なんで……戦わなきゃならないんでしょう。何で人は殺し合うんでしょう。戦わずにすむ方法はないんでしょうか」

「それは、難しいな。我々にも、あちらにも譲れないものがある。お互い譲れぬものがあれば、この身をもって戦うしかないさ」

 えらくさばさばした表情で言う榎本と対照的に勇の目は潤んでいる。

「何でそんな簡単に命を投げ出すんですか」

 真っ直ぐ見つめてくる勇に榎本は少し困ったような顔をする。

「そう言われてもな。ただ我々は武士だと言うことだけだ」

「武士だって……人間です。今の事態は、維新だ回天だって美辞麗句で言いつくろったって所詮は軍事クーデターじゃないですか。資金と軍備が勝っていた者が前政権を倒す。ただそれだけのことで、もう実権は彼らの元にある。前の権力者はその座を譲り渡してしまった。なのになぜ榎本さん達は戦うんですか。

無駄だと知りながらなぜ?あたしは……ここの人達が好きです。だから、死んで欲しくないんです」

「未来の君がそういえるのは幸せな証で我々にとって嬉しいことさ。だが、私は武士として生まれ幕府に恩義がある。だから幕臣としての意地を示したいのさ。ん……そうだな、薩長の連中に腹が立ってるだけなのかも知れない」

「そんなことで命を投げ出すんですか?悔しければ生きるべきじゃないんですか。いつか見返してやると思えないんですか。生きていたいとは……思わないんですか」

「そうだね。私だってやりたいことはある。まぁ、行きがかりでなりたかった以上の立場になってしまったがね。君にはいずれかなえたいことがあるのだろう?まだまだ若い君だ。誰かと所帯を持って幸せになりたいとか思うのだろうな」

 その榎本の言葉に、勇は詰まる。

「私の将来……ですか……」

 ふっ、と自嘲気味に笑う勇に榎本は不思議そうな目を向けた。


 会議が終わり、自分の執務室に戻った土方は文机に向かい筆をとっていた。

 その時、

「ムッシュヒジカタ、今日はオルレアンの乙女が来てるとか」

 いきなり土方の執務室の戸が開けられ、カズヌーブが入ってくる。

 部屋にいた、土方・野村・島田・市村が一斉に何事かと顔を向ける。

 一方カズヌーブも部屋の中にいるのが野郎ばっかりと気がつき明らかに落胆の表情を浮かべた。 

「ムッシュヒジカタ、マドモアゼルイサミはどこにいる?」

「勇ぃ?」

 土方が怪訝そうな声を上げた。

「あいつは少し用で外しているが。何用ですかカズヌーブ殿」

 勇が五稜郭に来たときの一件以来、このフランス人教官のアンドレ・カズヌーブは勇をいたく気に入ったらしく勇が来るたびにちょっかいを出してくる。一方の勇はそれに辟易としているらしく姿が見えるたびに逃げ回っている有様だ。

「勇はどこだ?」小声で野村が市村に聞いた。

「榎本さんに呼ばれて」

「ああ、運が良かったな」

小声での会話。

 その時、ちりりりと鈴の音がした。

 襖が開かれ勇が顔を出す。が、そこにカズヌーブの姿を見るとくるりと背を向け黙って襖を閉めた。

「おう、ジャンヌ。どこへ行くのです」

 カズヌーブは声を上げると襖を開けて、逃げようとする勇を捕まえる。

 太い腕に抱え込まれた勇はじたばたと足掻いた。まるで、大きな蜘蛛に捕まったカゲロウのようである。

「あたしはジャンヌダルクじゃありませんって。何でそうなるんですかっ」

「戦場に咲いた美しい一輪の白百合。ジャンヌといわずして…」

 言いかけたカズヌーブを遮って

「だから違うッてっ」

勇がわめいた。

 次の瞬間野村が動いた。

 カズヌーブの顔と勇の間に鞘のままの刀を差し込んだのだ。

「おう、ムッシュノムラ。何するのです」

「そいつを離しな。嫌がッてっだろうが」

「乱暴ですね」

 むっとした声でカズヌーブが言った。

「何なら抜き身でもいいんだぜ」

野村が凄む。

「おい、刀を引きな野村。カズヌーブ殿も勇を離してやってもらえませんか。その子はそうゆうのに慣れておりませんのでね」

 穏やかに土方が声をかける。

 カズヌーブは渋々と言った風情で手をゆるめた。自由になった勇は急いで土方の後に回り込む。それを見て土方も苦笑する。よほど苦手らしい。

「今日はお引き取りを。それとも何かご用の向きがおありですかな」

「お茶でもと思ったのだが。またにしよう。それではジャンヌ。また」

 残念そうにそう言うと投げキッスをしてカズヌーブは引き上げる。

 その姿が消えると、勇は大きなため息をついた。思わず力が抜ける。

「一体何の因果で……」

 情けない口調で愚痴が出る。

「フランス語の聞きたいところがあるんだけどあの人は苦手だなぁ」

 勇の手は土方の肩に掛かったままだ。

その手に土方の手が置かれた。

「最初にケンカを売ったのがお前だ。諦めるんだな」

「別にケンカ売ったわけじゃ。見かねただけで」と勇はぼそぼそと呟く。

「あれだけやり合えたのが楽しかったんだろう」

 土方の口元には笑いが残っている。

「しょうがない。ブリュネさん探そう」

「隊長のか?」

「うん。あの人紳士だし、親切だし」

「お前も懲りない奴だなぁ。ブッフィエじゃねぇのか?奴なら俺が口をきいてやれるが」

 勇としては軍事顧問団隊長ブリュネ・シュレーの方が聞きやすかったのだ。

「いえ、土方先生。訳あるんですよ」

 くすくす笑いながら市村が言いかけた。

 勇があわてて止めようとするが間に合わない。

「前にね、ブッフィエさんに質問に行ったとき勇の奴、読めればいいんで別に話せなくてもいいんだって言ったんですよ。そしたら」

 ブッフィエは筋金入りの愛国者だ。フランス語が一番美しい言語だと思っている。ゆえに、

「そしたらブッフィエさん怒ってしまって。いかにフランス語が美しい言葉であるかって延々一時説教されちまったんです。俺も一緒に。それも正座させられてね。説教終わった後、勇、足が痺れて立てなかったんだよな」

 それを聞いた土方は大きな声で笑ったのだった。

その日の夜。

万屋に帰ってきた後、土方は文机に向かって書き物をしている。今は軍服を脱ぎ着流しの着物に半纏を羽織っていた。

勇は邪魔にならないよう部屋の隅に小さな卓を置いて和訳の作業をしていた。

 いつもの風景である。

ふと土方が振り返ると勇は卓に突っ伏して眠っていた。頭はフランス語辞典のうえに乗せられたままだ。

 思えば今日も一日走り回っていた。疲れているのだろう。人のこととなると無理をするほど頑張ってしまう奴だ。

 側によるとそっと抱き起こす。手からぱたりと筆が転がり落ちた。

 改めてみると、確かに美しいという言葉が当てはまる少女である。

 漆黒の長い睫毛に、すっきりと通った鼻筋。小さめだが形のよい唇。ほころびかけた紅梅の花びらのような色だ。元は色白なのだろうが日に焼けているための淡い小麦色の肌。艶やかな黒い短めの髪が頬にかかっている。  わずかに開いた唇から寝息が漏れていた。

 しばらく見つめていた土方だったが、やがて引き寄せられるように唇を近づけた。あともう少しで唇が触れ合う、というとき

「トシ……」

 小さな声で勇が呟いた。

 土方ははっと我に返った。

……俺ぁ今何をしようとしてたんだ?

 二三度顔を振って気を取り直す。

 軍服のままのその体を抱き上げると火鉢のある側まで運んで横たえた。部屋の隅に置かれていた自分の長マンテルを持ってくるとそっとかける。自分の仕事が終わったときまだ眠っていたなら、床に運んでやらねばならないなと考えながら土方は再び仕事に戻った。


年も後のこりわずかという日。

 丁サに一人の客が訪れた。

 中島三郎助である。

一度は隠居を決め込んだが、徳川家臣としての意地もあり榎本軍に参加して品川から軍艦に乗って来ていた。二人の息子も同行している。今の役職は箱館奉行並。

 英語の達者なこの御仁。なかなかの風流人と聞いていた。

「土方殿は発句をたしなむとお聞きしましたのでな。句会へお誘いしようと思いまして」

 土方は驚いた顔をする。

 あまり他人には自分のことは話さない人間だ。それどころか、俳句を詠むなどと人に知られることを嫌がってる節もある。 

 土方がじろりと勇を見る。

 その目は『お前が言ったのか』と言っているようだが、身に覚えのない勇はあわてて首を振る。

「いやいや、同好の衆というものは分かるものです。どこからともなく耳に入りましてな」 にこやかに中島は話す。

 そして、で、どうですと切り出す。 

そう言われると土方も嫌いではない。

 会に出席することを了承する。

 中島は楽しみにしてますよと告げると、ほくほくと帰っていった。

 土方の部屋では火鉢の上の鉄瓶が音を立てていた。

「歳三さんの字、昔の字とずいぶん雰囲気が変わったんですね。前は優しげな感じの字でしたけど、今は精悍な字体で」

 勇は土方の手元に茶を置きながら何気なく言った。

 書簡を書いていた土方の手がぴたりと止まる。

「昔の字たぁどういう意味だ。お前、いったい俺の何を見た」

 そう言われて勇はしまったと思った。中島の一件でうっかり思いついたことを言ってしまった。

「いえ、あの……日野に送られた手紙とか……」

 思わず目が泳いでしまう。

「何か隠してんな。言え。何を見た」

 もうこうなると隠していられない。白状することにした。

「あの……豊玉発句集を……」

「何だと!」

 荒々しい土方の声に思わず身を引いた。

「誰が見せやがった!」

「あ……。トシが。これ、歳三さんの直筆だぜって」

「ンの馬鹿野郎がっ。で、お前、見たのか」

「あの、はい……。だって土方家の家族扱いだったし、やっぱりよく話に出てきていたし、興味も……あったし……」

 声がだんだん小さくなる。一般公開されてるなんて言った日にはどうなることか。ここはさっさと退散しようと決めた勇が、

「あの、あたしすこし用が……」

逃げ腰になったときだ。

「逃げるンじゃねぇ、こら」

……逃げるなと言われても……。

「あの、歳三さんらしい句だと思いましたよ。素直な感じで。一輪咲いても梅は梅なんて」

 そう思わず言ってしまったときの土方の顔を見て、

……もしかして、あたし、墓穴掘った?

 顔から血の気が引くのが自分でもわかる。 あわてて立ち上がった。

 が、土方も腰を上げる。

……やばい。本気で怒ってる?

 ともかく今はここから逃げ出してほとぼりが冷めるのを待つしかない。謝ったりしたらそれこそ土方を馬鹿にしているようなものだ。

 廊下へ出ようとするが、土方がすいと前に立ちふさがる。

 こうなると勇も目つきが変わった。日野高バスケ部の『攻めの近藤』である。

 次の瞬間には身を低くして土方の視線から消えると、左足を軸足にしてくるりとターンを決めながら背後に抜ける。そのまま廊下へと、と思った瞬間だった。

 いきなり首元に腕が回された。引き寄せられ覗き込まれる。

「甘いな。新撰組を見くびるんじゃねぇよ。何度も修羅場をくぐってきた俺に、そんなのが通用すると思ってんなら大間違いだ」

 耳元に凄みのある声で囁かれる。

 もう、半分パニック状態の勇はここでまた言ってしまったのだ。ずっと疑問に思っていたせいかもしれなかったが。

「あの、知れば迷い知らねば迷わぬの句で、法の道と恋の道の二つの内、丸で囲んだ恋の道の句、選んだんですか、消したんですかっ」

 その時の土方の顔は言葉にできない。

……だめだ、あたし。地雷踏んだみたい。

 殴られる、でなければビンタの一つも食らうだろうと覚悟を決めて、目をきつく閉じると歯を食いしばった。

 暫く待った。

 が、殴られない。

 おそるおそる目を開ける。

 見えたのはおかしそうに笑っている口元。 黒い瞳に長い睫毛と色白の肌と……漆黒の髪。

怒ってないのかなと思った瞬間、おでこを思い切り強く指で弾かれた。

「痛いっ」

「これがその問の答えだ。それと、句集のことは人に言うんじゃねぇぞ。特に隊士には」

 土方はむっとしたように言い捨てるとさっさと文机に向かう。

 その素っ気ない背中にホッとした勇は額を押さえながらぺたんと腰を下ろす。が、

……これが答えって。どういう意味なんだろう?

 考え込んでしまった。

 悩んでいる勇の気配を背中に感じて、土方はこっそり口元だけで笑った。


十二月二十九日の夜。今年ももう終わりだ。

 寒いのではあるが、それでも心なしか幾分かゆるんできている気がする。もうすぐ春へと向かうのだ。

 土方と勇は連れだって酒井孫八郎のいる大津屋庄右衛門の館に向かっている。

 空は雲が切れて冴え冴えとした蒼い月が出ている。

 勇は傘を手に、もう一方の手には提灯で土方の足下を照らしながら歩いていた。

 提灯を使ったといっても、夜道は暗い。

 ネオンや街の灯りがあるわけでも、街灯があるわけでもない。建ち並ぶ家屋から漏れる光など無いし、あったとしても家の中で使われているのは行灯だ。道を照らすまでの光量なんてあるわけもない。店や楼閣の前なら少しは灯りがあるかも知れないが勇の期待する明るさにはほど遠い。雲がたれ込めて月明かりがない夜などは真の暗闇だ。伸ばした手の先だって見えない。誰かに鼻をつままれたってわかりゃしないだろう。

 ふいに、はらはらと白いものが舞った。

 風花か、空にはまだ月がある。

 積もった雪が月明かりを反射して青白く光って見える。

「あ、歳三さん雪ですよ。傘、差しますね」

 勇は提灯を土方に託して傘を広げると土方にさしかける。

 その時、今までずっと黙っていた土方が口を開いた。

「お前、いつまで俺達といるつもりだ?」

 勇はその言葉にさほど驚いた様子も見せなかった。

「ずっと。いけませんか?」

「この戦。勝ちはねぇぜ。こっちは金はねぇ、物はねぇ、兵隊はいねぇの無い無いづくしだ。たとえ一戦勝ったとしても終いにゃ絶対負ける。それはどんなバカが見たって分かるこった。お前もここにいたらどんなことに巻き込まれるかわかんねぇんだぞ。大体、先のことを知ってるお前が何でこんな貧乏くじを引く」

「そうだなぁ、何でだろう。でもここより他に居たい所なんてないし」

「のぶ姉ぇに手紙を書いてやる。それを持って日野に行け」

「嫌です」さらりと勇はかわす。

「勇ッ」

 土方が厳しい声で言ったときだった。

 フワリと傘が飛んだ。一瞬土方の視界を遮る。

 地面に落ちた傘の向こう、数歩離れたところに勇が居た。

 手を掲げ落ちてくる雪を受け止めている。

「だってここには歳三さんが居るでしょう?誰も知らない人のところへ行けなんて言わないで」

 にこりと笑うとすっと膝をかがめる。次の瞬間、フワリと高く飛び上がり地面に手をつくこともなく、しなやかな仕草で後ろ向きにくるりと空で一回転して立った。

「ここにいさせて」

 土方の側によると落ちた傘を拾い上げて再びさしかける。

 土方は何も言えなかった。まるで舞うようにとんぼを切った勇に見とれていた自分に気がつく。

 完全に言葉を封じられた。

 勇の勝ちだ。

 大きくため息をついた。

「勝手にしろ」

 そう告げると、歩を進めた。

 酒井の宿に着いた土方は、二人部屋に籠もって話をはじめる。勇は隣の部屋で控えているしかない。

 途中、茶を入れたが「呼ぶまではいるな」と下がりがけに告げられて、大人しく隣室にいる。

 とはいえ、何もすることが無いというのは非情に手持ち無沙汰である。

「なにか持ってくればよかったな」

 勇は膝を抱えながら呟いた。 

 部屋は行灯の明かりしかないから薄暗く、火鉢の炭火は穏やかな気持ちにさせる。ほんのりと暖かくて……。

「では、この話はまた後ほど……」

 酒井が言葉を切った。

 話は思うようにはまとまらない。長い話し合いになりそうだ。

 だが、今日はもう夜も更けた。

 ここらで引き上げるべきだろうと土方が立ち上がったときだった。

「勇。帰るぞ」

 声を掛けたが隣室からの反応がない。

 怪訝に思った二人が戸を開けたら目の前には膝を抱え、そこに頬を埋めた勇が眠っていた。

「……寝てやがる」

 呆れたように土方が呟く。

「よく寝ておるようですな。土方殿。今宵は勇君を留め置かれてはいかがですかな。明日には小者に送らせましょう」

 酒井の言葉に、

「いや、そのようなお手間は掛けられませぬ。気遣いは無用。私が連れて帰ります。なに、負ぶっていけばよいだけのこと」

 口元に苦笑を浮かべ土方が言う。

「どうやら雪も止んだ様子。月明かりがあれば足下の不安もありませぬゆえ」

 勇を負ぶった土方が酒井の元を辞して箱館の町を万屋へと戻る。

 きん、と張りつめた冷気が町を包む。白く積もった雪を踏みしめ時折背中の少女を揺すりあげながら歩く。  

雲の切れ間からの青白く光る月が道を照らしていた。

 背中に伝わる柔らな温もり。

 耳元に聞こえるすうすうという小さな寝息。

 首筋にかかる暖かな寝息。

 何となく穏やかな暖かい気持ちで歩いていた。

……そういや、ずいぶんとこんな感じは忘れていたな。

 京に上って以来、斬り合いの日々。戦い続けて誰かの暖かさを背中に感じることなど無かった。

 ふと、勇が身動きをしたので再び揺すりあげる。そうすると顔を首筋にすり寄せるようにくっつけてきた。その息に微かに花の甘い香りが混ざっている気がして。

……よく眠ってやがる。

 ふっと口元に笑みを浮かべて土方は歩いていた。

……一句、できそうだな。

 そう思いながら。



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