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入社して以降、仕事一筋で生きていた。
望んで仕事一筋になった訳ではなく、ただただ忙しく、気づけば仕事一筋にならざるを得なくなっていた。やっとの休日には出かける気力も体力もなくて、引き籠っていられるオタク趣味にいつしか染まり切っていた。
婚期も逃し、いつの間にかなっていた中間管理職。
丁度そんな頃だ…部下の女性たちが真珠深の悪口に花を咲かせていた。
お局様、喪女、よくもまぁそこまで口が回ると感心したが、仕事ができないくせにと言われていなかった事だけは幸いだった。とはいえ傷つかない訳ではない。
本当は大声で問いかけたかった。
何故そんな事を言うのか…
何故貶める事しかできないのか…
何故…何故………何故…………
だけど何処かで分かっていた。問うた所で納得できる答えなんて返ってこない。
プライベートで関わりがある訳じゃなく、関わるのは仕事の時間と場所でだけ。雑談もほとんどする暇もなく、したのは精々お昼のニュースで見た話題程度。だからこそだろう、悪口の内容は、仕事とは一切関係のないものばかりだった。
真珠深は真珠深なりに良い上司であろうと頑張ったし、気も遣っていた。それが見当違いだと言われれるなら、甘んじてその叱責は受けるが、良い関係になりたいと思っていたのは本当だ。
だからその頃嵌っていたゲームのアイシアに惹かれたのだろう。
間違えた事をしていないのなら、俯かずに前を向いていた彼女。
毅然と、悪い事は悪いと言い、良い事は良いと褒めることが出来る彼女。
自分自身を詭弁で誤魔化し、楽だからと流されたりすることのなかった彼女。
そうしてあの時頑張れた。
エリューシアの魂は、元々この世界のエリューシアだったと言う下地もあった事も確かだろうが、それでもアイシアは、真珠深だった頃にも間違いなくかけがえのない人だったのだ。
そんなアイシアの足枷になるなど真っ平御免である。
シナリオを踏みつけ、アイシアに降りかかる危険を排除した後だが、いずれエリューシアは一人になるだろう。
別に不幸を気取るつもりではなく、状況的にも自分にとってもそれが一番落ち着く形だと思うからだ。だからいつかやって来るその時の為に色々と備えておきたい。その備えが役に立つかどうかは、また別の話だが。
「エルル……時折とてもエルルが遠く、儚く感じてしまう…どうしてだろうね…」
「お父様…」
アーネストが片膝をついてエリューシアと目線を合わせる。
そのままぎゅっと抱きしめてくる父親に、エリューシアもそっと抱き締め返した。
「望むようにしなさい。だけど忘れないでくれるかな……私達は家族だ。一人で抱えないでほしい…いいね?」
「……はい」
そして翌早朝、アーネストとセシリアは領地へ戻って行った。ナタリア達メイドと騎士達も一部を残して父母に随行していった。
然程広くはなかったはずの借り上げ邸が、とてもがらんとして寒々しく感じる。
朝食を済ませ、学院へ向かうべく扉を出ようとしていたところで、エリューシアがネイサンの姿に気付き、慌てて駆け寄った。
「ネイサン、宿の方から何か連絡はない?」
借り上げ邸の執事として残ったネイサンに訊ねる。
「まだ何もございません」
「そう、じゃあこれ渡しておくわ。交代の人員が向かうときに持ってって」
きちんと宿に連れてきた子供の事を引き継いでくれているらしいネイサンに、自作のポーションを2本ほど手渡す。
肺炎にまで至っていたから、完治までは少しかかるかもしれない。
「承知しました」
「ごめんなさい、お仕事を増やしてしまって」
「問題ございませんよ。今日の担当はマニシアとモンテールと聞いていますので、後程渡しておきます」
「ありがとう、宜しくお願いね。それじゃ行ってきます」
いってらっしゃいませとネイサン達が見送ってくれるのに笑顔を返してから扉を閉めた。
今日はエリューシアにとって憂鬱な一日となる予定だ。
それと言うのも、本日1限目の授業内容がダンスだからである。当然のように各家で教練は積んでいるだろうが、学院でもしっかりその授業があるのだ。
精霊防御と精霊カウンターがあるせいで、ダンス授業は免除してもらえるのだが、だからと言ってその時間を別の何かに充てる事は許可されていない。つまり見学していないといけないのだ。
本を読むくらいは許されると良いなと思いながら教室の扉を開ける。
「おはよう」
「おはようございます」
「お、おはよーご、ざ、イマス!」
「「「おはようございます」」」
最近はシャニーヌ以外に、バナンとポクルもエリューシア達より先に教室に居ることが多い。
「やっぱり高位の御令嬢方は落ち着いてるなぁ…」
「そうだね」
何の話だろうと首を傾げていると、椅子に座ったまま身体を捩っていたバナンが困ったように鼻先を掻いている。
「ほら、今日の授業ってダンスだろ? 俺苦手なんだよね」
納得したようにオルガがあぁと小さく漏らす。
「自分も……苦手と言うよりダンスなんてした事ないよ」
「あ、あたしも! 家に居たら毎日なんかかんかと手伝いで、寝る前くらいしか時間なかったもん」
「はは、わかる。自分ン所もそう」
ポクルとシャニーヌの会話にバナンが目を見開いた。
「それって実話? 盛ってない?」
「ナイナイ。正真正銘実話だってば」
「そうなんだよね。あれこれやってるうちに気付いたらもう夜で」
「夜になると灯りも早く消さないといけないから、余計なんだよね。そんなんだからダンスとかまでなんて無理ぃ~」
バナンは伯爵家の令息だったと思うが、シャニーヌ、ポクルのどちらとも、既に仲良しの様だ。
しかしこの話題は下手につつけない。灯りの心配など公爵家にはないから、一歩間違えば盛大な自慢にしかならないのだ。
こうなったら話題を変えるしかない。
「そう言えばダンスの教師って何方か聞いてらっしゃいます?」
エリューシアが問えばバナンが首を傾けた。
「そういえば聞いてないね。誰なんだろ」
「入学してから初のダンス授業だから、わかんないね」
「それらしい方を見かけた記憶がないのです」
どうやら話題の変更には成功したようだ。
「それらしいって、そういうのって見たらわかるモンなの?」
馴染んだバナンやポクルが居るおかげか、シャニーヌもどもることなく饒舌だ。
「こうダンスの得意な方って歩き方とか違いそうな……そんな気がしません? 服装なんかも」
ブハッとバナンが盛大に吹き出して笑う。
「あーー、それ、わかる! こうすっごくカッコつけてそう」
扉が開く音と共に、涼やかな声が割り込んできた。
「おはよう、何だか朝から楽しそうだね。カッコつけてるとか何とか聞こえたんだけど、何の話?」
本日もアイシアとは別口で麗しいクリストファが入ってきたのだ。当然のように後ろにはマークリスとフラネアが居る。
「おはよう」
「お、おはヨー、ゴザイマス!」
「「「「おはようございます」」」」
笑いすぎて涙が出ていたのか、目元を拭いながらバナンが返事をする。
「あぁ、ダンスの先生って誰だろうって話してたんだけどさ、エリューシア様が笑かしてくれちゃって」
エリューシア的には話題を変えたかっただけで、笑わせるつもりは欠片もない。
「ダンスの得意な人って歩き方とか服装が違いそうって」
「あぁ、言われれば確かに。歩き方に限らず所作が綺麗な印象があるね」
「それで俺がなんかカッコつけてそうだよねって話してたんだよ」
ずらりと並んだ高位貴族の子息子女に、シャニーヌが思い出したように頭を抱えた。
「ああ~~やっぱりオロってるのってアタシだけじゃない? 皆落ち着いてるし、もう、どうしよ~」
唐突なシャニーヌの様子に後から入ってきた3人には訳が分からず、マークリスが思わず訊ねる。
「何? 何かあった?」
「あぁ、シャニーヌさんとポクル君はダンスをした事がないって話でさ」
クリストファとマークリスが微妙な表情で視線を泳がせていると、後ろで大人しくしていたはずのフラネアが呟いた。
「なんて恥知らずなの」
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