好奇心は猫を殺す 其之肆
「…」
信十郎は、その心の隙に付け込む術に長じている。
「おやめなさい。私から息子を買った中には、この隊の者もいる。それだけじゃない。会津藩士、二条城の旗本、禁裏の青侍だってそうだ。皆が切腹とまではいかなくとも、何人が後ろ指を指されることになるか考えてごらんなさい。なにも好き好んで禁忌に触れることもありますまい」
こんな若輩者を言いくるめることなど造作もないと、高を括っている。
「そんなに…」
琴は、この下劣な男に、心底吐き気を覚えた。
「倅は、体力も胆力もからきしですが、つまり美童というのは、それくらい値打ちのあるものなんですよ。貴方も、まだお若いうちに自分の価値に気づくべきだ。あの、馬越三郎殿のようにね」
琴は、信十郎の襟首を直接締めあげた。
「本来、私には関わりのないことだ。だが、お前がこれからも不浄な商売に手を染めるつもりなら、息子や子守女のことなど、どうなろうと構わん。すぐにでも、その首を切り落とす」
「そ、そうですか、分かりました。そういうことなら、今日からは、せいぜいお勤めに励みましょう」
信十郎の言葉には、誠実さも、切迫感も感じられない。
琴の脅しをハッタリだと思ってるのか、意にも介していないようだ。
琴は信十郎を突き飛ばすと、手近にあった薪割りの斧を掴み、
大の字になった男の股の間に思い切り打ちおろした。
「ひ、ひいぃぃいい!」
信十郎は、まるで道化役者のように、情けない悲鳴を上げた。
「…どうやら、分かっていないようだな。この貧相な脚の一本も切り落とせば、私が本気だと信じてもらえるのか?」
琴の剣幕に、クロは弾かれたように飛び上がり、板塀の下をすり抜けて壬生寺の方に逃げていった。
「わ、わかった。言う通りにする」
信十郎はガタガタと震えながら約束した。
「ふん」
琴は、踵を返すと、信十郎をそのまま置き去りに、早足で台所へ戻り、バシャバシャと手を洗った。
まるで汚物にでも触れた気分だった。
さて、クロは壬生寺の境内を横切って、本堂の脇まで来ると、ようやく息をついた。
ほんと、気の短いご主人だ。
しかし、今日は、なんて日だろう!
朝からろくに寝かせてもらえない。
まったく、ツイてないこと、この上ない。
しかし、クロは参道脇の低木の陰で、面白い玩具を見つけた。
小さな木彫りの馬だ。
しかも、角まで生えている!
クロは、しばらくその玩具に夢中になった。
手で弾いて追いかけたり、
噛んでみたりと、
一頻り独り遊びをして、そろそろお腹が空いてくる時間帯になると、お気に入りの玩具を咥えて家に帰ることにした。
短気なご主人も、さすがに落ち着いた頃だろう。
クロは「ユニコーンの根付」を縁の下にある自分だけの秘密基地に隠してから、台所へ向かった。
さて、その台所では。
「ほな、主人にもお祐ちゃんのこと、頼んできますわ」
八木雅が、楠(琴)に煮物の鍋を任せて、青蓮院から帰って来た夫を玄関まで出迎えに行った。
琴が、菜箸でかぼちゃを転がしていると、また武田がやってきて、上り框にストンと腰を下ろした。
「ちょっと、あなた。この子になにか食べさせてあげてくれない?」
振り返ると、武田の腕にはクロが抱かれている。
「そこに出汁がらの煮干しがあるでしょ」
琴は菜箸で流しの脇にある笊を指した。
「その様子だと、あの爺さんの毒気に当てられたみたいね」
武田は、煮干しをつまみながら、琴の不機嫌な顔を見て笑った。
「チッ」
琴は思わず舌打ちした。
「おやめなさい。女の子が半端ない」
武田は羽毛扇で琴の肩をピシリと打って、その振る舞いを嗜めた。
「…馬詰信十郎、あいつはクズよ」
琴は、武田の顔を見ようともせずに吐き捨てた。
「…知ってるわ。若い隊士に身体を売らせてる」
「貴方は、何とも思わないの?」
責めるような眼で武田を睨むと、
「あら、他人のこと言えた義理?あなただって山南と寝て、隊内の政治に口を出すつもりじゃないのかしら?」
武田は膝の上で無心に煮干しをかじるクロを撫でながら、意地の悪い笑みを浮かべた。




