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振り返った先に居たのは、氷麗の天使ことクリストファだ。
最も、そんな呼び名の事等エリューシアは知りもしないし、たとえ知っていたところで、氷麗の天使どころか凶霊の悪魔とでも呼びかねない。
(公爵家の御令息が、何だってこんな所に居るのよ……まぁ、人通りは少ないけれど、少し行けば大通りに出る事もできる脇道だし、あまり自己主張してないだけでお店なんかもありそうだから、そこまで危険な通りではないのだろうけど…)
先日アーネストに連れて行って貰った警備隊の詰所も近くにある。
とは言え、少し奥に入り込めば壊れかけの家屋なんかもあり、実際そこに病気の子供が居た事も事実だから、貧民街やスラムと言う程ではないにしろ、少々警戒した方が良い場所だとは思うが。
ただ、あの一角は崩壊が目に付くだけでなく、妙に静まり返っていたのは気になる。
「護衛は? まさか一人なの?」
つい考えに耽ってしまって、クリストファが居ることを失念していた。
(ん~、これは確信してる? まさか…ね。だって特製のカツラと眼鏡で容姿はわからなくなってるし、黒いローブからも誰だが分かるとも思えない。
ちょっと声は洩れてしまったけど、人物特定に至れるほどではないはずよ……となれば、しれっと立ち去る事も不可能ではないかも)
貴方なんか知らないと言うように、大きく首を傾げながら距離を取る。
「まさか他人の振りが通用すると思ってる?」
「……………」
クリストファがククッと小さく笑ってから、スッと少しだけ屈みこみ、エリューシアが俯けて隠そうとしている顔を覗き込んできた。咄嗟に更に顔を俯かせて横に逸らす。
「妖精姫」
「!!」
「不思議だと思わない? 妖精姫じゃなく精霊姫って呼ぶ方が普通な気がするのに、どうしてあえて妖精姫なんだろうね?」
いったい何時何処に人物特定に至る要因があったのだろう……皆目見当がつかず、気持ちにどうにも焦りと言うか、不安の様なモノが混じり始める。
完全に気づかれてるようだが、だからと言って素直に白旗を上げたくはない。覗き込んでくるクリストファを躱し、横を通り抜けようとするが、あっさりと塞がれる。
「………」
「僕がレディをこんな場所に一人で放置するような奴に見える?」
そう問われるが、そこまでクリストファの為人を知ってるわけではない。温室で昼食時に会話をするようになったとはいえ、話す内容は精々課題や授業の事くらいで、個人的な何かを話した事はない。
「心外だな…まぁ君以外だったら放置するかもしれないけれどね」
何だか不穏な事を言っている気がするが、それよりもだ。
どうしても見逃してはくれないらしい。
これ以上押し問答を繰り返した所で、見逃してくれないのであれば全て無駄な努力に終わる。エリューシアは軽く両手を上げた。
「降参よ」
「ん、じゃあ大通りの方へ行こう。それほど奥まった場所ではないけど裏通りではあるからね」
大通りに出ても、子供の同居人に出会える可能性はほぼない以上、大通りに行く理由がエリューシアにはない。
「……そ、れは…だけど、貴方こそどうして? 貴方のような方が来る場所とも思えないのですけど」
誤魔化そうとか考えたわけではないけれど、つい気になって訊ねてしまった。
「僕のようなって……どんな印象を持たれてるのか不安になるよ」
妙に大人びた仕草でくすりと笑うクリストファの表情は、どことなく陰りを帯びて見えた。
「そうだね……用のついでに買い物してただけだよ」
「買い物って……そう、貴方の御家はこの近くだったのですね」
グラストン公爵邸に行った事もないし、調べた事もないので、まさかこの近くだと思わなかった。
「家って自邸っていう意味? それならここからは結構離れてるかな…僕は寮住まいだからね」
「……ぇ…」
これまで個人的な事は確かに話した事はなかったが、まさか公爵家の御令息が寮住まいだなんて思いもよらなかった。
「って、誤魔化そうとしてもダーメ。君はどうしてここに? 護衛もなしなんて危ないじゃないか」
その言葉、そっくりお返しすると言い放ちたいのは山々だが、クリストファに見逃す気も誤魔化されてくれる気もない事は明白だ。
「誤魔化すつもりなんてないわ……だって、誤魔化されてくれるつもりも何も、さらさらないでしょう?」
「そうだね」
「………ちょっと行きたい所があっただけなんです」
そう…行きたい所はあったが、予定変更せざるを得ないと思われる。エリューシアが一人でうろついている事は看破されている以上、何処に行こうとした所でガッツリくっついてくるつもりだろうから。
「そう、じゃあ僕が護衛について行く」
やはりと言うか何と言うか………。
彼の魔力量はかなりなものだと分かるが、まだ入学したばかりだし、何より魔法実技の授業は、先日のカリアンティとチャコットの騒動があった事で、まずは『基本からゆっくりと』という方針になってしまった。そのおかげで実力を知る機会がなく、戦闘力と言う点ではさっぱりだ。
剣技やら戦闘術の訓練なども当然まだないので、推し量る事さえも難しい。
エリューシアは自分の力量はある程度把握できていると思うが、そう言った理由でクリストファの力量が全くわからないし、それ以前に公爵家の御令息を危ない目にあわせる訳にはいかない。
いざとなったら自分が彼の護衛側にまわるのも吝かではないが、何もそんな危険を冒してまで『今日』に固執する必要もないだろう。あっさり日を改めれば良いだけの事だ……まぁ、子供の同居人の心痛を思うと、申し訳なさは募るが。
「お気持ちだけ…ありがとう。
また今度にするから帰ります。クリス……ぁっと、貴方はお買い物の途中だったかしら……お邪魔してしまってごめんなさい」
「流石にこんな路上で名を明らかにする訳にはいかないから、会話が不自由に感じるね。
あぁ、僕の買い物は終わってる」
そう言いながらクリストファは手に持っていた紙袋を軽く掲げた。
「そうだ、さっき僕が出てきたそこの扉の奥に雑貨屋があるんだ。品揃えも悪くないから、良ければ今度案内するよ」
ぶつかりそうになった場所でそのまま話していたので、クリストファが出てきた扉はすぐ傍に見えているのだが、彼の言う雑貨屋とはスヴァンダットの店の事だろうか…。出入り口は一箇所しかないと思っていた。
「もしかしてスヴァンダットさんのお店?」
「あれ、知ってるの?」
「先日、父に連れてきてもらったんです」
「そうだったんだ。じゃあ今度一緒に買い物に来よう」
買い物は兎も角、何故一緒に来なければならないのかと、その辺しっかり釘を刺しておこうと口を開いた所で足音が近づいてきた。
近づいてくる足音は、何故か大きくなったり小さくなったり止まったり……一定のリズムを刻まないそれに、危険性よりも、もしかすると何か……『誰か』かもしれないが、探しているかのような気配を感じて、つい2人して音の発生方向に顔を向ける。
―――ダダダ…タ…タタ……ダダダダダ
見つめる細道の奥から近づいてくる影は、頻繁に足を止めて辺りをキョロキョロと見回したりしている様子が窺える。
シルエットからは自分達よりも年が上の子供か、小柄な女性程度の身長体格である事しかわからない。
その人物も、大通りからちょっと逸れただけの場所に立っているエリューシア達に気付いたのか、一瞬足を止めた後、真っすぐに駆け寄ってきた。
念の為エリューシアが身構えると同時に、流れるようにクリストファが前に進み出て、その背にエリューシアを庇うように位置を変えた。
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