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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
暗雲之章
389/404

不倶戴天の敵 其之弐

「なあんだよ?」

面倒臭めんどうくさそうにこたえる芹沢に、佐伯は膝這ひざばいでにじり寄ってきて、耳打ちした。

「…例の八百屋の娘、いま勝手の方に来とります」

「ほう…」

芹沢は親指で上唇うわくちびるをなぞりながら、ニヤリと笑った。


「イケズやわあ、佐伯はん。なんや、うちに聞かれとない相談どすか?」

かんのいい梅が、チクリと嫌味いやみを言った。

「いえいえ、仕事の話ですがな」

「ここんとこ、出張やなんやでバタバタしてたから、大事な用件を忘れてたぜ」

芹沢が調子を合わせると、佐伯は例のびた口調で、その意をけ負った。

「ほんなら、あの話、そろそろ進めさせていただきます」



一方、行商に来た「八百藤やおふじの娘」はというと、

照りつける日差しの中、開け放った勝手口の扉の前で、じっと立ちくしていた。


「どないしたん、あぐりちゃん?早よ、お入りやす」

八木家の妻、マサが妙に思って手招てまねきすると、あぐりは人差し指で天をした

「いえ、勝手口のツバメ、もう巣立ってもうたんやなあおもて」

「ちょっと前まで、そこらへん飛び回ってましたんどすけどなあ」

「…そっかあ」

あぐりは、残念そうに項垂うなだれた。

「そないガッカリせんかて。また、来年も帰って来ますわ」

雅が可笑おかしそうに彼女のかたを叩くと、

あぐりは、急にパッと表情を明るくした。

「そう言うたら、聞きました。おゆうちゃん!帰ってくるんですね?」


仲の良かったあぐりは、恋人の隊士、佐々木愛次郎から、ゆうの身に起きた不運な出来事と、その後の経緯を逐一ちくいち聞かされていた。


「あれ、耳の早いこと。今、野口はんと沖田はんがむかえに行ってますわ」

「よかった!」

「けど、ここのとこ容態は安定したもんの、まだ記憶きおくが戻れへんのどす…」

雅はカゴの中の茄子なすを手に取りながら、物憂ものうげにうつむいた。




場面は変わって、壬生村、浜崎診療所。


野口健司が診療室にけ込むと、退院の支度したくを済ませたゆうが、しゃんと背筋せすじを伸ばして座っていた。

そのそばには、医者の浜崎新三郎と助手の石井秩いしいいちが付き添っている。


「おゆうちゃん、もう動いて大丈夫なの?」

「あ、野口はん。ええ、おおきに。おかげさんで」

ゆうは、野口の勢いに気圧けおされて、戸惑とまどいがちに応えた。

「で?なにか思い出した?」

野口の後ろから沖田が声をける。

「それが…」

「わたしのことも分からない?」

「うちのこと、診療所につれて来てくれた沖田はんでしょ?そやけど、ここで目がめる以前のことは、まだ…」

今のおゆうは二人の名を言えるが、それはあくまで意識を取り戻した後の知識に過ぎない。

「それは困ったなあ」

その場に立ち会っていた浜崎新三郎は、いたずらに不安をあおるまいと、努めてにこやかに助言じょげんした。

「ま、こうした場合、徐々に思い出すこともあるから。あせらずにね」



野口がゆうの手を取りながら、意気揚々(いきようよう)と診療所の門を出ていく。

その後に続く沖田のそでを、いちが引いた。

「なにか?」

少しおどろいて振り返った沖田に、いちは、せんじ薬を手渡した。

「これ。おゆうちゃんに、朝晩あさばん飲ませるようにって」

「分かりました」

いちは、沖田が薬包やくほうそでに仕舞うのを見ながら、しばらく躊躇ちゅうちょしたのち、覚悟を決めたように切り出した。

「こんなこと言えた義理ぎりではないんですけど、近頃ちかごろは、隊士の方も増えられたでしょう?失礼ですが、おゆうちゃんみたいな若い娘さんを置いて、大丈夫でしょうか」

「ああ…」

沖田は少し考えてから、

「いや、ご心配は分かります。おゆうちゃんは、近藤さんや山南さんのいる、前川邸の方で寝泊ねとまりさせるよう手配しますよ」

うなずいて見せた。

「差し出た口をいて、ごめんなさい。でも、おゆうちゃんのこと、よろしくお願いします」

いちが頭を下げると、沖田はにっこり微笑ほほえんだ。

「ありがと」


沖田は、先に行った二人の後を追いながら、真っ青な夏の空を見上げた。

「とは言ったものの…なあ」



土方歳三は、中沢琴を伴って屯所とんしょに帰ると、文机ふみづくえに置いてあった紙を引っつかみ、その足で縁側えんがわに回った。


芹沢鴨が、相変わらず梅にしゃくをさせながら、平間重助となにやら話し込んでいる。


「芹沢先生、ちょっといいですか」

土方が、声を掛けると、芹沢はあかがおで振り向いた。

「お前が用事なんてめずらしいな」


「ほら、大坂行きの前に入った“例の”新しい隊士を紹介しとこうと思ってね」

土方は琴の肩をつかんで、自分の前に押しやった。

ほろ酔いの芹沢は、その顔を見るなり、上機嫌じょうきげんで両手を拡げた。

「よう。急に大坂に出かけることになったんで、ゆっくり挨拶あいさつもできなかったが、歓迎かんげいするぜ」


「どうも」

琴は例によって不愛想ぶあいそうに頭を下げた。

「名前は?」

楠小十郎くすのきこじゅうろうだ」

土方が割って入り、本人に代わって答える。

「そうじゃねえ。本当の名前だよ」

凄腕すごうでの剣士を、水戸派にむかえ入れたい芹沢と、あくまで試衛館一派に抱き込んでおくつもりの土方。

視線が火花を散らす。

「…知る必要が?」

刺すような視線で、土方が返した。


「お花みたいに綺麗キレイなお侍さんどすなあ。沖田はんと比べても見劣みおとりせんわ」

梅が、わざと二人の腰をくだくような感想を述べて、可笑しそうに笑った。


下らない勢力争いに興味のない琴は、淡々とした表情で、“男”として使い慣れた偽名ぎめいを名乗った。

「中沢九郎。六番組にいた中沢良之助の弟です」


「なるほど…おまえさん、あの生きのいい利根の若造わかぞうの兄弟か」

芹沢があごでた。

「ええ。しかし、当分の間、みなの前では楠小十郎と…」

「んなこたあ、分かってるよ。おまえのことは、俺が面倒めんどうみてやるから心配すんな」


すると、どこからか阿部十郎がしゃしゃり出てきて、琴のかたを抱き寄せた。

「そうはいかねえぜ。こいつは俺の相棒あいぼうでな。常にニコイチなんだよ」

琴と、土方は、二人そろって迷惑そうに顔をしかめた。


芹沢も、眉間みけんに寄せたしわを中指で抑える。

「おまえ…誰だっけ?」


「阿部だよ!」


芹沢は、徳利とっくりの口を持って、酒の残りを確かめるように振ってみせた。

「ちぇ、冗談だよ。つーか、なんでお前さんがここにいるんだ?」

「だから言ったろ。俺たちは相棒あいぼうなの!」

阿部はさらにきつく琴を抱き寄せる。


「そうかよ。ま、またよろしく頼むぜ。今度は途中でケツまくんなよ」


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