月命日 其之弐
竹筒を花でいっぱいにすると、沖田は雪を抱いたまま少し身を引いて、その出来栄えに感嘆した。
「見てみな?こんなに綺麗になった。きっとお父さんも喜んでる」
雪はその言葉でようやく泣きやんだ。
だが沖田は、ふと顔をしかめて、
「ん?お父さんのお墓…でいいんですよね?」
と、秩に確認した。
「ええ。月命日なんです」
秩は、やっと少しだけ微笑んだ。
期せずして二人が同時に見やった御影石の墓石には「石井行蔵」と刻まれている。
「いしいよしぞう、と読むんですか?」
「ええ」
「わたしも手を合わせて行っていいですかね」
雪を降ろしてやりながら、沖田が尋ねた。
「いえ、でもそんな」
「減るもんじゃなし」
沖田がかまわず膝を折って手を合わせると、雪がぴったりと寄り添ってその仕草を真似た。
秩は二人の後ろ姿を見下ろしながら眉を曇らせ、独り言のように呟いた。
「…もう私たちには関わるのはやめてください」
沖田は立ち上がると、ゆっくりと秩を振り返った。
「あなたはともかく、お雪ちゃんと遊ぶのはわたしの勝手だ」
「なぜそんなにこの子を気にかけて下さるんですか?」
「わたしが見るとき、お雪ちゃんはいつも一人ぼっちですよ。子供の頃に親がそばにいない心細さはわたしにも覚えがある」
「でも、これ以上お雪が貴方に懐いて、それで…」
秩はその先を口にするのを躊躇ったが、沖田は黙って続きを待った。
遠くでふざけあう子供たちの嬌声が聞こえる。
「…それである日、あなたに何かあって、突然いなくなったら?この子はもっと傷つきます」
「そんな。」
沖田は心外だという風に鼻で笑った。
しかし、天才と呼ばれた彼も、見た目は線の細い青年に過ぎない。
少なくとも秩はそう見ていた。
「ごめんなさい。でも、浪士組は危険なお役目だと伺っています。あなた方と付き合うというのは、そういうことでしょう?」
沖田には、返す言葉がなかった。
―刀を持って追いかけたり追いかけ廻されたり…先ほどの阿部の言葉が頭をよぎる。
ただ、浪士組のお役目の話など、いったい誰から聞かされたのだろうと訝った。
「お願いです。お雪は父親のとき、一度そういう経験しているんです。もう同じ思いはさせたくないの」
「ご主人もそうした亡くなり方をされた?」
沖田の口調が急に鋭くなったので、秩は少しひるむ様子をみせた。
「わ、わかりません」
「わからない?」
秩は言うべきかどうか迷っていたが、沖田がずっと目をそらさないのを見て観念した。
「主人が亡くなって来月でちょうど一年になります。けど、実際は去年の今頃から行方が知れなくなって、それきりです」
「行方不明?どこかで客死されたってことですか。だって、今日が月命日なんでしょう?」
「日付は、人づてに聞かされただけなんです。ですから、ここに主人は眠っていません。あるのは墓標だけ」
「それはどういう…」
「これ以上は話したくありません」
秩の美しい目には、断固たる拒絶の意思が現れている。
「わからないな。なぜそこまで我々を毛嫌い…」
「夫は長州の人間です。沖田さんたちの仇敵だわ」
秩は厳しい口調で言って、雪を抱き寄せた。
沖田は茫然と立ちつくしたのち、ようやく言葉をしぼり出した。
「でも…でも、こんな小さい子に一人で留守番させとくのは、やはり可愛そうですよ。じゃあ、せめてあなたが勤めている診療所に連れて行ってあげたらどうです?」
すると、こんどは秩が答えに窮したように口ごもった。
「ええ、でも…」
「そうですよね。職場に連れてっちゃ不味いよな」
沖田は地面に落ちていたシャクナゲを一振り拾い上げながら、自分に納得させるように言って、二人に背をむけた。
そして、肩越しに振り返ると、去り際にポツリと漏らした。
「長州の人が全部敵ってわけじゃない。ほんと言うと私はそういうの、よく分からないんですよ」
石井秩は、沖田の寂しげな背中を、憂い顔で見送った。
雪はションボリとうつむいて、秩の手を握っていた。
すっかり消沈した沖田が、為三郎を探して本堂の方に歩いていくと、なにやらキョロキョロと落ち着かない佐伯又三郎と出くわした。
「ええクソ!新見のバカ、話が長いんだよ!」
佐伯は珍しくイライラした様子で、
猫背ぎみの背中をさらに丸めて、忙しなく右足を踏みならしている。
いつまで経ってもこちらに気づかないようなので、沖田の方から近づいて声をかけた。
「佐伯さん。こんなところでなにやってるんです?」
佐伯はハッと振り返って、一瞬蒼い顔をみせたが、すぐにいつもの卑屈な愛想笑いを取り戻した。
「えと…ああ、そや!さっき、佐々木只三郎先生が、訪ねて来はりましたで?ほんで、沖田はんを呼びに来たんですわ」
沖田は面白くなさそうに舌打ちした。
「ちぇっ、今さらお小言かな」
「え?」
「いや、こっちのこと。こないだ、ちょっとしくじっちゃいましてね」
沖田はそう言うと、手にしていた石楠花の花を有無もいわせず佐伯に押し付けて、八木家の方に歩いていった。
しかし沖田の予想を裏切り、佐々木只三郎がもたらしたのは、京都残留を決めた浪士たちが、会津藩お預かりとして正式に認められたという朗報だったのである。




