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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
抗争之章
93/404

敗残の兵は語る 其之弐

話を沖田総司の追跡行ついせきこうに戻そう。


「どこへ行ってた?」

沖田が引き返して尾行に追いつくと、粕谷新五郎かすやしんごろう非難ひなんめいた口調でたずねた。

「すみません。知り合いに会ったので屯所とんしょに伝言を」

「今は殿内を追うことに集中しろ」

四十もなかばを迎えようという粕谷は、親と子ほども歳のちがう沖田の気のゆるみをいましめた。

「ええ、もう大丈夫」

―阿部は、たしか壬生村の屯所を知っていたはずだ。

沖田は運良く顔見知りに言伝ことづてを頼めたことで、一つ胸のつかえを降ろした。



殿内義雄は、四条通りを東にれ、まもなく烏丸からすま通りを横切ろうとしている。

「橋を渡る気だ。このまま東海道に出るつもりかも」

沖田はいよいよ「その時」が迫っていることを肌で感じていた。

人通りの多い四条通に入ってから、二人は八間はっけん程度(約15m)の距離をたもって後をつけている。


目釘めくぎ(刀の刃の抜け止め)はあらためてきただろうな」

粕谷は殿内の背中を見失わないよう注意しながら、沖田にも心の準備をうながした。

「イヤだな。子ども扱いはやめてくださいよ」

沖田は少しムッとして言い返した。

「沖田くん、奴が四条大橋を渡ったら機会を見計みはからって私がいく。君からは手を出すな」

「ふうん。手柄てがらを独り占めしようってわけですか?せっかく数ではこっちが有利なのに?」

おどける沖田に、粕谷はさとすような口調で応えた。

「汚れ仕事など、私ひとりで充分だという意味さ。君では、まだ若すぎる」

「冗談でしょ?一対一じゃ五分ごぶだ。あなたのとしだって、死ぬにはまだ早い」

粕谷は何やら思いつめた表情で沖田の顔を見て、すぐまた前方に向きなおると、ほとんど聞き取れないほどの声でつぶやいた。

「そうじゃない。私は死ぬべき時をいっしたのだ」


沖田は、その言葉を頭の中で一度 反芻はんすうした。

「… 変ですよ、粕谷さん。だって、まるで死にたがってるように聴こえる」


「…水戸の長岡勢ながおかぜいというのを聞いたことは?」

殿内との距離を詰めるため、少し歩調ほちょうを早めた粕谷は、また例の調子で唐突とうとつたずねた。

沖田は黙って首を横に振り、遅れまいと歩幅ほはばを広げた。

「今でいう尊皇攘夷そんのうじょうい派のハシリだ。私はその一員だった」

「そりゃまた今になって、おどろきの告白ですね」

沖田は目を丸くした。

「…五年前、まだ私が水戸藩士だったころの話だ。孝明こうめい帝より水戸に密勅みっちょくが下った」

殿内との距離は少しずつ詰まってくる。

沖田は、こんな時にいったい何の話を始めるつもりだと不審ふしんに思ったが、粕谷はかまわず先を続ける。

「われわれ藩士はいろめきたったよ。わかるか?幕府にではなく、わが主、水戸徳川家に直接、帝から勅旨ちょくしが下されたのだからな」


この秘密の書簡しょかんが、いわゆる「戊午ぼご密勅みっちょく」である。


粕谷の言葉に、わずかだがほこらしさのようなものがにじんだ。

しかし、沖田が興味をそそられたのは、その内容だった。

「なんの密勅みっちょくです」

「簡単にいえば、勝手に外国と通商条約をむすんだ徳川幕府を糾弾(きゅうだん)し、諸藩しょはんと協力して攘夷決行じょういけっこうを説得せよというものだった」

「そりゃ意気いきにも感じますよね。むかしっから水戸は、とりわけみかどうやま気風きふうが強いと言いますから」

粕谷の口元が、なぜか自嘲的じちょうてきゆがんだ。

「だが浮かれていられたのもつかの間さ。幕府は、いや、大老たいろう井伊直弼いいなおすけは、この事実をつきとめると密勅みっちょくにかかわった者を次々処断し、それを朝廷に返納へんのうせよと迫ってきた」


殿内義雄は、河原町を行き交う人ごみを横切り、なおも鴨川かもがわ方面へ向かっている。

粕谷は器用な身のこなしで行き交う人々を避けて、ジワジワと差をつめていく。


「それって、ひょっとして例の疑獄ぎごく事件の話ですか」

沖田は粕谷に追いすがりながらたずねた。

「そう。『安政あんせい大獄たいごく』と呼ばれる大粛清だいしゅくせい発端ほったんだ。…追い詰められた藩内の意見は割れた。幕府への服従ふくじゅうとなえる者、そして、みかどのご意思を完遂かんすいせよと叫ぶ者」

「粕谷さんは…」

「もちろん後者だ。そして、意思をつらぬくため水戸を脱藩だっぱんした」


ふいに殿内義雄が立ち止まって、脇へ入る路地ろじを見ている。

今夜、酒席しゅせきをもうける先斗町ぽんとちょうの方だ。

追う二人は、不自然にならないように立ち話を装った。

「わたしには理解出来ないなあ。なにせ、まつりごとにはうとくて」

「武芸者というのは、それくらいの方がいいのかもしれんな…。その翌年、朝廷は手のひらを返したように、密勅みっちょく返納へんのうを水戸にもとめてきた。つまり私は、二階に上がったとたん、ハシゴを外されたわけだ」


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