留守中の出来事 其之参
「中沢琴」
武田はそれを聞いて、少しの間なにか考え込んだ。
「ふうん、中沢…あたしね、ここで人を探してるの。あなた、中沢良之助って若い侍を知らない?」
突然、弟の名が出て、琴はまた驚いた。
「どうして?弟よ」
「『どうして?なんで?どうして?』…それってバカみたいだから、ちょっと言葉を選びなさい」
「弟に何の用だって聞いてる」
「正確に言えば、用があるのは弟じゃなくて。弟の佩刀の方よ」
「刀?」
「そう。知らない?彼の刀は、無銘だけど、当代の名匠、雲州の高橋長信が、天之尾羽張を模して打ったものって言われてるのよ。人呼んで『天沼雫』。どんな硬い岩も、まるで溶けたように斬れるから、いつしか天沼の鉾から滴る雫に例えられるようになったとか」
「…へえ」
琴は皮を剥きながら生返事をしたが、それは多分、自分の持っている刀のことだと直感した。
亡き父から譲り受けたもので、琴自身も、神話にまつわる刀の謂われは今初めて聞かされたが、それが特別なものであることは漠然と感じていたからだ。
「…まあ、アレよね?マユツバよね?岩が斬れる云々を本気にしたワケじゃないんだけど、あたしさ、その刀の行方がずっと気になってて、見たことがあるって噂を辿っていくうちに、その中沢ってお侍に行きついたの」
おそらく、江戸から京に上った浪士組の中に、その価値を知る者がいて、何処ぞの数寄者に語った話が、誤って伝わったものらしい。
「それを見つけてどうするつもり?」
琴は警戒しながら訊いた。
「別にどうも…ただの道楽。そういうキレイなものに惹かれるの。その刀紋は、まるで雲海みたいにゆらゆらと波打って見えるそうよ。てか、そうなんでしょ?」
「知らない」
琴は素っ気なく応えた。
「まあ、勿体ない!雲州はあたしの国許で、その刀とは同郷なのに、これまで見る機会を得なかったのよねえ」
「弟なら、清河八郎と一緒に江戸へ帰ったわ」
さりげなく言って、角切りになったかぼちゃを笊に戻す。
もう男言葉を使うのはやめてしまった。
「やぁだ残念!じゃ入れ違いってこと?是非見せてもらいたかったわあ…」
「また京に戻ってくるって、山南さんには、そう言ってたそうよ」
琴は武田の答えを額面通りには受け取る気になれず、普段自分が腰に差しているのが「それ」だとは、口に出せなかった。
「じゃあ、此処で待ってれば、いずれ会えるかしら…あら、ごめんなさい、長話しちゃって。手伝いましょうか?」
「けっこうよ」
琴は申し出を断って、米を炊いている竈に薪を足した。
武田の懐でウトウトしていたクロが、ふと何かに反応して、入口を振り返った。
するとそこへ、馬詰信十郎がひょっこり顔を出した。
彼はもともと、事務方の能力を期待されて入隊したが、結局使い物にならず、今では隊士たちの使い走りのようなことをやっている。
「武田先生、ちょっとご相談が…」
「ほら、お呼びよ」
琴は、武田を追い払う口実ができて、ほっとした。
「先生をお借りします」
信十郎は、琴に軽く会釈して、武田と台所を後にした。
その時、信十郎が自分を見た意味ありげな目つきに、琴は妙な引っかかりを覚えた。
馬詰信十郎は、人気のない中の間に武田〔とクロ〕を連れ込むと、おずおずと切り出した。
「先生、お気を悪くなされないで、聞いてほしいのですが…」
「なに?用があるなら、さっさと言いなさい」
「不躾ながら、先生は、衆道の契りをどのようにお考えでしょうか?」
衆道とは、いわゆる「男色」に、主従の精神的な結びつきや、心の在り様などの精神論を持ち込んだ、武士社会における同性愛の心得のようなもので、明治期にキリスト教の倫理観が入ってくるまでは、わが国ではそれなりの市民権を得ていた思想であるという。
唐突に自らのセクシュアリティを問われた武田は、信十郎を値踏みする様に眺め、渋い顔をした。
「…悪いけど、ジジイ趣味はないのよ」
信十郎は慌てて武田の裾にすがって、言い訳した。
「あ、いや、しばらく。誤解なさらないで頂きたい。私が申しておりますのは、あくまで一般論でして、つまり、美童を愛でるのは、高邁な精神の発露だと申し上げたいのです」
武田は、もともと衆道などという衒学めいた理論武装には懐疑的で、信十郎の胡散臭い口上に警戒した。
「なに?あんた、ひょっとして、あたしのお金で陰間茶屋にでも遊びにいきたいわけ?」
「め、滅相もございません。実は、先生と、契りを結びたいと申しておる若い隊士がおりまして、その仲立ちを…」
武田はますます疑わし気に目を細めた。
「それが本当だとして、なんで、その子が直接言いに来ないのかしら?」
「彼は、先生のお人柄に心底惚れ込んでおりまして、契りを交わし、命を賭して先生に尽くすという至誠を示したいと考えておるのですが、それが俗っぽい煩悩と誤解されることを恐れて、自分から言い出せないのです」
武田は、片方の眉をピクピクと動かして、信十郎に詰め寄った。
「よおくお聞き。あたしはね、色欲に精神性なんか求めたりしないの。つまりね、端的に言うと、好みの子じゃないとイヤなワケ。それに、こんなお爺ちゃんの口利きなんて、お~、やだやだ!キモチ悪い!」
「きも…」
信十郎は武田の剣幕にすっかり圧倒されている。
「遣り手婆みてえな、下らない副業をやってる暇があったら、さっさと仕事に戻んなさい!このクソジジイ!」
武田の一喝に驚いたクロは、腕から飛び出して外に逃げて行った。
「まったく。唯一使えそうなのが、女だけなんて!悪い夢でも見てる気分ね」
武田はため息をついた。
さて、玄関の飛び石で一息ついたクロは考えた。
(仕方ない、昼ご飯の時間まで村を巡回するか)
―クロの冒険 後編へつづく―




