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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
暗雲之章
392/404

不倶戴天の敵 其之伍

「ほんなら、失礼します」

ゆうが野口と連れ立って部屋を出てゆくと、近藤は渋い顔で茶をすすった。

「なぁんか勝手が違うなあ」

沖田は小さく首を振り、

「…彼女にとっては、近藤さんも初対面なんですよ…で、」

と、土方をかえりみた。

「さっき、二人でなにコソコソしゃべってたんです?」

やはり、さきほどのゆうのセリフは聴こえなかったらしい。


土方は、深刻しんこく面持おももちで沖田の視線を受け止めた。

「誰か、おゆう間者かんじゃのことをらしたか」

あれはまるで、その正体しょうたいを知っているかのような口ぶりだった。

沖田は予想していなかった返事に思わずキョトンとした。

「いえ。なんで?」

「いや…まさかな。野口あたりがウッカリ口をすべらせたのを小耳こみみはさんだだけかも」



佐伯又三郎は、八木家の台所にヒョッコリ顔を出すと、意外そうにまな板の前に立つ琴の背中に声をかけた。

「おっと、くすのきはん、お早いお帰りで」

琴は首だけをめぐらせてジロリと佐伯をにらんだ。

「なにか?」

「いや、八百藤やおふじむすめさんを見掛みかけんかったか?」

「…あなたが八百屋やおやなんかに何の用だ?」

「フン、あんたにはかかわりのないこっちゃ」

それもそうだ、と琴はまな板に向き直った。

「あの子なら、ずいぶん前に帰ったよ」

「ちっ」

遅かったか、

佐伯は舌打したうちしたあとで、芹沢から与えられたもうひとつの任務を思い出して、態度をあらためた。

「そや。あんたとも色々経緯いきさつはあったが、これからは同じかまめしを食う仲になったわけやし、どうや?今夜あたり、先斗町ぽんとちょうで一杯?」

ふところに入り込めば監視かんし容易たやすかろう、という魂胆こんたんで、島原では屯所とんしょに近すぎて、人目ひとめにつくという訳だ。

飯炊めしたきは手伝うが、わたしはひとりで食事をるのが習慣なんだ。先斗町ぽんとちょう以外の場所でね。このかまの飯なら、どうぞご自由に」

琴としては、これ以上(わずら)わしい男どもに付きまとわれるのはウンザリだった。

いきなりはなされた佐伯はムッとして、思わずにくまれ口をたたいた。

「ふん。新入りのオカマとは仲良しのくせに、ずいぶんツレないやないけ」


突然、ドンと音がして、佐伯は前のめりに倒れた。


「そのオカマは、いずれあなたの上役うわやくになるかもしれないから、口のき方には気をつけなさい」

佐伯は強かに打ったひたいを抑えながら、憎々しげに振り返った。

そこには、「新入りのオカマ」と揶揄やゆされた武田観柳斎が立っていた。


佐伯は、今にも刀を抜きそうな勢いでその顔をにらみつけたが、背後に楠小十郎(琴)が立っていることを思い出すと、何とか怒りをおさえ込んで、

「武田、とかうたなあ?あんた、入隊早々(にゅうたいそうそう)あっちこっちでうらみをうとるみたいやから、気ぃつけえ」

それだけ捨て台詞ぜりふを残すと、ドスドス床をみ鳴らして去っていった。


武田は、その背中を見送ると、何事もなかったように琴に振り向き、

「ねえコレ、みてみて」

と、何かを書き付けた紙をヒラヒラと振ってみせた。

「なに?例の推薦状すいせんじょう?」

「そうよ~。やっとよ~。苦労したんだから」

武田によれば、

権中納言(ごんちゅうなごん)徳大寺実則とくだいじ さねつねに仕える滋賀右馬允しがうまのじょうという者に顔をつないでもらって、

京都所司代きょうとしょしだい稲葉正邦いなばまさくにの家臣から推挙すいきょを取り付けたという。

「貸して」

琴は、その書状を手繰たくって、目を通したが、

文字を追うごとに、眉間みけんのしわが深くなっていった。

武田の入隊は既定路線きていろせんで、この書類審査しょるいしんさも形式的なものに過ぎなかったから、あれこれ疑いをはさまれる心配はないのかもしれないが、それにしても実に怪しげな点が散見さんけんされる。


まず、徳大寺実則とくだいじ さねつねというのは、強硬きょうこう攘夷論者じょういろんしゃとして知られた公卿くぎょうで、

なぜそんな人物の部下と交際をもったのか。

そもそも、その男が、なぜ敵方てきがたである会津(京都守護職きょうとしゅごしょく)への口利くちききを了承したのか。

色々と邪推じゃすいまねきかねない内容である。


それに、淀藩主よどはんしゅ稲葉正邦いなばまさくには、この同じ月に、前任者が突然とつぜん投げ出した京都所司代きょうとしょしだいの職を押し付けられたばかりのはずだった。


「これ…」

琴はけわしい表情のまま書状を折りたたみ、武田につき返した。

武田は、それをヒョイと取り上げると、人差ひとさゆびを口の前に立てた。

「なにも聞かないで。知らぬが仏っていうでしょ?これでも使えそうな伝手つては全部使ったの」

実際、それらの疑惑ぎわくはなにひとつ吟味ぎんみされることなく、予定通り入隊は許可されるだろう。

その淀藩士よどはんしとやらも、引継ひきつぎ業務のドサクサのうちに推薦状すいせんじょうを書かされたのかもしれない。

しかし。

推薦状こんなものを残して、そのうちあなたの命取りにならなきゃいいけど」

「心配性ねえ。少しは喜んでくれると思ってたのに。その辛気臭しんきくさい顔、どうにかなんないワケ?」

「わたしの顔のこと、どうこう言われたく…」

琴が反論しかけたとき、

この世の終わりのような「顔」をした野口健司が勝手口の前を横切っていって、

少し遅れて、言い争う二人をかき分けるようにゆうが台所へ入ってきた。

武田は、しばらく野口の背中を目で追ってから、ゆうたずねた。

「彼、なにかあったの?」

「ええ。まあ、ちょっと…」

ゆうは言葉をにごしながら、襷掛たすきがけをはじめた。

「…え?だってあれ、ついさっき浮かれながらあんたの手を引いてったバカでしょ?」

どう答えたものかと思案しあんするゆうに、琴は「楠小十郎くすのきこじゅうろう」として助け船を出した。

「おおかた、土方さんあたりにクギを刺されたんだろ?これから隊規たいきを引き締めようってときに、貴女あなたが沖田さんや野口さんと仲良くなりすぎるのは好ましくない。そんなところじゃないのか」

武田はゴシップの匂いに目をかがやかせた。

「あら、かわいそ。で?あなたはどっちが好きなの?」

「うちは別に…」

ゆうはまた口ごもって、乱暴らんぼうに井戸の釣瓶桶つるべおけを引っ張り上げた。

琴は、さりげなくそれに手を貸しながら、忠告した。

「きっと土方さんの言葉に他意たいはない。気にするな」

ゆうはしばらく琴の顔をじっと見つめてから、

「おおきに。うち、ちょっと外に水をいてきます」

と逃げるようにして出て行ってしまった。


武田観柳斎は、ゆうが離れるのを待って、琴のそでを引っ張った。

「若い彼女にはお気の毒さまね」

「どうかしら。理由は別として、私もそれが彼女のためだと思う」

「あら、ずいぶん訳知(わけし)ふうじゃない?そういえば、あの子、なにか思い出した?」

「…いいえ、なにも。少なくとも本人はそう言ってる」

あの日、“本物の”楠小十郎と祐のあいだで、なにが起きて、なぜ喧嘩トラブルに発展したのか。

楠が長州の桂小五郎と繋がっていた事実を考え併せれば、

あるいは、ゆうは何か知っているかもしれない。

琴にはそういった疑念が拭い切れず、おそらく土方や武田も同じことを考えているはずだった。

「あなた、本当にこの屋敷のどこかに間者かんじゃがいるって思う?」

「たぶんね」

「ま、だとしたら、いつ布団ふとんごと串刺クシざしにされるか知れたもんじゃなし、おちおちチチクリあってらんないわよね」

琴は刺すような眼で武田をにらんだ。

「ひょっとして、面白がってるの?」

「まさか。誰かが寝首(ねくび)()かれたとしても、それがわたしの首じゃなきゃ別段(べつだん)気にしないけど、隊内に長州の間者(かんじゃ)(まぎ)れてるなんて(うわさ)が外にれれば、会津は益々(ますます)私たちに重要な情報を知らせまいとするでしょう?わたしの仕事がやり(づら)くなるのは願い下げよ。けど、もう手遅(ておく)れかもね」

確かに、と琴はしぶい顔をした。

「ダメもとで、黒谷(会津の本陣ほんじん)の知り合いにカマをかけてみるね」


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