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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
抗争之章
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トライアングル 後篇

翌朝、日の出前―


沖田総司は、さる屋敷の門から出入りする人間を、斜向はすむかいにある納屋なや物陰ものかげからじっと見張っていた。

昨夜の土方との密会を思い出しながら。



「おまえは、明日の朝一番で粕谷かすやと一緒にここを出て、中村小藤太なかむらことうたって郷士ごうしの家に泊まってる殿内を張り込め」


八木家のはなれの裏手で沖田が任務を了承すると、土方歳三はじつに簡潔かんけつに必要なことのみを指示した。

「粕谷さんというと、あの水戸の?」

「ああ。最近芹沢とツルむようになった、あのおっさんだ」

「いや、待ってよ。つまり、その粕谷さんと協力して殿内を斬れってことですよね?『張り込め』ってどういう意味?」

沖田は少し混乱して、さぐりを入れた。

「殿内の後をつけて、ちょっとでも怪しい素振そぶりがあれば、その場で斬れって意味だ」

返事はない。

「例の話し合いはまだなんでしょ?」

「ちっ、お前まであのカタブツと同じことを言うつもりかよ」

土方は昼間の近藤を思い出して、ウンザリしたように顔をしかめる。


「殿内は明日の午後、壬生狂言を鑑賞かんしょうして、そのあと先斗町ぽんとちょうの料亭で俺たちと会食することになってる。斬るのはその話し合いが不調ふちょうに終わった場合の手段だ。が、その前になにか感づいて逃げるかもしれん」

「なるほどね、禍根かこんを残すなってことか」

「話し合いの前だろうが後だろうが、どのみち結果は同じなんだ。早いか遅いかの違いだろ?」

土方の合理主義も行き過ぎだが、派閥はばつおさたちの顔ぶれを思い浮かべれば、沖田もうなずくしかない。

「ところで、今夜のうちに逃げちゃうなんてことはないでしょうね?」

「芹沢んとこの佐伯とかいう腰巾着こしぎんちゃくが、今も屋敷を見張ってる」

土方は気に入らなかったが、新見錦の計画に抜かりはなかった。


「いいか?しくじんなよ。芹沢たちに借りを作りたくねえからお前を行かせるんだ」

粕谷新五郎が名乗りをあげたときから、土方はこのことを決めていたに違いなかった。



陽が昇り、中村小藤太の屋敷の前では、使用人が門の前をき始めた。

沖田はボンヤリとその様子をながめながら独りごちた。

「…やれやれ、頼りにしてもらってありがたいね」

気のない言葉とは裏腹うらはらに、その声音はかすかにうわずっている。


粕谷新五郎は沖田の緊張を感じ取ったのか、その顔をのぞきこむようにたずねた。

「沖田くん、人を斬ったことは?」

夜通し番をしていた佐伯と交代してから、粕谷が初めて発した言葉だった。


沖田はしばらくのあいだ、粕谷の顔をじっと見たあと、

「ないですね」

と短く答えた。

しかし粕谷はその返答について、何も意見を持たないかのように押し黙っている。

沖田は口をへの字に曲げて肩をすくめた。

「でも、なんにだって最初はある。…ところで本当に逃げる気ですかね?」

「誰が」

粕谷は門の方を見つめたまま、無愛想ぶあいそうに問い返した。

「決まってるじゃないですか。殿内ですよ!」

「さあね。君はどうなんだ?」

「え?」

沖田は、この唐突とうとつな質問の意味を理解しかねた。

どうも、この粕谷という男には調子が狂う。


四十過ぎの妙に押し出しのいた人物だが、それもそのはずで、浪士組上洛(じょうらく)時は「道中取締手附どうちゅうとりしまりてつけ」、つまりあの芹沢鴨と同格の扱いだった(もっとも問題ばかりおこす芹沢はすぐに外されたが)。

見るからに古風な剣客けんかくといった風情ふぜいで、そもそも水戸出身という以外、およそ芹沢のような無法者と共通点は見いだせない。

どこか身体をこわしているらしく、その体調不良が、京に残って芹沢たちと行動を共にすることになった本当の理由ではないかと原田たちはうわさしていた。


その粕谷が沖田のいぶかるような表情を見て、同じ質問を、形を変えて繰り返した。

「どういうこころざしをもって浪士組に参加したのかは知らんが、少なくとも同志をつけ狙って闇討やみうちするためじゃあるまい。こんな仕事は投げ出して逃げたくはならないのか」


沖田は、ようやく粕谷の言いたかったことが飲み込めたが、彼自身納得のいく答えを持っていなかった。


「…いい気はしない。けど、逃げるつもりもありません」

その口元には、あきらめにも似た微笑が浮かんでいる。



この日、京を離れ伊勢神宮に至った根岸友山以下その門徒たちは、参拝を終えると、あんじょうそのまま東へ向かい、浪士組を離れてしまった。

これにより殿内、家里らは、ほぼ孤立無援こりつむえんの状態になってしまった。

もちろん、この段階で殿内たちがその事実を知るはずもないが、根岸が伊勢参りを言い出したときには、すでにそれが離隊りたいの口実であることに薄々感づいていたのだろう。


そして土方の予想通り、二人はこの事実が芹沢や近藤らに露見ろけんする前に隊の実権を取り戻そうと動きはじめていた。


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