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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
黒猫之章
382/404

留守中の出来事 其之参

「中沢琴」


武田はそれを聞いて、少しの間なにか考え込んだ。

「ふうん、中沢…あたしね、ここで人を探してるの。あなた、中沢良之助って若いサムライを知らない?」

突然、弟の名が出て、琴はまたおどろいた。

「どうして?弟よ」

「『どうして?なんで?どうして?』…それってバカみたいだから、ちょっと言葉を選びなさい」

「弟に何の用だって聞いてる」

「正確に言えば、用があるのは弟じゃなくて。弟の佩刀はいとうの方よ」

カタナ?」

「そう。知らない?彼の刀は、無銘むめいだけど、当代とうだい名匠めいしょう雲州うんしゅう高橋長信たかはしながのぶが、天之尾羽張アメノオハバリして打ったものって言われてるのよ。人呼んで『天沼雫(てんしょうだ)』。どんな硬い岩も、まるで溶けたように斬れるから、いつしか天沼の鉾(あまぬまのほこ)からしたたしずくに例えられるようになったとか」

「…へえ」

琴は皮をきながら生返事なまへんじをしたが、それは多分、自分の持っている刀のことだと直感ちょっかんした。

亡き父からゆずり受けたもので、琴自身も、神話にまつわる刀のわれは今初めて聞かされたが、それが特別なものであることは漠然ばくぜんと感じていたからだ。


「…まあ、アレよね?マユツバよね?岩が斬れる云々を本気にしたワケじゃないんだけど、あたしさ、その刀の行方ゆくえがずっと気になってて、見たことがあるってうわさ辿たどっていくうちに、その中沢っておさむらいに行きついたの」

おそらく、江戸から京にのぼった浪士組の中に、その価値を知る者がいて、何処どこぞの数寄者すきしゃに語った話が、誤って伝わったものらしい。

「それを見つけてどうするつもり?」

琴は警戒けいかいしながらいた。

「別にどうも…ただの道楽どうらく。そういうキレイなものにかれるの。その刀紋はもんは、まるで雲海うんかいみたいにゆらゆらと波打って見えるそうよ。てか、そうなんでしょ?」

「知らない」

琴はなく応えた。

「まあ、勿体もったいない!雲州うんしゅうはあたしの国許くにもとで、その刀とは同郷どうきょうなのに、これまで見る機会を得なかったのよねえ」

「弟なら、清河八郎と一緒に江戸へ帰ったわ」

さりげなく言って、角切りになったかぼちゃを(ざる)に戻す。

もう男言葉を使うのはやめてしまった。

「やぁだ残念!じゃ入れ違いってこと?是非ぜひ見せてもらいたかったわあ…」

「また京に戻ってくるって、山南さんには、そう言ってたそうよ」

琴は武田の答えを額面がくめん通りには受け取る気になれず、普段自分が腰に差しているのが「それ」だとは、口に出せなかった。

「じゃあ、此処ここで待ってれば、いずれ会えるかしら…あら、ごめんなさい、長話ながばなししちゃって。手伝いましょうか?」

「けっこうよ」

琴は申し出を断って、米を炊いているかまどまきを足した。


武田のふところでウトウトしていたクロが、ふと何かに反応して、入口を振り返った。

するとそこへ、馬詰信十郎がひょっこり顔を出した。

彼はもともと、事務方じむかたの能力を期待されて入隊したが、結局使い物にならず、今では隊士たちの使い走りのようなことをやっている。

「武田先生、ちょっとご相談が…」

「ほら、お呼びよ」

琴は、武田を追い払う口実こうじつができて、ほっとした。

「先生をお借りします」

信十郎は、琴に軽く会釈えしゃくして、武田と台所を後にした。

その時、信十郎が自分を見た意味ありげな目つきに、琴は妙な引っかかりをおぼえた。



馬詰信十郎は、人気ひとけのない中の間に武田〔とクロ〕を連れ込むと、おずおずと切り出した。

「先生、お気を悪くなされないで、聞いてほしいのですが…」

「なに?用があるなら、さっさと言いなさい」

不躾ぶしつけながら、先生は、衆道しゅどうちぎりをどのようにお考えでしょうか?」


衆道しゅどうとは、いわゆる「男色ホモセクシャル」に、主従しゅじゅうの精神的な結びつきや、心の在り様(ありよう)などの精神論を持ち込んだ、武士社会における同性愛の心得こころえのようなもので、明治期にキリスト教の倫理観りんりかんが入ってくるまでは、わが国ではそれなりの市民権を得ていた思想であるという。


唐突とうとつに自らのセクシュアリティを問われた武田は、信十郎を値踏ねぶみする様にながめ、しぶい顔をした。

「…悪いけど、ジジイ趣味しゅみはないのよ」

信十郎はあわてて武田のすそにすがって、言い訳した。

「あ、いや、しばらく。誤解なさらないで頂きたい。私が申しておりますのは、あくまで一般論でして、つまり、美童びどうでるのは、高邁こうまいな精神の発露はつろだと申し上げたいのです」


武田は、もともと衆道しゅどうなどという衒学げんがくめいた理論武装へりくつには懐疑かいぎ的で、信十郎の胡散臭うさんくさ口上こうじょう警戒けいかいした。


「なに?あんた、ひょっとして、あたしのお金で陰間かげま茶屋にでも遊びにいきたいわけ?」

「め、滅相めっそうもございません。実は、先生と、ちぎりを結びたいと申しておる若い隊士がおりまして、その仲立なかだちを…」

武田はますますうたがわしに目を細めた。

「それが本当だとして、なんで、その子が直接言いに来ないのかしら?」

「彼は、先生のお人柄に心底()れ込んでおりまして、ちぎりを交わし、命をして先生にくすという至誠しせいを示したいと考えておるのですが、それがぞくっぽい煩悩ぼんのう誤解ごかいされることを恐れて、自分から言い出せないのです」

武田は、片方のまゆをピクピクと動かして、信十郎に詰め寄った。

「よおくお聞き。あたしはね、色欲しきよくに精神性なんか求めたりしないの。つまりね、端的たんてきに言うと、好みの子じゃないとイヤなワケ。それに、こんなおじいちゃんの口利くちききなんて、お~、やだやだ!キモチ悪い!」

「きも…」

信十郎は武田の剣幕けんまくにすっかり圧倒あっとうされている。

遣り手婆(やりてババア)みてえな、下らない副業をやってるヒマがあったら、さっさと仕事に戻んなさい!このクソジジイ!」


武田の一喝(いっかつ)おどろいたクロは、うでから飛び出して外に逃げて行った。

「まったく。唯一ゆいいつ使えそうなのが、女だけなんて!悪い夢でも見てる気分ね」

武田はため息をついた。


さて、玄関げんかんの飛び石で一息ついたクロは考えた。

(仕方ない、昼ご飯の時間まで村を巡回じゅんかいするか)


―クロの冒険 後編へつづく―


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