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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
黒猫之章
380/404

留守中の出来事 其之壱

さて、浪士組三度目の下坂げはんについては、前項で簡単にその顛末てんまつを述べたので、ここでは彼らの留守中に屯所とんしょで起きた出来事について、子猫のクロの眼を借りて語りたいと思う。


クロは、すっかりこの八木邸と壬生村での生活に馴染なじんでいた。


なにせ、おもだった幹部かんぶは、将軍のおともみないなくなったため、その間、八木家は至極しごく平和であった。

局長代理の谷右京老人は、終日ひねもす家主やぬしの八木源之丞、年配の隊士馬詰信十郎と縁側えんがわで茶飲み話などして時間をつぶしているし、まさに猫好ネコごのみの状況である。


なので、実質的なトップは新入りの武田観柳斎ということになるが、彼もまた、日中は周旋しゅうせん活動で不在のことが多く、そもそもまだ正式な隊士とさえ呼べない立場だったので、クロの見るところ、屯所とんしょ内の規律きりつは、ずいぶんと締まりのない状態だった。


その朝。


庭先にわさきには、いつものさわがしい若者たちの姿もなく、源之丞の息子の秀二郎が、ただひとり師匠ししょう斎藤一の言いつけを守って、千本の素振すぶりをやっている。


「しかし、ご子息しそくは日に日にたくましくなっておられますなあ」

谷右京老人が、母屋おもや縁側えんがわで茶をすすりながら、その様子をめると、

「なんの、まだまだどす」

源之丞は、まんざらでもない様子で頭をいた。


クロは、機嫌きげんのよさそうな源之丞のひざに乗って、ひと眠りすることにした。


「おたくの、あー、ほら、柳太郎くんの様子はどうです?」

谷老人が、もうひとりの茶飲み友達に話を振ると、初老しょろうの新入隊士、馬詰信十郎は、気まずそうに言葉をにごした。

「いやあ、せがれは…」

信十郎の「せがれ」に話が及んだ途端とたん、源之丞も表情をくもらせた。

村では、彼が南部なんぶ家の子守こもりに手を出したなどといううわさが以前からささやかれていたからだ。

「あれだけの美男だと、若い女子おなごも放っておかんでしょうからねえ。いや、稽古けいこに身を入れようにも、まず誘惑ゆうわくを断ち切るのが大変なんだなあ。私にもね、若い頃、おぼえがありますよ」

谷老人は、悪気わるぎなく繊細せんさいな話題にれてしまった。

源之丞と信十郎は、それぞれ思うところあって、複雑な愛想笑あいそわらいを浮かべるしかなかったが、谷はそれに気を良くして、さらに続けた。

「まあまあ、彼もね、いずれモノになるでしょう、うん。例えばね、近ごろ入ったくすのきくんや馬越まごしくんなんて子たちはね、柳太郎くん同様の美童びどうだが、あれでなかなかの腕前うでまえですからな」

「そのような方もおられますか?」

信十郎が、なにやら興味深きょうみぶかげにたずねると、

「おられますよー。おられますとも。うふふふ」

谷は楽観的らっかんてきに笑った。

「ほな、ちょっと青蓮院しょうれんいんまで出かけますよって」

居心地の悪くなった源之丞が席を立った拍子ひょうしに、クロはひざから転げ落ちた。


朝寝あさねのあてが外れたクロが、仕方なく板張いたばりの床でりょうをとろうと表玄関までやってくると、

「ねえ、小十郎」

その馬越まごし三郎という隊士が、楠小十郎くすのきこじゅうろうこと中沢琴に声を掛けていた。

馬越は、ほぼ同期ということもあって、琴にずいぶん気易きやすい口をく。

彼はまだ、年のころ十六くらいの少年で、おそらく琴を同年代の若者だと思っているふしもあった。


「きみは、幹部かんぶの人たちと親しそうだけど、どういう関係なの?」

「どうって、別に」

琴はなく応えた。

「ふうん。けど、こないだ山南サンナン副長と一緒に歩いてるのを見かけたよ」

馬越は、上目遣うわめづかいに琴の顔をのぞき込んだ。

彼は、いわゆる美少年で、佐々木愛次郎や山野八十八、馬詰柳太郎らと並んで、後世こうせい隊中美男たいちゅうびなん五人衆”などとくくられている。

ちなみに、あとの一人が、楠小十郎くすのきこじゅうろうである。


「で、なにが言いたいんだ」

「私はね、隊の中では年少だけど、けっこう腕の立つ方だと自負じふしてるんだ。だからさ、山南サンナンさんと懇意こんいにしてるなら、私に機会を与えてほしいって口添くちぞえしてくれないかな?」

「機会って?」

「例えばだけど、不逞浪士ふていろうし住処すみかに斬り込むとかさあ。きっかけさえあれば、私も腕を認めてもらえると思うんだ」

立身出世りっしんしゅっせに熱心なのは結構けっこうだが、売り込みなら自分でやってくれ」

馬越は、子供のようにほおふくらませて、愛くるしい眼を見開いた。

「だって、不公平じゃない。怒らないでほしいんだけど、君みたいに縁故えんこで採用された人は、すぐにでも幹部待遇かんぶたいぐうだろ?我々は何か手柄てがらを立てなきゃ目にもめてもらえない」

どうやら彼は、“楠小十郎くすのきこじゅうろう”にライバル心を燃やしているらしい。

琴は、なんだかその熱量にウンザリして、適当なうそをついた。

山南(やまなみ)副長とは、そんなんじゃない。考試こうしのあった日、この家の通い女中が暴漢ぼうかんに襲われて、私はその場に居合わせたから、事情を聴かれただけだよ」

「でも…それで名前を憶えてもらえたんでしょ。そんなのズルいよ。柳太郎だってさ…」

琴がけわしい顔で振り返った。

「柳太郎?誰?」

「あ、いや。知らないならいいけど…」

しつこく食い下がる馬越に、琴は冷ややかな視線をくれて、

「もういい?今日は、くりや(台所)で手伝いがあるんだ。その女中さんが休んでるからね。それと、私は出世しゅっせに興味ないから、どうぞ気兼きがねなく宣伝活動にはげんでくれ」

そういうと、馬越の追跡ついせきを振り切るため、足早あしばやにその場を離れようとしたが、勢い余ってクロの尻尾しっぽを踏みつけた。

「ぎにゃ!」

「あ、ごめん。総司(←ネコ)」


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