敗残の兵は語る 其之弐
話を沖田総司の追跡行に戻そう。
「どこへ行ってた?」
沖田が引き返して尾行に追いつくと、粕谷新五郎は非難めいた口調で訊ねた。
「すみません。知り合いに会ったので屯所に伝言を」
「今は殿内を追うことに集中しろ」
四十も半ばを迎えようという粕谷は、親と子ほども歳のちがう沖田の気の緩みを戒めた。
「ええ、もう大丈夫」
―阿部は、たしか壬生村の屯所を知っていたはずだ。
沖田は運良く顔見知りに言伝を頼めたことで、一つ胸のつかえを降ろした。
殿内義雄は、四条通りを東に折れ、まもなく烏丸通りを横切ろうとしている。
「橋を渡る気だ。このまま東海道に出るつもりかも」
沖田はいよいよ「その時」が迫っていることを肌で感じていた。
人通りの多い四条通に入ってから、二人は八間程度(約15m)の距離を保って後をつけている。
「目釘(刀の刃の抜け止め)は改めてきただろうな」
粕谷は殿内の背中を見失わないよう注意しながら、沖田にも心の準備を促した。
「イヤだな。子ども扱いはやめてくださいよ」
沖田は少しムッとして言い返した。
「沖田くん、奴が四条大橋を渡ったら機会を見計らって私がいく。君からは手を出すな」
「ふうん。手柄を独り占めしようって訳ですか?せっかく数ではこっちが有利なのに?」
おどける沖田に、粕谷は諭すような口調で応えた。
「汚れ仕事など、私ひとりで充分だという意味さ。君では、まだ若すぎる」
「冗談でしょ?一対一じゃ五分だ。あなたの歳だって、死ぬにはまだ早い」
粕谷は何やら思いつめた表情で沖田の顔を見て、すぐまた前方に向きなおると、ほとんど聞き取れないほどの声で呟いた。
「そうじゃない。私は死ぬべき時を逸したのだ」
沖田は、その言葉を頭の中で一度 反芻した。
「… 変ですよ、粕谷さん。だって、まるで死にたがってるように聴こえる」
「…水戸の長岡勢というのを聞いたことは?」
殿内との距離を詰めるため、少し歩調を早めた粕谷は、また例の調子で唐突に訊ねた。
沖田は黙って首を横に振り、遅れまいと歩幅を広げた。
「今でいう尊皇攘夷派のハシリだ。私はその一員だった」
「そりゃまた今になって、おどろきの告白ですね」
沖田は目を丸くした。
「…五年前、まだ私が水戸藩士だったころの話だ。孝明帝より水戸に密勅が下った」
殿内との距離は少しずつ詰まってくる。
沖田は、こんな時にいったい何の話を始めるつもりだと不審に思ったが、粕谷はかまわず先を続ける。
「われわれ藩士は色めきたったよ。わかるか?幕府にではなく、わが主、水戸徳川家に直接、帝から勅旨が下されたのだからな」
この秘密の書簡が、いわゆる「戊午の密勅」である。
粕谷の言葉に、わずかだが誇らしさのようなものが滲んだ。
しかし、沖田が興味をそそられたのは、その内容だった。
「なんの密勅です」
「簡単にいえば、勝手に外国と通商条約を結んだ徳川幕府を糾弾し、諸藩と協力して攘夷決行を説得せよというものだった」
「そりゃ意気にも感じますよね。むかしっから水戸は、とりわけ帝を敬う気風が強いと言いますから」
粕谷の口元が、なぜか自嘲的に歪んだ。
「だが浮かれていられたのも束の間さ。幕府は、いや、大老井伊直弼は、この事実をつきとめると密勅にかかわった者を次々処断し、それを朝廷に返納せよと迫ってきた」
殿内義雄は、河原町を行き交う人ごみを横切り、なおも鴨川方面へ向かっている。
粕谷は器用な身のこなしで行き交う人々を避けて、ジワジワと差をつめていく。
「それって、ひょっとして例の疑獄事件の話ですか」
沖田は粕谷に追いすがりながらたずねた。
「そう。『安政の大獄』と呼ばれる大粛清の発端だ。…追い詰められた藩内の意見は割れた。幕府への服従を唱える者、そして、帝のご意思を完遂せよと叫ぶ者」
「粕谷さんは…」
「もちろん後者だ。そして、意思を貫くため水戸を脱藩した」
ふいに殿内義雄が立ち止まって、脇へ入る路地を見ている。
今夜、酒席をもうける先斗町の方だ。
追う二人は、不自然にならないように立ち話を装った。
「わたしには理解出来ないなあ。なにせ、政には疎くて」
「武芸者というのは、それくらいの方がいいのかもしれんな…。その翌年、朝廷は手のひらを返したように、密勅の返納を水戸にもとめてきた。つまり私は、二階に上がったとたん、ハシゴを外されたわけだ」




