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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
暗雲之章
396/404

あぐりの桃 其之肆

「ふう…」

浪士組局長、近藤勇は、自室の縁側えんがわでプカリとキセルを吹かした。


例によって部屋に上がり込んでいた副長土方歳三は、八木源之丞に借り受けた絵入えいぼんを眺めながらゴロゴロしている。

彼は、ちゅうに浮かぶ煙の輪から近藤へと視線を流した。

「なあんだよ?えねえつらだな。二日酔い?」

ちげえよ。大樹公たいじゅこう(徳川家茂)がホントに帰っちまうんだぞ?」

昨日、近藤たちは、同郷の井上松五郎(源三郎の兄)の送別会を開いた。

将軍家茂(いえもち)江戸帰還えどきかんが本決まりになって、警護けいごのために上京していた松五郎ら八王子千人同心はちおうじせんにんどうしんも京を引きげることになったからだ。


セミが鳴いている。

空は抜けるように青く、それが余計に近藤の気分を滅入めいらせた。

土方は、たもとまんでパタパタとあおいだ。

「…しかし、あっちいな…。んで、あんたはどうしたいんだよ?」

「どうしたいって何が?」

近藤が不機嫌ふきげんに問い返す。

「ひょっとして、あんたも江戸が恋しくなったとか?」

「バカ言え。来た時とは事情が違う。大樹公たいじゅこうが戻って来ないからって、今さら勝手は出来ん。おまえも言ったろ?容保かたもり公のおおせに従うまでさ」

「らしくねえな。浪士組がどうあるべきとか、そんな道理どうりじゃなく、俺が聞きたいのは、近藤勇、あんたがどうしたいのかさ」

「俺は…!」

「おっと待った!また建白書けんぱくしょを出すとか、書生しょせいじみた悪あがきは勘弁カンベンしてくれよ?会津さんからのお小言こごとはもう沢山たくさんだ」

「しかし、攘夷派じょういはの動きもいよいよ活発化して、ここからが正念場しょうねんばだってのに…」

近藤は苛立イラだまぎれにキセルの先を煙草盆タバコぼんに打ち付けた。


そのとき、ふすまがスッと開いた。

「ふたりとも、外まで声がれてますよ」

入ってきたのは沖田総司である。

「おう、総司」

「これ、あぐりちゃんから」

近藤は、沖田が差し出したざるのぞいて、切れ長の目を小さく見開いた。

「桃か。美味うまそうだな。井戸で冷やそう」

沖田は、それにはこたえず、親指おやゆびで八木家の方をした。

筆頭局長ひっとうきょくちょうがお呼びだってさ」

「…やれやれ。なんだろう?」

近藤が腰を浮かせると、沖田は手のひらを突き出した。

「じゃなくて。土方副長に御用ごようだそうですよ」


土方の口元にかすかな笑みが浮かび、そしてムクリと起き上がった。

「そういうことなら、用件とやらは、おおよそさっしがつくぜ?」



梅は部屋に戻ると、とこを背にして例のごとく酒をあおる芹沢の前に仁王立におうだちした。


「せんせ、若い果実かじつはお好きどすか?」

芹沢は、梅の吊りあがった目尻めじりを見て、佐伯がしくじったことをさとった。

「いったいなんの話だ?」

空とぼける芹沢の上唇うわくちびるをつねりあげて、梅は手にした桃を優雅ゆうがに差し出した。

「これや。おぼこむすめ色目いろめ使つこて、えろうおさかんなことどすなあ?」

ほんなんひゃはい(そんなんじゃない)!」

「鼻の下がびてる。一軍いちぐんしょうらしゅう、小娘こむすめひとりくらい、自分で口説くどかはったらどないえ?あんな三下さんした使つこて言い寄るやなんて品のないやり口や」

あかっは(わかった)あかっは(わかった)!」



とそこへ副長土方歳三がやってきた。

この暑さに芹沢の部屋の障子しょうじは開け放たれている。

「お呼びですか」

一声かけると、土方は返事も待たずにズカズカ入ってきて、

部屋のすみに座る平間重助、女房にょうぼう気取りで芹沢のかたわらにはべる梅に、ジロリときびしい視線をくれ、けん制した。


「お取込み中でしたか」

「かまわねえよ。まあ、座れや」

芹沢は土方に感謝する日が来るとは夢にも思わなかったと安堵あんどしながら、つとめて鷹揚おうように正面の座布団ざぶとんアゴで示した。

土方は、指定された場所に胡坐あぐらをかくと、にこやかに社交辞令しゃこうじれいを並べたてた。

「いやぁ、京の夏は暑い。そういえば、先日京相撲(きょうずもう)の親方から川遊びに招待しょうたいされましてね。大坂での舟遊ひなあそびは中途半端に終わったそうじゃないですか。どうです?仕切しきり直しってことで、水面みなもに映る月を見ながら一杯なんてのは?」

「せんせはおいそがしいさかい、手短てみじかに」

梅から皮肉の混じった茶々(ちゃちゃ)が入った。

芹沢はにがい顔で、またさかずきを干した。

「大坂の次は京相撲きょうずもうねえ…。近藤先生は興業こうぎょうの世界で名前を売り出すつもりかい?」

「資金集めの一環いっかんですよ。あくまで合法的な、ね」

もう一切いっさい揶揄やゆこすりに耳を貸すまいと決めた芹沢は、ただ口のはしをわずかに吊り上げた。

「…なるほどな。どうだ、お前も一杯?」

「いえ、結構けっこう。どうも無駄話ムダばなしで余計なお時間を取らせてしまいました。して、御用向ごようむきは?」

「ああ、例の法度はっとの件だが」

芹沢はわきにあった草案そうあんを手に取り、剣を突き付けるように差し出した。

「いいぜ、認めてやろう。とおりにでもなんでも張り出すがいい」

土方は、仰々(ぎょうぎょう)しく丸めた法度はっとを受け取りながら、

(もちろん、この内容なら建前上たてまえじょう認めぬわけにはゆくまい)

とほくそ笑んでいる。

平間重助は、した土方のおもてに、小さくゆがむ口元を見逃さなかった。

「まて、せめて新見さんが帰ってくるまで結論は・・・」

軽々しく挑発に乗るいさめようとしたが、芹沢はそれをもさえぎった。

「だがな。小賢こざかしいほうで、俺をぎょする気でいるなら、そいつは思い違いってやつだぜ?」

土方はわざとらしく目をいてみせた。

「まさかそんな!これは無軌道むきどうな新入りをりっするための…」

「おためごかしはよせ。あの、阿部って新入りにたすねてみるがいい。天狗党てんぐとうの頃、俺がどうやって兵卒へいそつどもをたばねたかを、な」

すると土方は、開き直るように不敵ふてきな笑みを浮かべた。

「おっと…おどかさないで下さいよ。とにかく、法度はっとの件は、近いうち隊士たちにも知らせます。それでは失礼」

言うが早いか、気まぐれな局長が前言をひるがす前に、部屋を出て行った。


平間は、なかばヤケクソ気味ぎみに、三度、手を打ち鳴らした。

「ふん!実にあざやかな去りぎわじゃないか」


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