好奇心は猫を殺す 其之伍
琴は、武田をキッと見返した。
「心外ね、軍師さん。私のこと毒婦だって言うなら、否定はしないけど、妲己みたいなやり方は流儀じゃない。山南さんの力をあてにしなくても、言うべきことは自分で言える」
武田は、琴の答えに、満足げに微笑んだ。
「気に入ったわ、中沢琴。で?これからどうする気?」
「あいつの口約束なんか信じてないけど、こんな下世話な話を、近藤さんの耳に入れるまでもないでしょ。今度女衒の真似事をしたら、約束通り私が始末をつける」
「あんたがそう言うなら、任せるわ」
武田があまりにあっさりと認めたので、琴は少し驚いた。
「意外な答えね」
「別に。あの男が相応の罰を受けるべきだって意見には、あたしも賛成。それだけのことよ」
武田は軽い調子で応えた。
琴は小さく頭を振る。
「貴方は分かってない。奴が身体を鬻ぐよう強要したのは、実の息子なのよ」
武田は表情を歪ませて、口元を押さえた。
「おお、汚らわしい。けど、あの可愛らしい坊やも、自分の選択に責任を負うべき歳頃よ。あなたは、この一件を、業突爺と囚われの美少年て構図で捉えてるようだけど、案外、そう単純な話じゃないかもね」
琴は眉を顰めた。
「どういう意味?」
「あの子も、それなりに楽しんでたんじゃないかってことよ。ていうか、まず、間違いないわね」
武田は馬詰柳太郎に同族の匂いを嗅ぎとったようだ。
「でも沖田さんは、柳太郎のこと女垂らしで、村の娘を何人も…」
「じゃあ、両刀遣いってことかしら。上前をハネる親父と手を切って、これからは女を食い物にしていくことに決めたのかもね」
琴は、そう言われて初めて、この出来事を別の面から見返してみた。
「“好きでもない”男に身体を弄られるのは我慢できない」
柳太郎は、確かにそう言っていた。
沖田から聞いた、これまでの柳太郎の行状を考え併せれば、武田の推論もあり得ない話ではない。
「…分かってなかったのは、私の方ってこと?」
「蛙の子は蛙ってことよ…あたしの見るところ、息子の方が一枚上手だけどね。オエエ、ごめんなさい。自分で言ってて気持ち悪くなってきたわ」
琴は、この武田観柳斎という男に対する評価を改めつつあった。
確かに彼は、軍師に相応しい鋭い洞察力を持っているのかもしれない。
そこへもう一人の「美少年」馬越三郎が顔を出した。
「あら、三ちゃん。どうしたの?」
武田が愛想よく尋ねると、馬越は珍しく厳しい表情で、琴を睨んだ。
「武田先生こそ、台所でどうされたんです?幹部の方が、特定の隊士と親しくされるのは、あまり好ましくないんじゃないですか」
「あら、嬉しいわ。ひょっとして、それってヤキモチ?でも心配しないで。ほら、この子にご飯を食べさせてるだけだから」
武田はニッコリ笑って、膝の上のクロを指差した。
「ふうん」
馬越は土間に下りて、琴の隣に立った。
「なにか、手伝うことは?」
「もうないよ。ここは狭いから、奥さんが帰ってきたら、君がいちゃ邪魔になる」
琴の素っ気ない態度に、馬越はムッとして。
「まさか、二人きりになって武田先生を誘惑する気かい?」
と、琴を挑発した。
琴はただ、大きなため息でそれに応えた。
もうウンザリだ。
「武田先生、私から楠くんに乗り換える気なら、気を付けた方がいいですよ。彼は、山南先生にも色目を使ってるんだから」
なおもしつこく絡もうとする馬越に、武田はピシャリと言った。
「あら、そうなの?でも男の嫉妬はみっともないわよ、三ちゃん。より美しいものに目移りするのは、人間の性なんだから、諦めることね」
馬越は、みるみる顔を真っ赤にして、
「…きっと、後悔しますよ」
捨て台詞を吐き、足を踏み鳴らして出て行った。
「ギニャ!」
頭に血が上った馬越はクロの尻尾を踏みつけたことなど、気づきもしない。
まったく、今日は厄日だ!
琴とクロ(ネコ)は、揃って自らの不運を呪った。
「あんたたち、おんなじ顔してるわよ」
武田は二人の顔を見比べながら、かぼちゃの煮っころがしをつまみ食いした。
さて、この後、馬詰親子は、さらなる厄介な事態を引き起こす。
彼らの悪行について、口を閉ざした中沢琴の選択は、結局、誤りだった。
そして、武田観柳斎も、自分が厄介な相手を敵に回したことに、まだ気づいていなかった。
―クロの冒険 完―
※妲己:古代中国で、殷の紂王に取り入って悪政を敷かせた美女。中国では悪女の代名詞とされる。




