鴨を撃つ 其之弐
「使えんのか?」
土方が訊くと、阿部は池の方まで数歩行って、泳いでいる一羽の鴨を指差し、振り返った。
「まあな。んじゃ、今日の晩飯を進呈するぜ」
手慣れた手つきで、早合と呼ばれる筒状の容器から火薬と弾丸を取り出し、それらを銃口から流し込むと、朔杖という棒状の装置でさらに奥へ押し込む。
次に口薬という着火薬を入れた火皿と、火鋏という金具で、火縄を挟んだ。
ここまでは、流れるような動作である。
「おーい!危ないから離れてろ!」
阿部は、周囲の隊士たちを手で追い払った。
当然、その声に驚いた鴨が飛び立つ。
一拍おいて、ちょうどその鴨がクヌギの天辺くらいの高さまで達したとき、阿部は狙いを定めて引き金を引いた。
パーン!
渇いた銃声が轟いて、鴨はひらひらと池に落ちた。
試射は成功、局長代理の谷右京が手を打って喜んだ。
「お見事!砲術の重要性については、かねがね私からも隊士たちに話してるんだよ!」
琴が目を丸くして、阿部の脇腹を肘で突く。
「意外な特技ね。やるじゃない」
「へ、火縄銃は一発勝負で、今どきの戦場じゃクソの役にも立たねえんだよ。一口に砲術と言っても色々あってな。銃もさることながら、勝敗を分けるのは、やはり大砲の性能だ。アームストロングなんてえ新式の後込め砲を輸入した藩があるとも聞くが、実際んとこ、今の日本では、ほとんど見かけねえのが現状だ。つまり、砲術なんてな、無用の長物ってこった」
阿部自身は、砲術に、さほどの重きを置いていない口ぶりだ。
しかし、上昇志向の塊のような土方としては、そう言われると当然、その技術も見てみたくなる。
「…どうする?」
沖田が両方の掌を天に向けた。
「どうするたって、大砲なんてアームストロングどころか、旧式の大筒すら見たことないですよ」
そのとき、近藤がふとあることを思い出した。
「そういえば、秋月様が黒谷本陣のポンペン砲とかいうのなら貸し出してやってもいいとか言ってたな」
「そうなの?」
売りにしていなかった知識が意外にも好評で、脈ありと踏んだ阿部は、ウンチクで畳みかけた。
「沖田くん、カビの生えた和流砲術と洋式を取り入れた高島流の一番の違いはなんだと思うね?」
「さ、さあ?」
「角度という概念だよ。この角度は測量法と切っても切り離せない関係にあってだな、つまり、砲術は実践と同じくらい座学が重要なんだ。つまりさ、大砲を使うためには、隊士たちに、その基礎を仕込んどく必要があるってことなんだなあ」
剣術バカの近藤は、懐に手を入れてボリボリ胸板を掻きながら、この退屈な話を切り上げた。
「ま、合格ってことでいいんじゃねえか。そのうち大砲を使う時が来るかもしれん」
沖田が土方の耳元に口を寄せた。
「近藤さんてさあ、ああいうとこが大物ですよね」
「…ありゃ、テキトーってんだ。ま、鴨を撃ち落とすとは縁起もいいし、ご祝儀ってことにしとこうぜ」
土方が際どい毒舌を吐いて、阿部はなし崩しに入隊を許された。
永倉と佐伯が嫌な顔をするのを見て、近藤が話題を変えた。
「残念だが、鴨鍋は八木さんのもんだ。俺たちは今夜のうちに二条城へ詰めて、明日の朝、大坂に発つ。とにかく、全ては大坂から帰った後だ」
その後、近藤勇は、八木家の離れで緊急会議を開いた。
集められたのは、試衛館道場から近藤と共に上京した八人に加え、
近藤とは試衛館以来の知己である斎藤一、武田観柳斎と中沢琴。
永倉の旧友、島田魁。それから間者の一件を知る、阿部十郎である。
つまり容疑者リストから名前を除外できる最低限のメンバーというわけだ。
「クソ、こんな時に揃って下坂とは、ツイてねえな」
土方歳三は着座するなり、愚痴をこぼした。
近藤は上座に胡坐をかいて、腕組みをした。
「とはいえ、屯所を空にする訳にもいくまい。芹沢さんと話して、京には谷先生と、一隊を置いていくつもりだ」
「あの爺さんに此処を任せる?冗談だろ?」
山南敬介がうなずく。
「確かに、残していく隊士の中に間者が混じっている事も考えられるだけに、有事の対応には不安が残りますがね」
「間者の件は、要…いや武田さんに任せようと思う」
近藤が断を下すと、土方も渋々同意した。
「ちっ、仕方ねえ。じゃあ留守は任せていいか」
顔を見られた武田は、小さく手を振った。
「ちょっと、勝手に話を進めないでくれる?ダメよ。あたしは、あんた達が大坂へ行ってる間に、推挙の口入を、あちこち周旋して回らなきゃなんないんだから」
近藤、山南、土方は揃って渋い顔をした。
結局、本当に信用できる人間は、たったこれだけしかいないのだ。
「まあまあ、そう心配しないで。そうね。じゃ、この子たちを借りるわ」
武田は立ち上がって、並んで下座に座っていた琴と阿部の頭に手を置いた。




