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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
変身之章
379/404

鴨を撃つ 其之参

「え?俺?」

阿部が自分を指すと、武田は当然のようにうなずいた。

「そ。あたしがちゃんと指示を出すから、適当なお公家くげさんの推薦状すいせんじょうを手に入れるまで、二人でなんとか持ちこたえなさい」

近藤は、まるでおうかがいをたてるように琴の顔を伺った。

「いいかな?」

琴は口を真一文字まいちもんじに結んで、ため息をついてから、無理やり口角こうかくを上げて見せた。

それから、近藤だけに聞こえるように、耳元にくちびるを寄せた。

「いいわ。協力するから、近藤さんは大坂から帰ってくるまでに、気難きむずかしい副長ふくちょうを説得してね?あの二人に、私は味方だって分からせて」

「はは、心得こころえた。よし、じゃあみんな、仕事にかかれ!」


散会さんかいとなって、みなが部屋を出ていく中、土方が、琴を呼び止めた。

くすのき、ちょっといいか」

部屋には、土方と山南だけがまだ残っている。


琴が黙って座ると、土方がたずねた。

「おまえ、輪違屋わちがいやの方はどうする気だ?」

「それは、あなた方の心配することじゃない。上手うまくやる」


「じゃあ君は、今日から隊士として、ここで寝泊ねとまりする気か?」

山南が詰問口調きつもんくちょうくと、

琴はひとみをクルリと回して肩をすくめ、好戦的こうせんてきな調子で答えた。

「そうね。まくらが変わると眠れないから、あっちから持ってくる」

土方は下らないケンカにウンザリして、二人を止めた。

「もういい。分かった。おまえ、夜は監察かんさつの仕事で屯所とんしょに帰れないことにしといてやるから、輪違屋わちがいやで寝ろ」

「なんで、そんな面倒めんどうなことをするわけ?」

琴がむくれながらたずねると、

「なんでって、おまえ…!」

ムサ苦しい男ばかりが雑魚寝ザコねする六畳間ろくじょうまで一緒に寝る気か、と言いかけて土方は思い止まった。

「人間てな、寝てる時が一番無防備なんだ。となりいびきをかいてるのが間者かんじゃかもしれないと思ったら、いくらお前でも落ち着かねえだろうが?」

たしかに、それが現実的な妥協案だきょうあんかもしれない。

島原と壬生が近いことがさいわいしたといえる。

「それもそうね、分かった。つまり私は、夜は島原の明里天神あけさとてんじん、昼間は浪士組の楠小十郎くすのきこじゅうろうとして生活するってこと?確かに、自分なのか自信がなくなってきた」

琴は山南に当てつけるように嫌味いやみを言った。



日もれて。

隊士たちは、まだバタバタと出立しゅったつの準備に追われている。

琴は「今日はもうやることもない」と、八木家の門を出て、ぶらぶら島原の方角ほうがくへ歩き出した。

「送るよ」

声がして、顔を上げると、前川邸の門の前に山南敬介が立っている。

琴は、立ち止まって少し微笑ほほえむと、何も言わずにまた歩き出した。

山南も無言むごんで、肩を並べる。


二人は黙ったまま、島原大門に着いた。

いくら近いとはいえ、なんだかあっという間だと琴は思った。



「今日は飲んでいくよ」

門の脇にある柳の下で、山南がポツリと言った。

「今からみんなでお城に詰めるんじゃなかった?」

「大坂へ立つのは朝だ。それまでに間に合えばいいさ」

「らしくない」

「ふん」

山南は、ただ軽く笑い飛ばした。

「まさか、こないだ言ったこと、気にしてる?」

「ああ。君を独り占めにする時間も欲しい」

「あきれた。わざわざお金を払って自分の女を口説くなんて聞いたことない」

「お互い、しばらくは忙しくなりそうだからな。逢引あいびきに金が掛かるのは、なにも花街はなまちに限ったことじゃないだろ?」

「けど、ごめんなさい。私いま、お座敷をされてる」

琴は、申し訳なさそうに打ち明けた。

「まったく。私はいつもが悪いな」

山南がうつむき加減に笑うと、琴は、空に浮かぶ半分に欠けた月を指差ゆびさした。

「ほら見て。月夜の遊郭ゆうかくを散歩するのも悪くない、でしょ?」

「ああ、いいね」

着流きながし姿の琴は、少し身震みぶるいして自分の肩を抱くと、

「少し寒いわ」

そう言って、山南の着ていた羽織をぎ取り、自分の肩にかけた。

「気がかなくてすまないな」

山南が苦笑くしょうしながらびると、

「きっとあなた、花屋町通はなやまちどおりを行きう人から、女たらしの鼻持はなもちならないやつだって見られてる」

琴は悪戯いたずらっぽく笑った。



さて。

その翌日の、文久三年六月九日。

独断で兵をひきい上京した老中ろうじゅう小笠原長行おがさわらながみちを処分するため大坂へ向かったはずの将軍徳川家茂(とくがわいえもち)だったが、

その四日後には、京都守護職きょうとしゅごしょく松平容保まつだいらかたもりに「後のことは任す」と置手紙おきてがみを残して、朝廷にいとまも告げず、そのまま江戸へ帰ってしまった。

急転直下きゅうてんちょっかの出来事である。

「長州の外国船砲撃がいこくせんほうげきにより、横浜における諸外国との緊張きんちょうが高まっている」

というのが、表向おもてむきの理由であったが、この一連の出来事は、家茂を江戸へ連れ帰るため、最初から周到しゅうとうにお膳立ぜんだてされていたようにも見える。

結果として、何も知らされず京に残された松平容保まつだいらかたもりだけが、わりを食った形になった。

もちろん、その末端まったんにいる近藤たち浪士組には、上層部の真意しんいなど知るすべもない。


こうして、壬生浪士組みぶろうしぐみ孤立無援こりつむえんの戦いが始まった。


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